44話:潜入
国境を越えた先の村で、サリと合流した。
「お待ちしておりました」
宿屋の裏手。サリは周囲を確認してから口を開いた。
「報告書に書いた通りです。民は怯えています。笑う者がいない」
「王女が出てくると変わる、だったな」
「はい。あれだけが、この国の光です」
サリは少し間を置いた。
「……上手く言えないんですが、何か変なんです」
「変?」
「異常なのに、誰も逃げようとしない。諦めてるのとも違う。なんというか……」
言葉を探すように首を傾げる。
「……分かりません。ただ、気持ち悪いんです」
「分かった。実際に見てくる」
「お気をつけて」
サリは一礼して、人混みに紛れていった。
***
エンヴァの街に入った。
検問は拍子抜けするほど簡単だった。
「旅芸人? ほう」
衛兵は俺の道具袋を一瞥しただけ。
「最近は娯楽も少ないからな。精々稼いでいけ」
それだけで通された。
街に入ると、最初に目についたのは人々の顔だった。
疲れている。
目に光がない。
通りを歩く人々は、俯いて黙々と歩いている。
だが——暴動の気配はない。
普通、ここまで民が疲弊していれば、どこかで不満が爆発する。
アルカスでも、新参と古参が取っ組み合いになった。
なのに、この街は静かだ。
誰も怒っていない。
誰も抗っていない。
「……」
言葉にできない。
ただ、気持ち悪い。
***
広場に着いた。
「さあさあ、寄ってらっしゃい! 旅の魔法使いが不思議な術をお見せしよう!」
最初、誰も足を止めなかった。
「——火蜥蜴の息吹!」
粉末を撒き、松明を突き出す。
ボッ——!
炎が膨れ上がった。
「おお……」
ようやく、何人かが足を止めた。
銀鏡の術も披露すると、人が集まり始めた。
三十人ほどになった頃、彼らの目に少しだけ光が戻っていた。
子供が前に出てきて、鏡になった瓶を覗き込む。
「俺の顔が映ってる!」
母親らしき女が慌てて子供を引き戻した。
「こら、邪魔しちゃ駄目でしょ」
「いいよ、気にしないで」
俺は笑顔で答えた。
女は一瞬驚いた顔をして、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声に、妙な重みがあった。
芸を終えると、拍手が起きた。
小さな拍手だが、温かみがあった。
***
宿屋に戻る途中、声をかけられた。
「あんた、さっきの魔法使いだろ」
中年の男だった。
「面白かったよ。久しぶりに楽しいもん見た」
男は少しだけ笑った。だが、その笑顔もすぐに消えた。
「……まあ、どうせ続かねえんだろうけどな」
「続かない?」
「この国じゃ、楽しいことは長続きしねえ。仕方ねえけどな」
仕方ない。
さっきから何度も聞く言葉だ。
「なあ、一つ聞いていいか。この国の王女様って、どんな人なんだ?」
男の目が変わった。
さっきまでの疲れた目じゃない。
微かに——だが確かに、光が灯っていた。
「王女様か。あの方は……この国の希望だよ」
声のトーンまで違う。
「あの方が街に出てこられると、皆元気になるんだ。笑顔を振りまいてくださる」
男は遠くを見るような目をした。
「この国で唯一、俺たちを気にかけてくださる方だ」
——唯一。
その言葉の重さが、腹の底に響いた。
「そうか。会ってみたいな」
「運が良けりゃ会えるかもな。珍しいものがあると聞けば、見に来てくださることもある」
男はそう言って、去っていった。
俺は立ち止まったまま、考えていた。
この国は何かがおかしい。
民は疲弊しているのに、逃げない。怒らない。
「仕方ない」で全部済ませている。
——何なんだ、この気持ち悪さは。
答えは出ない。
宿屋に向かった。
***
翌日も芸を披露した。
噂が広まったらしく、昨日より人が増えていた。
「今日は何を見せてくれるんだ?」
「昨日の鏡の術、もう一回見たい!」
子供たちが最前列に陣取っている。
火蜥蜴の息吹、銀鏡の術。
順番に披露すると、拍手が大きくなった。
人々の顔に、笑顔が増えていた。
道具を片付けていると——
「おい、あれ」
誰かが声を上げた。
「王女様の旗だ」
人々がざわめいた。
通りの向こうから、一団が近づいてくる。
先頭に翻る旗には、エンヴァ王家の紋章。
護衛に囲まれた人影が見えた。
民の目が、一斉に輝いた。
——来た。
俺は道具を片付ける手を止めた。
一団が広場に入ってきた。
民が道を開ける。さっきまでの疲れた顔が嘘のように、皆が顔を上げている。
「王女様だ」
「王女様がいらした」
囁きが広がる。
護衛の間から、一人の少女が姿を現した。
金色の髪。白いドレス。そして——満面の笑顔。
「皆さん、こんにちは!」
明るい声が広場に響いた。
「不思議な芸人さんが来てるって聞いたの。私も見てみたくて」
民が歓声を上げた。
さっきまでの静かな拍手とは全然違う。熱がある。
「王女様、こちらです」
誰かが俺の方を指差した。
王女がこちらを向いた。
「あなたが火蜥蜴の息吹を使う魔法使いさん?」
「……ああ、そうだ」
近くで見ると、整った顔立ちをしていた。
年は俺より少し下か。十五、六といったところ。
笑っている。
明るくて、優しそうで——
——どこかで見た気がする。
この笑顔。思い出せない。でも、何か引っかかる。
「見せてもらえる?」
「……ああ、もちろん」
俺は道具を取り出した。
火蜥蜴の息吹、銀鏡の術。
順番に披露すると、王女は声を上げて喜んだ。
「すごい! 本当に魔法みたい!」
民が沸く。王女が喜んでいる——それだけで、この場の全員が幸せそうだった。
「——王女様。せっかくですから、特別な術をお見せしましょう」
俺は白い紙を取り出した。
「この紙には、何も書かれていないように見える。ですが——」
小瓶から液を垂らす。
じわり、と文字が浮かび上がった。
『ようこそ、王女様』
「わあ……!」
王女の目が輝いた。本物の驚きだった。
「文字が浮かんできた……! どうなってるの?」
「透明なインクで書いた文字が、この液をかけると現れるのです」
俺は小瓶を差し出した。
「よろしければ、この液を差し上げます。お手紙遊びなどにお使いください」
「いいの?」
「旅芸人から王女様への、ささやかな贈り物です」
王女は小瓶を受け取った。
「ありがとう、魔法使いさん。大切にするわ」
そう言って、笑った。
完璧な笑顔だった。
明るくて、優しくて、民を元気づける笑顔。
なのに——目だけが、笑っていなかった。
「また来てもいい?」
「ああ、いつでも」
「約束よ」
王女は手を振って、護衛と共に去っていった。
民が名残惜しそうに見送る。
俺はその背中を見つめていた。
——思い出した。
あの笑顔。あの目。
前世で見た。
「大丈夫です」と笑っていた後輩。
疲れ切った顔で、目の下に隈を作りながら、それでも笑っていた——あいつと同じだ。
この街の空気。誰も怒らない。誰も逃げない。「仕方ない」で全部済ませる。
全部、知っている。
限界まで絞られて、それでも笑うしかない場所の空気だ。
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