8.漆黒の翼(アルティメット・シュナイゲル)
「貴様がフェリィを突き落としたのか?」
閑散とした部屋に、静かな声が落ちる。余の前に佇む女は、ひそかに眉根を寄せた。
「いいえ、違いますわ」
はっきりとした口調。その眼差しは、たしかに不快感に溢れていた。
「だが直前、貴様はフェリィと口論しているように見えたが」
「それは――」
余の声に、ライラは口をつぐむ。
「何か貴様に不誠実なことがあって、それでフェリィを突き落としたのではないのか?」
「いえ、違いますわ!」
声を上げるご令嬢。
「わたくしがあの方を恨むことはあっても、突き落とすなど、そんな……」
静かに声が消えていく。
「では本当にフェリィが足を踏み外しただけなのか?」
「えぇ……」
誤魔化すような口調に、割り切れぬ思いがある。この女は、何を隠そうとしている?
「では何を話していたのか言ってみろ?」
「それは……」
「やはり言えぬか?」
視線をずらすライラに鋭い言葉を投げかける。
「いえ……言えますわ! 殿下の、弟君のことでございます」
「チェリー?」
「そうです、あの方はチェリー殿下だけでなく殿下も……」
そこでハッと目を開くご令嬢。
チェリーだけでなく余も? なんの話だ?
「いえ、なんでもありません、ではわたくしはこれで」
「待て、貴様は何を隠しているのだ?」
立ち去りかけたその手を掴むと、ライラは振り払おうともがく。
「誤解です殿下、もうこれ以上わたくしから申し上げることはできません! フェリシア様に……」
「フェリィに?」
余の緩んだ手を振り払うライラ。
「ともかく! もう何も喋りませんからね!」
駆けて行くご令嬢。
「フェリィが……」
何かを、隠しているのか?
どうしようもない困惑が頭に浮かぶ。
呆然と突っ立っていると、後ろから足音が聞こえた。
「殿下、探しましたよ!」
振り返ると、水色の髪がこちらに近づいてくる。その手に剣を持って。
「クレアの剣の解析結果が出ました。呪印は魔力を暴走させるもので……」
そう言ってルークは剣を渡す。
ん? クレアの呪印を解析してくれたのか?
「そして、おそらく例の者かと……」
「例の者?」
「その、漆黒の……翼です」
至極言いづらそうに、口を動かすルーク。
「アルティメット・シュナイゲル……?」
なんだその厨二病満載な名前は。
「六年前、チェリア様を襲った、賊です」
その声に、余の顔が強張るのがわかる。
チェリーを、襲った……
「其奴が……呪印をかけているのか?」
低く重厚な声に、ルークは肩を揺らす。
「えぇ、恐らく」
「其奴は、どこにいる? 今すぐ余の前に連れてこい!」
「殿下、お気持ちはわかりますがそれは不可能です。彼奴は滅多なことに証拠を残しません」
悔しそうに拳を握りしめるルーク。
余は手元の剣を見た。呪印を見た。
余がこれを触ることで、何が起きるのかはわからん。だが、それで何かの手掛かりになるのであれば……
「殿下、何を!?」
手袋を口で外し、左手を呪印に当てる。
その瞬間、痛みが襲ってくる。
「うっ……」
「殿下!!」
ルークが駆け寄ってくる。
「何を!?」
痛みがだんだんと治まり、握りしめていた拳を開ける。
前に刻まれた黒い紋様に、さらに模様が加わっていた。
「私が触っても何も起きなかったなのに!? って殿下、そのような危険なことはなさらないで――」
「感じる……」
「え?」
余の声に、ルークが聞き返す。
「気配を、一段と感じるのだ……」
その声に息を呑むルーク。
アルティメット・シュナイゲルなどというふざけた名前を持つ刺客は、恐らくこれを招待状だと余につきつけているのだろう。痛みの代償に、其奴に会えるかも知れぬ、チェリーの目を奪った犯人に!
「ルーク、貴様に命ずる。呪印がかかったものを、全て集めてこい!」
「ですが、をしたら殿下は!」
「良い。殿下なら、そうするであろう……?」
目を見開くルーク。何かを言いかけて、口を閉じ、片膝をつく。
「御意」
その姿が消え、あたりには静かな空間が訪れた。
余の先に、殿下の求める答えがあるのだろうか……
そう思いながら、左手刻まれた紋章を見る。その黒さは、闇をも覆い尽くすようであった。




