34話:潮目
王都、貴族会議の控えの間。
その日、リアンは定例の報告のために王城を訪れていた。
「リアン殿下! リアン殿下ーーっ!!」
廊下に、悲鳴のような声が響いた。
リアンは足を止めた。
「……なんだ」
振り返ると、一人の男が駆け寄ってきた。
バーゴ子爵。
数週間前に傘下に加えたばかりの男だ。
だが、その姿は——。
「お助けください、殿下ーーっ!!」
バーゴは、リアンの足元に崩れ落ちた。
「ベルンが……ベルンが大変なことに……!」
周囲の貴族たちが、何事かと足を止めた。
ひそひそと囁き合う声が聞こえる。
リアンは眉をひそめた。
「……場所を変えよう。ここでは——」
「商人がいなくなったのです! 市場が動かないのです! このままでは——!」
バーゴは聞いていなかった。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、喚き続ける。
「殿下の傘下に入ったのに! 西部についたのに! なのに、なのに——!」
(……まずいな)
リアンは周囲を見回した。
貴族たちが、興味深そうにこちらを見ている。
中には、露骨に嘲笑を浮かべている者もいた。
「お願いです、殿下! 助けてください! 私は殿下を信じて西部についたのです!」
「分かった、分かったから——」
「見捨てないでください! 殿下だけが頼りなのです!」
リアンは歯を食いしばった。
ここで突き放せば、「傘下を見捨てた」と言われる。
貴族たちの前で、醜態を晒すことになる。
「……分かった。話を聞こう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。だから、場所を変えるぞ」
リアンはバーゴの腕を掴んで、控えの間へ引きずり込んだ。
---
控えの間。
「——で、何があった」
リアンは腕を組んで、バーゴを見下ろした。
バーゴは、しゃくり上げながら説明した。
染料と蒸留酒がアルカス製だったこと。
アレンがベルンの商人への供給を止めたこと。
商人たちがアルカスに流れたこと。
市場が壊滅的な状況にあること。
「——という次第です……」
リアンは黙っていた。
(……染料と蒸留酒)
王都でも話題になっていた、あの商品。
あれが——アルカス製だと?
「殿下、締め付けを緩めていただけませんか……! このままでは……!」
「待て」
リアンは手を上げた。
「締め付けを緩める? それでは——」
「お願いです! 商人たちが戻ってこなければ、ベルンは……!」
リアンは沈黙した。
アルカスへの締め付けを緩めれば、あの領地が息を吹き返す。
締め付けを続ければ、バーゴが死ぬ。
どちらを選んでも——。
(……してやられた)
リアンは、初めてその事実を認識した。
染料と蒸留酒を流通させたのは、罠だった。
バーゴを依存させ、俺が引き抜くのを待っていた。
そして、俺がバーゴを傘下に加えた瞬間——罠が閉じた。
「……お前を見捨てることは、できない」
「で、では——!」
「アルカスへの締め付けを、一部緩和する」
「ほ、本当ですか!?」
「完全にではない。だが、商人が動ける程度には——」
リアンは言葉を切った。
悔しい。
だが、他に選択肢がない。
先ほどの光景が蘇った。
貴族たちの前で、泣き喚くバーゴ。
「傘下を見捨てた」という評判が立てば、他の協力者も離れていく。
「……下がれ。詳細は後で伝える」
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
バーゴが這うようにして退出していった。
リアンは一人、窓の外を見つめていた。
「……アレン」
弟の名を、呟く。
泡沫の候補だと思っていた。
だが——違った。
商人の締め付け。人の引き抜き。バーゴの獲得。
全てが、あの弟の掌の上だった。
「……面白い」
リアンの口元が、わずかに歪んだ。
悔しさはある。
だが、それ以上に——興味が湧いた。
お前は、俺の敵だ。
認めよう。
---
アルカス領。
「殿下、アルカスへの締め付けが緩和されたようです」
セバスの報告を聞いて、俺は頷いた。
「そうか」
「リアン殿下が譲歩した、ということですな」
「ああ。バーゴを見捨てられなかったんだろう」
窓の外を見る。
完全勝利ではない。
