22話:平穏と綻び
帰還から一夜明けた朝。
俺はセバスを伴い、街の視察に出ていた。
「いい天気だな」
冬の陽光が、タール舗装の道路を照らしている。
1年前は泥濘だらけだったこの道が、今では馬車がすれ違えるほど広く整備されていた。
道沿いには新しい建物が立ち並び、煙突からは白い煙が立ち上る。石炭の暖房だ。
「殿下がお留守の間も、開発は順調に進んでおります」
セバスが手元の帳簿をめくりながら報告する。
「コークス炉は現在三基が稼働。月産でゼクス様への納品分を確保しつつ、余剰分の備蓄も進んでおります。ジャガイモは先月の収穫で備蓄量が三ヶ月分を超えました」
「上々だな」
「はい。そしてアンモニア肥料の効果で、来春の作付け面積を二倍に拡大する計画も——」
セバスの声が、ふと途切れた。
俺たちの前を、荷車を引いた男が横切る。荷台には家財道具が山積みになっていた。
「……新しい住民か」
「ええ。ベルンや周辺の村から、毎日のように人が流入しております」
街を歩くと、その変化は一目瞭然だった。
1年前は閑散としていた広場に、今は露店が並んでいる。子供たちが走り回り、職人が槌を振るう音が響く。
活気がある。人が増えている。
——だが。
「セバス。あれは?」
俺は街の外れを指さした。
城壁の内側、空き地だったはずの場所に、粗末なテントが並んでいる。
数は……ざっと見て百張り以上。
「……新参の民でございます。住居の建設が追いついておらず、一時的にテント暮らしを」
セバスの声が、わずかに硬い。
「一時的、か」
「はい。木材の調達と大工の手配を急いでおりますが、人口の増加速度が想定を上回っておりまして」
俺は黙ってテント村を眺めた。
寒空の下、焚き火を囲む人々の姿が見える。子供を抱いた母親や老人。
彼らは「より良い暮らし」を求めてアルカスに来たはずだ。なのに、テント暮らし。
(……見通しが甘かったな)
コークスもジャガイモも順調。でも、それを支えるインフラが追いついていない。
典型的な成長痛だ。前世の知識があっても、こういう泥臭い問題は現場で起きる。
「住居以外に問題は?」
「……一点、懸念がございます」
セバスが言いにくそうに口を開いた。
「水、でございます。井戸の数が足りておりません。現在、新参の民は古参の民の井戸を借りる形で凌いでおりますが……」
「軋轢が生まれている、と」
「はい。今のところ大事には至っておりませんが、このまま人口が増え続ければ——」
「……それと、もう一点」
セバスが声を落とした。
「ここ数ヶ月、新参の流入が不自然に多いのです。通常の噂だけでは説明がつかない規模で」
「……どういう意味だ」
「まだ確証はございませんが、誰かが意図的に人を送り込んでいる可能性も」
俺は眉をひそめた。
意図的に、人口を増やす? 誰が、何のために——。
「調べておいてくれ」
「承知いたしました」
セバスの言葉を遮るように、背後から声がかかった。
「殿下」
振り返ると、エレオノーラが歩いてきた。
旅装束に身を包み、背には荷物を背負っている。
「出立か」
「はい。王都への報告がございますので」
彼女は俺の前で足を止め、騎士の礼を取った。
「此度の遠征、お供させていただき光栄でした」
「……こちらこそ、世話になった」
あの窪地での作戦。彼女がいなければ、俺は自分を見失っていたかもしれない。
「後悔がなくとも痛みは持ち続けてください」——あの言葉は、今も胸に残っている。
俺は何か気の利いたことを言おうとした。
感謝を。あるいは、また来てくれという誘いを。
「その……」
だが、言葉が出てこない。
彼女の真っ直ぐな瞳を見ていると、なぜか言葉が詰まる。
「……報告書、期待している」
(……何を言ってるんだ俺は)
我ながら、あまりに味気ない台詞だった。
「また来てくれ」の一言が、なぜ出てこない。
エレオノーラが目を瞬いた。
「……報告書、ですか」
「ああ、いや……道中、気をつけて」
結局、当たり障りのないことしか言えなかった。
エレオノーラは少し間を置いて、こちらを見た。
その目が、わずかに細められる。
「……殿下は」
「ん?」
「窪地では冷徹な采配をなさるのに、こういう時は随分と——」
そこで言葉を切り、彼女は小さく首を振った。
「いえ、何でもありません。報告書、しかとお届けいたします」
彼女はそう言って、再び礼を取った。
その口元が、かすかに緩んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。
「では、失礼いたします。殿下もご自愛を」
エレオノーラは踵を返し、門へと歩き出した。
その背中を見送りながら、俺はなぜか調子が狂っていることに気づく。
(……疲れてるのか)
いつもなら理路整然と話せるのに、妙に言葉が出てこなかった。
「殿下」
セバスの声で我に返った。
「何だ」
「……何でもございません」
老執事の顔には、何とも言えない表情が浮かんでいた。
慈愛のような、憐憫のような、あるいは——生暖かい何か。
「その目をやめろセバス」
「何のことでしょうか」
「お前、絶対何か思ってるだろ」
「恐れながら、殿下の女性へのご対応について思うところは——」
「言うな」
俺はため息をついた。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
住居問題。水問題。インフラの整備。やるべきことは山積みだ。
「セバス、午後から会議を——」
その時だった。
「殿下!」
息を切らせたガルドが、こちらに駆けてくる。
その表情は、明らかに平時のものではなかった。
「どうした」
「東の井戸で揉め事だ! 新参の連中と古参の住民が取っ組み合いを始めやがった!」
俺とセバスは顔を見合わせた。
懸念していたことが、もう起きた。
「……行くぞ」
俺は踵を返し、東へと走り出した。
平穏な日常は、半日と持たなかった。
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