21話:幕間 鉄血の男と紅蓮の騎士
【ゼクス・フォン・エンヴァルト】
戦いが終わり、砦に静寂が戻った夜。
俺は司令塔のバルコニーで、一人葉巻を燻らせていた。
肩の矢傷が疼く。だが、生きている。部下たちも生きている。
それだけで十分だ。
眼下では、兵士たちが焚き火を囲んで眠りについている。
疲労と安堵が入り混じった顔。明日には家族の元へ帰れる者もいるだろう。
「……あの小僧、いや、アレン殿下か」
俺は煙を吐き出しながら、今日の出来事を振り返った。
***
最初に会ったのは、一年ほど前だったか。
王都からの紹介状を持った、16歳の若造。
正直、期待などしていなかった。
第三王子。継承権は最下位。与えられた領地は北の荒野。
どう見ても「捨て駒」だ。そんな奴が、俺に何の用だと思った。
だが、あの時の会話を覚えている。
『ゼクス卿。私はあなたに、武器を売りに来ました』
物怖じしない目。俺を値踏みするような、冷静な眼差し。
16歳の小僧が、歴戦の武人である俺を前にして、一切怯まなかった。
そして、あいつが持ち込んだ「鋼鉄の剣」と「コークス」。
最初は半信半疑だった。だが、実際に手に取ってみて、俺は自分の目を疑った。
切れ味、耐久性、どれを取っても王都の一級品を凌駕している。
しかもこれが、あの荒野で作られたものだと?
『我が領の特産品です。継続的に納品できます』
淡々と語るあいつの顔には、自信があった。
ハッタリではない。確信だ。
俺はその場で契約を結んだ。
商売としても悪くなかったが、それ以上に——あの小僧に興味が湧いた。
***
そして今日。
魔物の大群に囲まれ、俺たちは死を覚悟していた。
いくら良い武器があっても、数の暴力には抗えない。
あと半日持てば御の字。そう思っていた。
そこに、あいつが現れた。
『ゼクス殿、援軍に来た! 作戦があるが一時的に指揮権を譲ってもらってもいいか?』
普通なら断る。戦場で見ず知らずの若造に指揮権を渡すなど、狂気の沙汰だ。
だが、俺はあいつの目を見て、即座に決めた。
『好きにしろ。この砦と俺の命、あんたの「策」とやらに預ける』
なぜそう言えたのか、自分でも分からん。
ただ、あの目を見た瞬間、「こいつなら何とかする」と思えた。
そして——あいつは本当に、何とかしやがった。
***
あの「ガス」とやらを見た時、正直、背筋が凍った。
魔物どもが、声も上げずにバタバタと倒れていく。
血も流れない。悲鳴も上がらない。
ただ、命が消えていく。
あれは戦じゃない。「処理」だ。
俺は長年戦場に立ってきたが、あんな光景は見たことがない。
恐ろしいと思った。
あんなものを持っている奴が、いずれ王になるかもしれない。
それは、この国にとって幸なのか、災いなのか。
だが——
俺は、あいつの顔を見た。
作戦が成功した後、勝利の歓声が響く中、あいつは一人、窪地を見下ろしていた。
その顔には、勝利の高揚などなかった。
ただ静かに、自分がやったことを見つめていた。
あいつは分かっている。
自分が何をしたのか。その重さを。
だから俺は、あいつの手を握った。
『礼を言う。部下たちは助かった』
あれは本心だ。
方法が外道だろうと何だろうと、あいつは俺の部下を守ってくれた。
それだけで、俺には十分だ。
「……面白い奴が出てきやがった」
俺は葉巻の火を消し、夜空を見上げた。
王位継承戦。本命はヴァリウスとリアンだと言われている。
だが、俺はもう一人、注目すべき男を知っている。
アレン・フォン・シンラ。
あの小僧が王座に座る日が来るのか、それとも途中で潰されるのか。
どちらにせよ、見届ける価値はありそうだ。
「……せいぜい生き残れよ、小僧」
北の夜空に、星が瞬いていた。
***
【エレオノーラ・フォン・クライツェン】
アルカスへ向かう帰路の馬車の中。
私は窓の外を流れる景色を眺めながら、考え込んでいた。
隣の馬車には、アレン殿下が乗っている。
あの方は今、何を考えているのだろう。
***
査察官としてアルカスに派遣された時、私は殿下のことを侮っていた。
『顔だけの軟弱者』
そう思っていた。
確かに顔は整っていたけど、私の心には何も響かなかった。
