39話:それぞれの限界
——ヴァリウス視点。
北壁砦に着いて三日目。
俺は砦の城壁に立ち、北の平原を見渡していた。
「殿下、また来ます」
副官が駆け寄ってきた。
「数は」
「三百ほどかと」
「少ねえな。陽動か」
俺は平原の地形を頭に描いた。
西に森、東に丘陵。正面から来るなら、左右から回り込む別動隊がいてもおかしくない。
「東の丘に斥候を出せ。西の森にも目を配れ」
「はっ」
副官が走っていく。
ゼクスが隣に立った。
「さすがだな。俺も同じことを考えてた」
「当たり前だ。こんな開けた場所で正面だけ見てる馬鹿がいるか」
三十分後、東の丘から狼煙が上がった。
「来たか」
「別動隊、二百! 丘を越えてきます!」
「慌てるな。第二隊を東へ回せ。俺は正面を叩く」
俺は剣を抜いた。
「行くぞ。首を取られたくなければついてこい」
***
戦闘は二刻で終わった。
正面の三百を蹴散らし、東の別動隊も殲滅した。
こちらの被害は軽傷者が数名。
ゼクスが血に濡れた剣を拭きながら、俺の隣に立った。
「これで三度目だ。お前が来てから、被害がぐっと減った」
「そうか」
「奴らも分かってきたんだろうな。小細工が通じねえ相手だと」
ゼクスは肩をすくめた。
「おかげで、正面からぶつかってくるようになった。こっちとしては楽でいい」
「……楽か?」
俺は北の空を見た。
「キリがねえな、これは」
「ああ」
「叩いても叩いても湧いてくる。蛇口を閉めねえと、水は止まらねえ」
ゼクスは黙って頷いた。
根本はエンヴァだ。分かってる。
その気になれば、今すぐにでも攻め込める。この戦力なら、エンヴァを落とすのに一月もかからねえ。
だが、まだ弟たちが動いている。結果が出るまでは、もう少しだけ様子を見るか。
***
——リアン視点。
経済封鎖を始めて三週間。
俺は王都の執務室で、商人からの報告を受けていた。
「エンヴァへの物流は完全に止まりました。食料、布、鉄、すべてです」
「民の様子は」
「……それが」
商人は言いにくそうに口ごもった。
「何だ、言え」
「飢えております。特に都市部の貧民層は深刻です。餓死者も出始めていると」
「……そうか」
想定内だ。経済封鎖とはそういうものだ。
「で、王宮の反応は」
「それが——何も」
「何も?」
「はい。王は何の声明も出しておりません。交渉を求める使者もなく、物資の融通を頼む動きもなく……まるで、民のことなど眼中にないかのように」
俺は眉をひそめた。
「……民が餓死しているのに、王が動かない?」
「はい。正直、我々も困惑しております」
商人が去った後、俺は椅子の背にもたれた。
計算が合わない。
経済封鎖の狙いは、民を苦しめることで王を交渉の席に引きずり出すことだ。
民の不満が高まれば、王は動かざるを得ない。
そう計算した。
だが、エンヴァ王は動かない。
民が死んでも、気にしていない。
「……何だ、これは」
こんな王がいるのか。
自国の民を、ここまで切り捨てられる王が。
俺の手札は、「人間の王」を相手にしたものだ。
民を大事にする王、国を守りたい王、権力を維持したい王。
だが、エンヴァ王は違う。
まるで——民を「人間」だと思っていないような。
「……兄上とアレンに、伝えないとな」
俺は手紙を書き始めた。
***
——アレン視点。
使者を送り出す前日。
俺は執務室にヴォルフを呼んだ。
「例の部隊、仕上がったか」
「はい。いつでも動けます」
ヴォルフが静かに答えた。
アルカスに来た時から、俺はヴォルフに命じていた。
諜報に特化した部隊を作れ、と。
通常の兵とは違う。
潜入、情報収集、尾行——そういったことに長けた人間を集め、鍛え上げろ、と。
二年かけて、ようやく形になった。
「隊長を連れてきてくれ」
「はい」
ヴォルフが一度退出し、すぐに戻ってきた。
後ろに、一人の少女を連れている。
年は十五、六だろうか。小柄で、目立たない風貌。
だが、目だけは鋭い。
「サリです。よろしくお願いします」
声も落ち着いている。緊張している様子はない。
「孤児出身と聞いた。二年間、よく鍛えたな」
「いえ、まだまだです」
謙遜ではなく、本心からそう言っているようだった。
俺は頷いた。
「使者は表向きの接触だ。だが、それだけじゃ見えないものがある」
「裏から探れ、ということですね」
「ああ。お前には別ルートでエンヴァに入ってもらう。民の様子、城の警備、王族の動向——使者が見られないものを見てこい」
サリは静かに頷いた。
「承知しました」
「危険な任務だ。無理はするな」
「はい」
サリが去った後、ヴォルフが言った。
「あの子なら、やれます」
「そうか」
二年間、温めてきた手札だ。
ようやく使う時が来た。
***
使者が戻ってきたのは、出発から十日後だった。
「殿下、ご報告いたします」
使者は疲れた顔で跪いた。
「結論から申しますと、成果はございませんでした」
「門前払いか」
「いえ、それが……城には入れました。外務を担当する大臣とも話せました」
