20話:帰る場所
俺は司令塔の上で、風に吹かれながらその光景を見下ろしていた。
隣で座り込んでいたゼクスが、苦しげな息の下から、絞り出すように声をかけてきた。
「……おい、小僧。いや、アレン殿下。あんた、とんでもないモンを持ち込みやがったな」
彼は深く息を吐いた。
「……だが、礼を言う。部下たちは助かった」
ゼクスは震える手で、自分の血に濡れた手袋を脱ぎ、素手を差し出してきた。
それは、武器商人としてではなく、一人の「戦友」として認める握手だった。
俺はその手を握り返した。
砦には、遅れて勝利の歓声が響き始めた。
しかし、俺の心には、あの窪地の静寂が焼き付いていた。
***
戦いの興奮が冷め、冷たい夜風が吹き抜ける司令塔のバルコニー。
傷の手当てを終えたゼクスは、葉巻を取り出し、震える手で火をつけた。
「……あのガスの件だがな」
ゼクスは眼下の窪地——今は土砂で埋め立て作業中の「墓場」——を見下ろした。
「安心しろ。あんなモン、俺だって二度と見たくはない。あれは戦じゃない。ただの『処理』だ」
彼は苦々しい顔で煙を吐いた。
「英雄譚にはならんし、広めれば逆に『卑怯者』の汚名を着せられかねん。この砦にいる者には箝口令を敷く。公式記録には『殿下の火計と奇策により撃退』とだけ残そう」
「助かる。こちらも『禁忌の魔法』と騒がれるのは御免だ」
ゼクスは短く頷き、部下たちの元へ戻っていった。
入れ替わるように、エレオノーラが俺の隣に立った。
彼女はしばらく無言で夜空を見上げていたが、やがてゆっくりと視線を合わせてきた。
「……騎士道精神に照らせば、貴殿の行いは外道です」
声は硬い。だが、そこに軽蔑の色はなかった。
「毒と窒息で、抵抗する間もなく命を奪うなど、あってはならない」
彼女は視線を下げ、城壁の下で焚き火を囲み、泥のように眠る兵士たちを見た。
生き残った500人の命。彼らが今、生きて家族の元へ帰れるのは、俺の「汚れ仕事」のおかげだ。
「ですが……私は『結果』を否定できません。貴殿の手は汚れました。恐ろしいほどに。しかしその汚れた手で、貴殿は確かに彼らを守り抜いた」
エレオノーラは静かに告げた。
「私の判断は変わりません。今はまだ、剣を抜く時ではない。貴殿がその『力』と『罪』を背負い、民を守るために戦い続けるならば……私は貴殿の盾であり続けます」
「……ありがとう」
「ですが、忘れないでください」
彼女の声が、少し柔らかくなった。
「あのような殺戮に『慣れ』てしまわないでください。後悔がないとしても……痛みだけは、持ち続けてください。それが、人としての最後の一線ですから」
俺は黙って頷いた。
彼女の言葉は、冷たい夜風の中で妙に温かく響いた。
***
一夜明け、朝霧が立ち込める砦の右翼側。
俺、ゼクス、エレオノーラ、そしてヴォルフの4人は、窪地の縁に立っていた。
眼下には、外傷のないまま息絶えた数千の魔物の死体が折り重なっている。
このままでは「毒殺」の痕跡が明らかだ。検死官が見れば一発でバレる。
「昨夜も話した通り、今回の件を公にするのは危険だ。魔物の襲来は『火計』により撃退ということでいいか?」
俺の提案に、ゼクスは短く鼻を鳴らした。
「ああ、異論はない。『窒息死』なんて陰気な死に様より、『業火に焼かれて全滅』の方が敵への見せしめにもなる。それに、アンモニアとタールを使ったのは事実だ。嘘は言っていない」
「その通りだ。窪地の魔物もタールで焼き払っておこう。それで矛盾はなくなる」
ゼクスが合図を送ると、窪地に残っていたタール樽が追加で投げ込まれ、松明が投下された。
ボオォォォッ!!
猛火が窪地を包み込んだ。
黒い煙と共に、証拠も、魔物の死体も、すべてが灰へと変わっていく。
エレオノーラも、燃え盛る炎を見つめながら静かに頷いた。
「……承知しました。王都への報告は『国境防衛に成功』とのみ伝えます」
彼女は手帳を取り出し、昨夜の記録——ガスに関する記述があるページ——を破り取った。
そして、それを炎の中へ投げ捨てた。
紙片がヒラヒラと舞い、炎に飲まれて消える。
「私も証人として、殿下の『火計』の鮮やかさを証言いたします」
ヴォルフも深く頭を下げた。
「このヴォルフ、殿下の影となり、光となりて支えましょう」
炎は半日燃え続け、窪地はただの焦げた穴となった。
北の守りは盤石となり、ゼクスとの盟約は「血と秘密」で結ばれた。
***
帰路の馬車の中。
俺は窓の外を流れる雪景色をぼんやりと眺めていた。
瞼の裏に、あの窪地の光景が蘇る。
声もなく倒れていく魔物たち。抵抗する間もなく、命が消えていく。
俺がやったことだ。
俺の命令で、数千の命が一瞬で消えた。
後悔は、ない。
やらなければ、ゼクスの兵が死んでいた。アルカスの民が危険に晒されていた。
天秤にかけるまでもない選択だった。
だが——
転生したばかりの頃は、こんなことになるとは思わなかった。
最初は、ただ証明したかっただけだ。
俺のやり方は間違っていない。正しい理屈で、正しい結果を出す。
そんな、自分本位な理由だった。
いつからだろう。
セバスの忠義。ガルドの信頼。ゲイルの職人魂。リーネの不器用な優しさ。ミーシャの商魂。
ゼクスの武骨な握手。エレオノーラの真っ直ぐな正義。
あの夜、広場でスープを食べて涙を流した老婆の顔。
いつの間にか、俺の周りには——守りたいものが、たくさんできていた。
窓の外には、遠くアルカスの街並みが見え始めていた。
煙突から立ち上る煙。舗装された道。青々とした畑。
1年前は何もなかった荒野が、今は人々の営みで溢れている。
俺は、あそこを守りたいんだ。
ふと、高橋のことを思い出した。
あいつが限界だと分かっていたのに、俺は何もしなかった。
「俺が関わったところで、何が変わる」——そう言い訳して。
今度は、逃げない。
王になりたいわけじゃない。
魔王軍を倒したいわけでもない。
ただ——あの場所を、あの人たちを、守りたい。
そのために、手を汚す覚悟はできている。
これが、王になるということなのかもしれない。
馬車がアルカスの門をくぐった。
「お帰りなさいませ、殿下!」
門番の兵士たちが敬礼する。
俺は軽く手を挙げて応えた。
「ただいま」
その言葉が、自然と口から出た。
ここが、俺の帰る場所だ。
【現在運命点:440】
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