むしろ、その整った顔立ちが、かえって頼りなく見えた。
だが、最初の会話で、その認識は揺らいだ。
『なぜ悪魔との契約という出まかせを信じ、我らの特産品という主張は信じないのです?』
穏やかな顔のまま、理路整然と反論してきた。
私が口を挟む隙もなく、論点を封じられた。
あの時、悔しいと思った。同時に——見直した。
領地を視察して、その認識はさらに覆された。
石炭の採掘。コークス炉の稼働。ジャガイモ畑の広がり。
魔法も、悪魔の契約も使わず、純粋な「知恵」と「技術」だけで、あの荒野をここまで発展させた。
けれど、有能なだけではなかった。
肥料の貯蔵庫で、私が臭いに顔をしかめた時。
『慣れますよ』
殿下は笑っていた。涙目の私を見て、楽しそうに。
あの時は腹が立った。だが今思えば、あれは意地悪ではなく、ただの——親しみやすさだったのかもしれない。
ポテトガレットを勧められた時もそうだ。
『どうぞ、召し上がってください』
査察中だと断ろうとしたのに、結局三切れも食べてしまった。
殿下は得意げな顔で「お気に召したようで」と言った。
私は「査察とは関係なく、個人的な感想です」と言い訳した。
——なぜ、言い訳などしたのだろう。
冷徹な策士かと思えば、妙に人懐こい。
有能かと思えば、時折ニヤニヤと何か企んでいる顔をする。
掴みどころがない。不思議な方だ。
そう思っていた。
***
そして、今回の戦い。
あの「ガス」を見た時、私は吐き気を催した。
騎士として、あのような戦い方は認められない。
毒と窒息で、抵抗する間もなく命を奪うなど、外道の所業だ。
だが——
私は、殿下の顔を見ていた。
作戦を指示する時、殿下の表情には迷いがなかった。
冷徹に、的確に、命令を下していた。
まるで、自分がこれから何をするのか、完全に理解した上で。
そして、作戦が成功した後。
勝利の歓声が響く中、殿下は一人、窪地を見下ろしていた。
あの目を、私は忘れない。
勝利の高揚などなかった。
かといって、後悔や罪悪感に苛まれている様子でもなかった。
ただ静かに、自分がやったことの重さを、受け止めているように見えた。
『綺麗事で人は守れない。俺は、この手を汚す』
出発前に殿下が言った言葉を思い出す。
あの方は、分かっていたのだ。
自分がやろうとしていることが、どれほどの外道か。
それでも、守るために、その道を選んだ。
***
私は騎士だ。
正義を重んじ、法を守り、弱き者を守る。それが騎士の誇りだ。
だが、今回の戦いで、私は思い知らされた。
「正義」だけでは、守れないものがある。
あの砦にいた500人の兵士たち。
彼らが今、生きて家族の元へ帰れるのは、殿下の「汚れ仕事」のおかげだ。
私の「正義」では、彼らを救えなかった。
『貴殿がその「力」と「罪」を背負い、民を守るために戦い続けるならば……私は貴殿の盾であり続けます』
私はそう誓った。
あの言葉に、嘘はない。
だが、それだけではない。
私の中に、もう一つの感情が芽生えていた。
——尊敬、だ。
全てを分かった上で、悪役を引き受ける。
汚名を被ることを恐れず、守るべきものを守る。
その覚悟を、私は尊敬せずにはいられない。
騎士道とは違う道。
だが、それもまた一つの「王道」なのかもしれない。
***
馬車が揺れ、私は物思いから覚めた。
窓の外には、アルカスの街並みが見え始めている。
煙突から立ち上る煙。舗装された道。畑を耕す人々の姿。
あの方が守ろうとしているもの。
私も、その一端を守る力になれるだろうか。
『もし殿下が、この力を魔物だけでなく——人に向けるようなことがあれば。その時は、騎士として剣を向けます』
私はそう誓った。その覚悟は今も変わらない。
だが、同時に思う。
あの方は、きっとその一線を越えない。
根拠はない。ただの直感だ。
だが、あの窪地を見下ろしていた殿下の目を思い出すと、そう信じられる。
「私は殿下の盾。それだけだ。……それだけで、いいはずだ」
小さく呟いた言葉は、馬車の音にかき消された。
アルカスの門が、近づいてくる。
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