「話せた?」
「はい。ですが——」
使者は首を振った。
「『エンヴァに問題は何もない。シンラの懸念は杞憂である』の一点張りで」
「……」
「魔物の件を問いただしても、『北方の魔物は例年通り』と。協力を申し出ても、『その必要はない』と」
使者は言葉を切り、少し考えてから続けた。
「殿下、一つ気になることが」
「何だ」
「城の中……いえ、エンヴァの街全体に、妙な空気がございました」
「妙な空気?」
「上手く申し上げられないのですが……人々の目に、光がないと言いますか。心から笑っている者がいないと言いますか」
使者は眉をひそめた。
「まるで、国全体が何かに怯えているような。そんな印象を受けました」
「……そうか。ご苦労だった。下がっていい」
使者を下がらせた後、俺はセバスと顔を見合わせた。
話はできた。だが中身がない。まるで何かを隠しているように。
そして、使者が感じた「妙な空気」。
「……兄上たちと、話し合う必要があるな」
「はい。リアン殿下とヴァリウス殿下からも、報告の手紙が届いております」
俺は頷いた。
「王都で会おう。三人で」
***
数日後、王都。
王城の一室に、再び三兄弟が集まった。
「では、それぞれの結果を共有しよう」
ヴァリウスが口火を切った。
「俺から話す。魔物を何度叩いても湧いてくる。根本を絶たねえと、キリがねえ」
リアンが頷いた。
「僕の経済封鎖も、効果がない。民は飢えているのに、王は何も動かない」
「……民が餓死しても?」
「ああ。まるで民のことなど眼中にないかのように、と報告が来た」
俺も続けた。
「俺の外交も失敗です。話はできましたが、『問題ない』の一点張りでした。まるで何かを隠しているように」
三人の情報が揃った。
軍事——魔物を叩いても湧き続ける。どこかから送り込まれている。
経済——民は苦しんでいるが、王は動かない。民を人間と思っていない。
外交——門は開いたが、中身がない。何かを隠している。
「結論は一つだな」
ヴァリウスが言った。
「エンヴァ王は、魔王軍と組んでいる」
沈黙。
「なら、話は早い。攻め落とす」
「兄上」
「今の戦力なら、一月で落とせる。根本を絶つには、それが一番確実だ」
リアンが首を振った。
「待ってくれ、兄上。いきなり他国に攻め込んだら、シンラが侵略者になる」
「侵略者? 向こうが魔王軍と組んでるんだぞ」
「証拠がない」
リアンは冷静に言った。
「僕たちの推測だけだ。他国から見れば、シンラが言いがかりをつけて攻め込んだように見える」
「……」
「最悪、他の国がエンヴァ側につく可能性もある。そうなれば、戦線が広がる」
ヴァリウスは舌打ちした。
「じゃあどうしろってんだ。このまま手をこまねいてろと?」
「そうは言ってない。ただ、証拠が必要だと——」
「証拠なんざ、攻め込んでから見つければいい」
「それじゃ順序が逆だ」
二人の視線がぶつかった。
俺は静かに口を開いた。
「——俺が、エンヴァに潜入します」
二人が俺を見た。
「潜入?」
「はい。中に入って、証拠を掴みます。王と魔王軍の繋がりを、この目で確かめます」
ヴァリウスが眉をひそめた。
「お前が? 王子が?」
「俺が行かなければ分からないこともあります。使者の報告だけでは見えないものがある」
「危険すぎる」
リアンも同意した。
「アレン、気持ちは分かるけど、君が捕まったら終わりだ。交渉の切り札にされるか、最悪——」
「分かっています」
俺は二人を見た。
「ですが、他に手がありません。外交は通じない。経済封鎖は民を苦しめるだけです。軍で攻め込めば、証拠なしの侵略になる」
「……」
「中から崩すしかないんです。そのためには、中を見なければいけない」
沈黙が落ちた。
ヴァリウスが低い声で言った。
「……本気か」
「本気です」
「死ぬかもしれねえぞ」
「はい」
俺は少し間を置いて、続けた。
「——ですが、俺に何かあっても、シンラには兄上たちがいます」
「何?」
「ヴァリウス兄上には軍がある。リアン兄上には商路がある。俺がいなくても、お二人ならこの国を守れます」
二人が黙った。
「だから、俺が行きます。俺にしかできないことを、やらせてください」
長い沈黙。
ヴァリウスが深く息を吐いた。
「……分かった。行け」
「兄上」
「ただし、時間は無限じゃねえぞ」
ヴァリウスは俺を真っ直ぐ見た。
「俺は攻め込む準備を整えながら待つ。お前が戻らなければ、俺のやり方でやる」
「……ありがとうございます」
リアンが小さく笑った。
「まったく、無茶なことを言う弟だね」
「すみません」
「謝るなよ。——僕も協力する。商人のネットワークで、エンヴァ内部の情報を集める。潜入の足しにしてくれ」
俺は二人を見た。
認めてくれた。二人とも。
「——必ず、戻ります」
ヴァリウスが鼻を鳴らした。
「当たり前だ。死んだら許さねえからな」
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