0話:前世
※1話から読んでも大丈夫。ただ、0話を読むと「あのシーン」の意味が変わります。
「この会社、終わってるよな。俺らがどんだけ頑張っても上が腐ってんだから意味ねえよ」
俺は同期の愚痴に頷きながら、缶コーヒーを傾けた。
深夜の喫煙所。蛍光灯がジジジと音を立てている。
研究棟の窓からは、まだ明かりが漏れていた。誰かが残業している。いつものことだ。
「上は現場のこと何も分かってねえんだよ。納期だけ押し付けて、人は増やさない。予算も削る。で、『なんとかしろ』だろ? バカじゃねえの」
「ほんとそれ」
俺は適当に相槌を打った。
入社して五年。最初の頃の熱意なんて、とっくに擦り切れていた。
学生時代は違った。
研究が楽しかった。新しい発見に心が躍った。世の中を良くする技術を作るんだと、本気で思っていた。
今は——ただ、日々をこなすだけだ。
言われたことをやる。無理な要求には愚痴を言う。でも逆らわない。
逆らったところで何も変わらない。この会社はそういう場所だ。
「俺らがいくら頑張っても、上が腐ってたら意味ねえよな」
同期の言葉に、俺は深く頷いた。
——そうだ。悪いのは環境だ。俺たちじゃない。
そう思うことで、なんとか自分を保っていた。
***
それから半年後。
後輩の高橋が死んだ。
入社二年目。真面目で、要領は悪いが、誰より努力する奴だった。
入社した頃は目が輝いていた。実験が楽しい、新しいことを学べるのが嬉しい、と言っていた。
半年で、その目から光が消えた。
「大丈夫です」
高橋は笑っていた。
疲れ切った顔で、目の下に隈を作りながら、それでも笑っていた。
俺は気づいていた。
あいつが限界だってことくらい、見れば分かった。
でも、声をかけなかった。
——俺が関わったところで、何が変わる?
そう思った。
会社が悪い。環境が悪い。俺一人が何かしたって、どうにもならない。
だから、見て見ぬふりをした。
高橋は、自宅で倒れているところを発見された。
過労だった。
葬儀の後、誰かが言った。
「仕方ないよ。あいつ、メンタル弱かったから」
俺は何も言えなかった。
——仕方ない?
違う。仕方なくなんかない。
あいつは必死に頑張っていた。助けを求める余裕すらなかっただけだ。
俺は気づいていたのに、何もしなかった。
「環境が悪い」「会社が悪い」——そう言い訳して、目を逸らした。
高橋の机を片付ける時、引き出しから一冊のノートが出てきた。
実験のアイデアがびっしり書き込まれていた。
最後のページには、こう書いてあった。
『もう少しで結果が出そう。頑張ろう』
——こいつは、最後まで諦めてなかったんだ。
俺は、いつから諦めていた?
いつから「仕方ない」で済ませるようになった?
学生時代、研究発表で教授に褒められた日のことを思い出した。
「君の着眼点は面白い。将来が楽しみだ」
あの時、俺は本気で世界を変えられると思っていた。
入社した頃もそうだ。
先輩に「お前は見込みがある」と言われて、嬉しくて夜中まで実験した。
新しいデータが出るたびに心が躍った。
いつから、こうなった?
環境のせいにして、愚痴を言うだけの人間に。
高橋のノートを見つめながら、俺は決めた。
——もう一度、やってみよう。
あいつの分まで。いや、自分のために。
まだ諦めるには早い。
***
それから俺は変わった。
愚痴を言う時間を減らした。データと向き合う時間を増やした。
夜中まで実験を繰り返し、週末も研究室に通った。
三ヶ月後、手応えのある結果が出た。
新しい触媒の配合。従来より効率が15%向上する。
コスト削減にも繋がる。実用化できれば、会社の主力製品になり得る。
データを揃え、資料を作り込んだ。
論理の穴がないか、何度も確認した。
課長へのプレゼンは、完璧だった。
「……これは、すごいな」
課長の目の色が変わった。
「いいじゃないか。上に持っていこう」
——通った。
久しぶりに、心が躍った。
やればできる。諦めなければ、結果は出る。
部長へのプレゼンも、課長が同席してくれた。
データを示し、効果を説明し、実用化までのロードマップを提示した。
部長は腕を組んで聞いていた。
そして、言った。
「面白いとは思う。だが、今期の計画には入っていない」
「しかし、このデータを見ていただければ——」
「計画にないものは通せない。来期の検討課題にしておく」
それだけだった。
データは見なかった。効果の説明も聞かなかった。
「計画にない」——ただそれだけで、却下された。
課長は申し訳なさそうな顔をしていた。
「すまない。俺からも言ってみるが……」
——理屈は、完璧だったはずだ。
帰り道、俺は考え続けていた。
どこが悪かった? データに不備があったか? 説明が下手だったか?
いや、違う。課長は納得していた。論理的には問題なかったはずだ。
じゃあ、どうすればいい?
もっと圧倒的な結果を出せば、上も黙らせられるか?
……本当にそうか? 今回だって、理屈の上では完璧だったのに。
頭がぐるぐると回る。
答えが出ない。
気づけば、終電を逃していた。
深夜の街を歩く。足元がふらつく。もう三日まともに寝ていない。
信号が赤に変わった。
立ち止まる。
ぼんやりと、向かいのビルを見上げた。
巨大な電光掲示板が、夜空に浮かんでいる。
『転職で、人生を変えよう』
転職サイトの広告だった。
——環境を変えれば。
そう思った瞬間、視界が歪んだ。
足元から力が抜ける。
体が傾く。
クラクション。
眩しいライト。
——環境を変えれば、俺だって——
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