違和感の正体
「阿倍様……やはり、これは月の使者の仕業では……」
震える声で言う女房を、阿倍は一瞥しただけで切って捨てた。
「馬鹿を言え。
月の使者が、わざわざ首を斬り落として持ち去るものか。
奴らにとって、姫は連れ帰るべき宝だ。
壊してどうする」
阿倍の声音には、感情の揺らぎが一切なかった。
その目はすでに、事態を“怪異”ではなく、“事件”として捉えている。
彼は冷徹に、状況の分析を始めた。
まず――
この首のない遺体だ。
阿倍は屍の手を取った。
驚くほど細く、白く、美しい。
だが、その手首に残る匂いは、姫が好んで焚いていた香のものではない。
――白粉。
しかも、宮中の女房たちが日常的に使う、ありふれた香りだ。
「……妙だな」
さらに、死体の傍らに落ちていた一通の書状を手に取る。
そこには、見慣れた姫の筆跡で、こう記されていた。
『地上に未練を残さぬよう、
私は、私を殺します』
「自害、か……?」
阿倍は小さく息を吐いた。
「いや。
自ら首を撥ね飛ばすなど、不可能だ」
彼は視線を上げ、泣き崩れる童たちの一人に歩み寄った。
「お前たち。
姫が殺された時、誰かを見たか。
あるいは――誰が、姫に近づいた」
「だ、誰も……誰もいませんっ!」
一番幼い童が、声を裏返らせて答える。
「暗くなって……急に、風が吹いて……
姫様が悲鳴をあげて……
それっきりなんですぅ……!」
童は阿倍の袴にすがりつき、声を上げて泣いた。
阿倍はその頭を一度だけ撫で、立ち上がる。
そして、ふと部屋の隅に控える女房たちへと視線を向けた。
彼女たちは揃って顔を伏せ、肩を震わせている。
「……おかしいな」
阿倍は、独り言のように呟いた。
「この部屋には、常に十人の女房がいたはずだ。
だが――今、ここにいるのは九人しかいない」
女房たちが、びくりと身を強張らせる。
「――もう一人は、どこへ行った?」
沈黙。
やがて、一人の女房が、消え入るような声で答えた。
「あ、阿倍様……
一番、姫様に忠実だった……
小萩こはぎが……」
「小萩が、どうした」
「ひ、姫様を追いかけて……」
阿倍の目が鋭く細まる。
「追いかけて?
どこへだ。
ここは、密室だぞ」
「わ、わかりませぬ……!」
女房は涙に濡れた顔を上げる。
「ただ……光が射した、その瞬間……
小萩が、姫様の羽衣を掴んで……
そ、そのまま……
光の中に、消えたように見えたのです……!」
阿倍は、何も言わなかった。
ただ、砕けた不死の薬の壺と、
消えた天の羽衣、
そして――首のない遺体を、順に見渡す。
「……なるほど」
その声は低く、静かだった。
「怪異の皮を被った、
人の業の匂いがする」
阿倍は確信した。
(やはりな。かぐや姫、お前の浅知恵、この阿倍御主人には通じぬぞ)
阿倍は立ち上がり、屋敷の外を包囲する兵たちに向かって声を張り上げた。
「皆、聞け! かぐや姫は死んでおらぬ! あの死体は、姫に似た背格好の女房――小萩という女に自分の服を着せ、身代わりとして殺したものだ!」
一同に衝撃が走る。
「姫は『天の羽衣』を纏い、姿を消してこの部屋から脱出した! 羽衣には姿を隠す力がある。女房の首を撥ねて混乱を誘い、その隙に悠々と門を抜けたのだ! 裏の竹林だ! 姫は必ず、慣れ親しんだ竹林を通って逃げる! 追え!」
兵たちが一斉に屋敷の裏手へと雪崩れ込んでいく。
阿倍もまた、腰の太刀を引き抜き、月光に照らされた竹林へと足を踏み入れた。
だが、阿倍の読みは、まだ「半分」に過ぎなかった。
彼は知らなかったのだ。かぐや姫が恐れていたのは、帝でも、月の使者でもなく――。
最も身近にいた、あの「子供たち」であったということを。