締め付けは緩んだが、解除されたわけではない。
人の流出も、すぐには止まらないだろう。
だが——。
「最悪の状況は、脱した」
俺は静かに言った。
---
それから数週間。
「殿下、すごいことになってるよ」
ミーシャが興奮した顔で飛び込んできた。
「どうした」
「染料と蒸留酒、売れすぎて生産が追いつかない」
ミーシャが帳簿を広げた。
「王都の上流階級から引き合いが殺到。侯爵ルート、エレオノーラルート、どっちもパンク寸前」
「そんなにか」
「『アルカスでしか手に入らない』ってのが効いてる。希少価値ってやつだね」
俺は帳簿に目を通した。
確かに、数字が跳ね上がっている。
ここ数週間で、月の売上が三倍になっていた。
「あと、面白い話がある」
「なんだ」
「リアン殿下の傘下の商人が、こっそり接触してきた」
俺は顔を上げた。
「……なんだと?」
「『表立っては無理だが、裏で取引できないか』だって」
ミーシャが肩をすくめた。
「商人ってのは正直だよ。儲かる方につく。リアン殿下の傘下にいても、うちの商品を扱えないんじゃ商売にならないからね」
「断ったのか?」
「いや、保留にしてある。殿下の判断次第」
俺は腕を組んだ。
裏取引は危険だ。
だが、リアンの傘下を切り崩すチャンスでもある。
「……泳がせておけ。今は情報だけ取れればいい」
「了解」
---
その日の夕方。
「殿下、お客様です」
セバスが来客を告げた。
「客? 予定はなかったが」
「カルセン伯爵と名乗っておられます。アルカスの南、オルテン領の領主です」
聞いたことがある名前だった。
オルテン領。
ベルンほどではないが、交易で栄えている中規模の領地。
そして——リアン派の貴族だったはずだ。
「……通せ」
---
謁見の間に現れたのは、四十代半ばの落ち着いた風貌の男だった。
「お初にお目にかかります、アレン殿下。オルテン領主、カルセンと申します」
「ああ。突然の訪問だが、何か用か」
「単刀直入に申し上げます」
カルセンは背筋を伸ばした。
「私は、殿下の傘下に入りたいと考えております」
俺は表情を変えなかった。
「……リアン派だと聞いていたが」
「はい。確かに、リアン殿下を支持しておりました」
カルセンは頷いた。
「『富国こそ強兵の礎』——その理念に共感したからです」
「それが、なぜ俺のところに?」
カルセンは少し間を置いた。
「……殿下の噂は、商人たちから聞いております」
「噂?」
「石炭と鉄の生産。ジャガイモによる食糧問題の解決。そして今回の染料と蒸留酒。短期間でこれだけの産業を興した領主を、私は他に知りません」
カルセンが真っ直ぐにこちらを見た。
「リアン殿下の理念は正しい。ですが——」
「ですが?」
「それを実現できるのは、アレン殿下ではないかと」
沈黙が落ちた。
「私は商人の子です。父は行商から身を起こし、この地位を築きました。だから分かるのです」
カルセンは続けた。
「商売の流れは、人の心と同じ。一度向きが変われば、もう戻らない。今、その流れは——アレン殿下に向かっています」
俺は黙って聞いていた。
「オルテン領はアルカスに近い。殿下の傘下に入れば、交易の便も良くなります。私にとっても、悪い話ではありません」
「……条件は」
「特にございません。ただ、殿下の事業に参加させていただければ」
俺はしばらく考えた。
リアン派の貴族が、鞍替えしてきた。
それも、リアンの理念に共感していた人物が。
これは——単なる寝返りではない。
「……分かった。歓迎しよう、カルセン伯爵」
「ありがとうございます」
カルセンが深く頭を下げた。
【運命点獲得:+5】
【現在の運命点:390 → 395】
【獲得理由:オルテン領を傘下に収める】
---
カルセンが去った後。
「殿下」
セバスが静かに言った。
「潮目が、変わりましたな」
「ああ」
俺は窓の外を見た。
商人が流れてくる。
貴族が流れてくる。
リアンの地盤だった経済の分野で、逆転が始まっている。
「……まだ油断はできない。だが——」
振り返って、俺は笑った。
「ようやく、追いついてきた」
2年目の戦いは、ここに決着した。
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