32話:寝返り
ベルン、バーゴ子爵の屋敷。
「——というわけで、西部との取引をご検討いただければと」
目の前の商人が、丁寧に頭を下げた。
バーゴは椅子に深く腰掛けたまま、指で肘掛けを叩いていた。
「リアン殿下からの使者、か」
「はい。殿下は子爵様のお力を高く評価しておられます」
「ほう」
悪い気はしない。
第二王子から直々に声がかかるなど、光栄なことだ。
「条件は?」
「西部商会との優先取引権。税の優遇。そして——」
商人が一瞬、言葉を切った。
「そして?」
「アルカスとの関係を、見直していただければ」
バーゴの目が細くなった。
アルカス。
アレン・フォン・シンラ。
あの小僧に、俺は屈服させられた。
言葉だけで、何もできずに膝を折った。
あの屈辱は、今でも忘れていない。
「……見直す、とは」
「縁を切れとは申しません。ただ、西部との取引を優先していただければ」
つまり、アルカスを切れということだ。
バーゴは顎を撫でた。
正直、アルカスとの取引は悪くない。
石炭も鉄製品も品質がいい。
だが最近は、別口から染料や酒も入ってきている。
出所は不明だが、これが実によく売れる。
(アルカスに頼らなくても、やっていけるな)
むしろ、あの小僧の下にいるのは我慢ならん。
利益があるから従っていただけだ。
「……いいだろう」
「では——」
「ただし、条件がある」
バーゴは立ち上がった。
「俺は、あの小僧に一度負けた。その借りを返したい」
「と、申しますと」
「俺自身がアルカスに行って、縁を切ると伝える。——あの小僧の顔を見ながらな」
商人は一瞬、驚いた顔をした。
だが、すぐに頷いた。
「……承知いたしました。殿下にはそのようにお伝えします」
「ああ。伝えろ」
商人が退出した後、バーゴは窓の外を見た。
(待っていろ、アレン)
今度は俺が、お前を見下ろす番だ。
***
数日後、アルカス領。
「殿下、バーゴ子爵がお見えです」
セバスの報告に、俺は眉を上げた。
「バーゴが? 呼んでないが」
「はい。『直接お話ししたいことがある』と」
俺とセバスは目を見合わせた。
「……来たか」
「そのようですな」
リアンがバーゴに接触しているのは、調べがついていた。
あの豚のことだ。より良い条件を示されれば、すぐに靡く。
「通せ」
***
謁見の間。
バーゴは、大股で入ってきた。
「やあやあ、アレン殿下」
馴れ馴れしい口調。
最後に会った時とは、まるで態度が違う。
「これはこれは、バーゴ子爵。わざわざ足を運んでいただいて」
「ええ、ええ。大事な話は直接伝えるべきですからな」
バーゴがにやりと笑った。
「覚えておいでですかな。前に殿下が私の屋敷に来られた時のことを」
「ああ」
「あの時、私は何もできなかった。殿下の言葉に、ただ屈服するしかなかった」
バーゴが一歩、前に出た。
「だが——今日は違う」
その目が、ぎらぎらと輝いていた。
「単刀直入に申し上げましょう。——私は、西部につくことにしました」
沈黙が落ちた。
「リアン殿下は、私の価値をよく分かっておられる。殿下とは違ってな!」
バーゴが声を張り上げた。
「貴様のような小僧に、いつまでも頭を下げていられるか! 私はベルンの領主だぞ! 商都の主だぞ!」
唾を飛ばしながら、バーゴは続けた。
「今まで従っていたのは、利益があったからだ! だが、もう貴様は必要ない! 西部の方が条件がいい!」
俺は黙って聞いていた。
(……やかましいな、この豚は)
心の中でため息をつく。
わざわざ言いに来るあたりが小物だ。
本当に賢い奴なら、黙って寝返る。
だが、この豚は「やり返した」という実感が欲しいのだろう。
前に屈服させられた恨みを、こうして晴らしているつもりなのだ。
「——どうだ! 何か言ったらどうだ!」
バーゴが勝ち誇った顔で俺を見下ろしている。
(好きに吠えろ、豚が)
どうせ、すぐに立場が逆転する。
「……分かった」
俺は静かに頷いた。
「バーゴ子爵の判断を尊重する。これまでの取引には感謝している」
「は?」
バーゴが拍子抜けした顔をした。
「……それだけか? 悔しくないのか? 泣き喚かないのか?」
「無理強いしても仕方がない。お互い、利益で動いているのだから」
「…………」
バーゴは明らかに不満そうだった。
もっと取り乱すと思っていたのだろう。
もっと悔しがって、許しを請うと思っていたのだろう。
残念だったな、豚。
「……ふん! まあいい!」
バーゴは踵を返した。
「せいぜい、この辺境で朽ち果てるがいい! 私は西部で大きくなってやる!」
最後まで吠えながら、去っていった。
***
バーゴが去った後。
俺は椅子にもたれて、天井を見上げた。
「……うるさい豚だった」
「まったくです」
セバスも呆れた顔をしていた。
「しかし、これで計画通りですな」
「ああ。あの豚はリアン陣営に入った。そして——」
「依存している商品の出所を、知らないまま」
俺は笑った。
染料と蒸留酒。
バーゴはあれが「別口」から来ていると思っている。
まさか、アルカス製だとは夢にも思っていない。
リアンがアルカスを締め付ければ、その「別口」も止まる。
バーゴは干上がる。
そして——。
ふと、頭の中に数字が浮かんだ。
395。
……390。
「……は?」
俺は思わず声を上げた。
「殿下?」
「いや……待て待て待て」
運命点が、減っている。
バーゴが傘下に入った時、5点増えた。
つまり、抜けたら——。
「マジかよ……」
思わず本音が漏れた。
「殿下、いかがなさいました」
「いや、なんでもない。なんでもないが……」
俺は頭を抱えた。
計画通りに事が進んでいるのに、運命点が減る。
想定外だ。完全に想定外だ。
(くそ、そういうシステムかよ……)
あの豚を寝返らせる前提で動いていたのに、この仕打ち。
世界は俺に厳しすぎないか。
【運命点消費:5点】
【残運命点:395 → 390】
「……まあいい」
俺は立ち上がった。
5点くらい、誤差だ。あの豚に払う手切れ金だと思えばいい。
「セバス、次の段階に移る」
「はい」
「バーゴはリアン陣営に入った。兄上は、俺の傘下を奪ったと思っている」
「ええ」
「だが、あの豚が依存している商品は——」
「アルカスからしか来ない」
セバスが、静かに頷いた。
「罠が、閉じ始めましたな」
「ああ」
俺は窓の外を見た。
5点は痛い。
だが、この先の展開で取り返す。
「……待ってろよ、兄上」
そして、覚悟しておけ、豚。
反撃は、これからだ。
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