18話:見えざる刃
「セバス、エンヴァ国と北壁砦の情報を整理しろ。魔物の種類、推定される数、地形、全てだ」
「御意」
セバスは即座に動き出した。
(魔物の大群を、正攻法で迎え撃つ——それは愚策だ)
ゼクスの精鋭部隊と、俺たちが提供した武器があっても、「数が桁違い」と言わせるほどの群れ。
正面からぶつかれば、犠牲は計り知れない。
(だが、方法はある)
***
数時間後。作戦会議。
執務室には、セバス、ゲイル、エレオノーラが集まっていた。
「まず確認したい」
俺は口を開いた。
「魔物は、人や動物と同様に呼吸をする。肺があり、血が巡り、酸素を必要とする。それで間違いないか?」
エレオノーラが頷いた。
「ええ。北の山岳地帯に生息するオークやゴブリン、雪男の類は、知性は獣並みですが、生物としての構造は人間と大差ありません」
「毒は効くか?」
「並の毒では、腹を壊す程度でしょう。生命力が人間より遥かに高いので」
「そうか」
俺は地図を広げた。
「だが、『呼吸』を止められれば話は別だ」
全員の視線が、俺に集中した。
「コークス炉の稼働中、ある条件下で発生するガスがある。無色、無臭。だが、吸い込めば——呼吸をする全ての生物が死ぬ」
沈黙が落ちた。
エレオノーラが眉をひそめた。
「……それは、毒ガスということですか」
「厳密には違う。炎が不完全に燃えた時に出る気体だ。毒というより、『酸素を奪う』と言った方が正確か」
俺は淡々と説明を続けた。
「作戦はこうだ。まず、アンモニアの刺激臭と、タールを使った火炎弾で魔物を誘導する。目標は、風下の窪地」
指が地図上を滑る。
「そこに、炉から発生させたガスを流し込む。窪地に溜まったガスは、目に見えない。魔物どもは何が起きているかも分からないまま——」
俺は言葉を切った。
「——窒息して死ぬ」
再び、沈黙。
ゲイルが低い声で呟いた。
「……殿下。それは、戦というより——」
「虐殺だ。分かっている」
俺は正面からその言葉を受け止めた。
「剣で斬り合う戦いじゃない。一方的な殺戮だ。相手が魔物であっても」
セバスが静かに問うた。
「殿下は、それを——お覚悟の上で?」
俺は窓の外を見た。
北の空は、相変わらず暗い雲に覆われている。
「覚悟も何もない」
声は、自分でも驚くほど冷たかった。
「やらなければ、ゼクスの兵が死ぬ。砦が抜かれれば、次はアルカスの民が死ぬ。天秤にかけるまでもない」
俺は振り返り、全員の顔を見渡した。
「綺麗事で人は守れない。俺は、この手を汚す」
誰も、何も言わなかった。
やがて、ゲイルが口を開いた。
「……分かりやした。移動式の炉を用意します。馬車に積んで、現地でガスを発生させられるようにする」
「頼む。それと、ガスを溜める袋も必要だ。なめした革を縫い合わせて、タールで目張りしろ。気密性が命だ」
「了解です。革職人を総動員します」
セバスも頷いた。
「私は、砦周辺の地形を調べます。特に風向きと窪地の情報を」
「ああ。早馬をゼクスに飛ばして、詳細な地図を送ってもらえ」
二人が退室し、残ったのは俺とエレオノーラだけになった。
***
「殿下」
エレオノーラの声が、静かに響いた。
「先ほどの作戦、私も同行します」
「監視役として、か」
「それもありますが——」
彼女は腰の剣に手を置いた。
「正直に申し上げます。先ほどの作戦、私は……恐ろしいと感じました」
「だろうな」
「目に見えない気体で、一方的に命を奪う。それは、戦士の戦い方ではありません」
俺は黙って聞いていた。
「ですが」
エレオノーラは続けた。
「殿下の言葉も分かります。綺麗事で人は守れない。戦場では、勝たなければ全てを失う」
彼女は俺の目を真っ直ぐに見た。
「だからこそ、私は同行します。監視役として——そして、歯止めとして」
「歯止め?」
「はい」
彼女の声が、一段と低くなった。
「もし殿下が、この力を魔物だけでなく——人に向けるようなことがあれば」
「……」
「その時は、騎士として剣を向けます。たとえ相手が王子であろうとも」
俺は彼女の目を見返した。
そこには、脅しや敵意はない。
純粋な「正義」への信念があった。
「……ありがとう」
俺は静かに言った。
「そういう人間が傍にいてくれるのは、ありがたい」
エレオノーラは少し驚いた顔をした。
「……意外ですね。怒るかと思いました」
「怒る理由がない。お前の言う通りだ」
俺は窓際に歩み寄った。
「力は、使い方を間違えれば災いになる。それを止める人間は必要だ」
「……」
「俺は今から、この手を汚す。だが、どこまで汚していいか——その線引きは、お前に任せる」
振り返り、手を差し出した。
「頼めるか?」
エレオノーラは数秒、俺の手を見つめていた。
やがて、その手を握り返した。
「……承知しました。騎士の名において、殿下の『歯止め』を務めます」
「ありがとう」
俺たちは固い握手を交わした。
異性としての感情は、相変わらず皆無だろう。
だが、今はそれでいい。
信頼できる「戦友」がいる。それだけで十分だ。
***
出発の朝。
アルカスの広場には、遠征部隊が整列していた。
馬車には移動式の炉、タールの樽、アンモニア水の容器、そして巨大な革袋が積み込まれている。
「殿下、準備完了です」
ゲイルが報告した。
「革袋は全部で十二。タールで目張りしてあります。中身が漏れることはありません」
「よくやった」
俺は馬車を見上げた。
これが、俺の「武器」だ。
剣でも魔法でもない。目に見えない死を運ぶ、化学兵器。
「では、出発する」
俺が号令をかけようとした時——
「殿下」
涼やかな声が響いた。
振り返ると、リーネが立っていた。
相変わらずの無表情。だが、その手には小さな包みが握られている。
「これを」
差し出されたのは、布に包まれた何か。
「開けてみてください」
俺は布を解いた。
中にあったのは、携帯用の干し肉と、小さな革袋。
革袋の中身は——砂糖だった。
「道中、疲れた時に」
それだけ言って、リーネは踵を返した。
「……あ、おい」
「ご武運を」
振り返らずに、彼女は去っていった。
俺は手の中の贈り物を見下ろした。
砂糖。貴重品だ。
(……相変わらず、分かりにくい女だな)
だが、口元が緩むのを止められなかった。
「殿下、顔がにやけていますよ」
エレオノーラが冷たく指摘した。
「……気のせいだ」
俺は贈り物を懐にしまい、馬車に乗り込んだ。
「出発!」
号令と共に、部隊が動き出す。
北へ向かう道は、まだ雪が残っていた。
(ゼクス、待っていろ。必ず間に合わせる)
俺は北の空を睨みながら、心の中で呟いた。
これから俺は、戦場に「工場」を持ち込む。
そして、目に見えない刃で——敵を殲滅する。
王位継承のために。
アルカスの民のために。
そして何より——俺自身が生き残るために。
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