35話:束の間
穏やかな日々が、戻りつつあった。
「殿下、今月の収支報告です」
リーネが帳簿を差し出す。
「ああ、ありがとう」
受け取って目を通す。
染料と蒸留酒の売上が、相変わらず好調だった。
「……すごいな、この伸び」
「はい。ミーシャさんが『生産が追いつかない』と言っていました」
「嬉しい悲鳴だな」
俺は帳簿を閉じた。
リアンとの経済戦は、ひとまず決着がついた。
締め付けは緩和され、商人も戻ってきた。
流出した住民の一部は戻らなかったが、それ以上に商人が流入している。
「……少し、落ち着いたな」
「そうですね」
リーネが頷いた。
「最近は大きな問題もありませんし」
「井戸も順調か?」
「はい。新しい井戸は好評です。古参と新参の揉め事も減りました」
「そうか」
窓の外を見る。
街には活気が戻っていた。
「……殿下」
「ん?」
「少し、休まれてはいかがですか」
振り返ると、リーネがこちらを見ていた。
「休む?」
「ここ数週間、ずっと働き詰めでしたから」
「いや、そんなことは——」
「セバスさんも心配していました」
リーネの目が、じっとこちらを見ている。
俺は言葉に詰まった。
(……休め、か)
ふと、前世のことを思い出した。
あの頃も、誰かに言われた気がする。
「少しは休んだ方がいい」と。
でも、休まなかった。
結果を出さなければ。証明しなければ。
そう思って、走り続けた。
結果——過労で死んだ。
「……分かった。今日は早めに切り上げるよ」
「そうしてください」
リーネが小さく頷いて、部屋を出ていく。
その背中を見送りながら、俺は苦笑した。
(同じ轍は、踏まないようにしないとな)
前世では、休めと言ってくれる人の言葉を無視した。
今世では——少しは聞くことにしよう。
***
その日の午後。
「殿下、フェルゼン侯爵からお手紙です」
セバスが封書を持ってきた。
「侯爵から?」
受け取って開封する。
『アレン殿下
先日の件、見事な手際でした。
王都でも噂になっております。
つきましては、紹介したい者がおります。
近日中にお時間をいただけますでしょうか。
フェルゼン』
「紹介したい者……」
俺は顔を上げた。
「セバス、心当たりは?」
「おそらく、中立派の貴族かと」
セバスが答えた。
「殿下の躍進を見て、支持を表明したい者が増えているようです」
「そうか」
俺は手紙を畳んだ。
中立派の拡大。
悪い話ではない。
「返事を書こう。三日後にこちらから伺うと」
「承知いたしました」
***
三日後、フェルゼン侯爵邸。
「やあ、アレン殿下。お待ちしておりましたぞ」
侯爵が笑顔で出迎えてくれた。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「いやいや。今日は良い出会いになると思いますぞ」
応接間に通されると、既に数人の貴族が座っていた。
「ご紹介しましょう。こちらはヴェルナー男爵、こちらはホフマン子爵——」
侯爵が順番に紹介していく。
三人の貴族。
いずれも中規模の領地を持つ、中立派の面々だった。
「アレン殿下、お噂はかねがね」
ヴェルナー男爵が口を開いた。
「リアン殿下との経済戦、見事なお手並みでした」
「恐縮です」
「我々は、これまで中立を保ってまいりました」
ホフマン子爵が続けた。
「しかし、殿下の手腕を見て——考えを改めました」
「と、申しますと」
「我々は、殿下を支持したいと考えております」
俺は表情を変えなかった。
「……ありがたいお言葉です。ですが、なぜ今?」
「率直に申し上げましょう」
三人目の貴族——ブラント伯爵が言った。
「我々は、シンラの未来を案じております」
「未来?」
「ヴァリウス殿下は武に優れますが、経済には疎い。リアン殿下は経済に長けますが、先日の失策で信頼を失った」
ブラント伯爵が真っ直ぐにこちらを見た。
「殿下は、両方をお持ちだ。技術で経済を興し、戦場では兵を守る采配を見せた」
「……買いかぶりです」
「いいえ。我々は実績を見ております」
侯爵が口を挟んだ。
「アレン殿下。彼らは本気ですぞ。受けてやってくださらんか」
俺はしばらく考えた。
中立派の支持。
これで、政治的な基盤がさらに強化される。
「……分かりました。皆様のご支持、ありがたくお受けします」
「おお、ありがとうございます」
「よろしくお願いいたします、殿下」
貴族たちが頭を下げた。
俺も頭を下げ返した。
【運命点獲得:+15点】
【残運命点:395 → 410】
(お、増えた)
中立派の支持獲得。
運命点の回復条件に該当するらしい。
悪くない。
***
帰路。
馬車の中で、俺はぼんやりと外を眺めていた。
「殿下」
セバスが声をかけてきた。
「なんだ」
「本日の成果、見事でした」
「ああ……」
「ですが、少しお疲れのようですな」
「……そうか?」
「ええ。リーネ殿も心配しておりましたし」
俺は少し驚いた。
「リーネが?」
「はい。『殿下は休まれた方がいい』と」
「……そうか」
窓の外を見る。
夕日が、空を橙色に染めていた。
「セバス」
「はい」
「帰ったら、少し休むよ」
「それがよろしいかと」
セバスが微笑んだ。
***
アルカスに戻ると、リーネが出迎えてくれた。
「お帰りなさい。いかがでしたか」
「ああ、うまくいった。中立派の支持を取り付けた」
「そうですか。よかったです」
リーネが小さく頷いた。
「……あの」
「ん?」
「お茶、淹れましょうか」
俺は少し驚いた。
リーネから誘ってくるのは珍しい。
「……ああ、頼む」
「少しお待ちください」
リーネが去っていく。
俺は執務室の椅子に腰を下ろした。
しばらくして、リーネが戻ってきた。
湯気の立つカップを、机の上に置く。
「どうぞ」
「ありがとう」
一口飲む。
いつもの紅茶だ。だが、なんだか少し美味しく感じた。
「……リーネ」
「はい」
「心配してくれてたのか?」
リーネの動きが、一瞬止まった。
「……別に」
「セバスから聞いた」
「……」
リーネが目を逸らした。
「……領主が倒れたら、困りますから」
「やっぱりそれか」
「それ以外に何があるんですか」
「いや、なんでもない」
俺は苦笑した。
(まあ、そうだよな)
期待した俺が馬鹿だった。
「……殿下」
「ん?」
「ちゃんと飲んでから出てってくださいね」
「ああ、分かってる」
リーネが部屋を出ていく。
俺は紅茶を飲み干して、窓の外を見た。
穏やかな夕暮れだった。
戦いはまだ続く。
王位継承まで、あと一年。
だが、今日くらいは——。
「……悪くない、な」
小さく呟いて、俺は目を閉じた。
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