3.聖ララステラ学院
「殿下、そろそろお目覚めにならなければ、学院に遅刻いたしますよ?」
その声と共に、眩しい光が目に射し込む。
「なんだ?」
寝ぼけた声で尋ねると、執事は驚いたように目を見張る。
「殿下、どう致しましたか? いつもは二時間ほど前に起きているではありませんか」
「ふぁ……余は随分と早起きなのだな」
「時間がございません! 学院に遅刻してしまいますぞ」
服を脱がしながら、執事が慌てた声をあげる。
「何だそれは?」
「殿下、お気は確かですか。殿下は聖ララステラ学院の一年生でございますよ!」
*
なんだ全く、学院というのは。白く輝く建物への道を辿りながら、大きく欠伸をする。その背中を、誰かが叩いた。
「おはよう、シューデリア!」
誰だ貴様は、そう言いかけた口が閉じる。
今朝、オイドンに言われた言葉が頭をよぎった。
『殿下、お願いですから必要最低限以外は喋らないで下さい』
必要最低限、か。
目の前の赤髪の青年に向かって声をかける。
「あぁ」
「『あぁ』!? 殿下は毎朝必ず『おはよう、クレア』と呼ぶのに!? 貴様、さては殿下ではないな!」
む。此奴の名はクレアと呼ぶのか。
「おはよう、クレア」
そう呼びかけると、クレアはまた目を見開く。
「今のは殿下なら『今日も蜂の巣を叩いたように元気だね』と言うはずだ! さては貴様、殿下ではないな!」
むむ。此奴は少し面倒くさいぞ。
「今日も蜂の巣を叩いたように元気だな」
そう言うと、クレアは立ち止まった。その空いた口は元に戻らない。
「今は絶対にいつもの、あの冷酷な笑みで俺を一瞥するはずなのに! さては貴様、殿下ではないな!」
むむむ。
「なんだ貴様は? 余は皇太子であるぞ?」
「こ、皇太子……殿下が一番嫌っている言葉……」
クレアを無視してて歩みを進めると、その前を塞ぐ赤髪。
「誰だ、お前は!」
「だから言っているであろう、余はシューデリア──」
その時視界を、見覚えのある美しい姿が通った。
「フェリィではないか!」
そう呼びかけて駆け寄ると、フェリィは驚いた顔を浮かべる。
「ご機嫌よう、殿下。珍しい時間においでですね」
「そうなのか? フェリィも、学院とやらに通っているのか」
「えぇ、そうですわ?」
首を傾げるフェリィを、横を通る男共が目を細めて見つめる。余の婚約者は美しいからな。
「全く、朝から変なのに付き纏われてな」
そう言いながら腰を寄せると、フェリィは一瞬顔を強ばらせる。けれど、すぐに微笑んだ。
「まぁ、それは大変でしたね」
余とフェリィを見て、なぜか周囲からは悲鳴が上がる。
「なぜ周りがこうも騒がしいのだ?」
「何故でしょうね?」
フェリィが微笑むと、周りからはさらに悲鳴が上がる。
「きっ、きさま!」
「ん?」
後ろから、息を切らした赤髪が、肩で息をしながらこちらを睨んできた。
「まぁアルフレッド卿、どうなさいましての?」
「フェリシア嬢、聞いてくれよ……」
そう言いかけた視線が、下に動く。
「なっ、シューデリア、ではない、貴様は! フェリシア嬢に何をしているんだ!?」
「なにって、何もしていないが?」
笑いながら、フェリィの腰をさらに引き寄せると、クレアの顔がどんどんと青ざめていく。
「もう我慢できない! 貴様に決闘を申し込む! 俺が勝ったらいつもの殿下と、フェリシア嬢を返してもらおう!」
「アルフレッド卿?」
「余はシューデリアであるが……」
「うるさーい! 本日午後一時、中庭の広場にて貴様を討つ! 覚悟しろ!」
そう吐き捨ててクレアは、建物の中に入っていく。呆然と眺めていた余に、フェリィが困ったように息を吐く。
「アルフレッド卿もおかしくなったのかしら……」
「フェリィ?」
「では殿下、決闘のご武運をお祈りしておりますわ」
そうにこりと微笑んで、フェリィも中へと入っていってしまう。残された余も、中へと入ってみることにした。
中には美しい花が飾られ、同じ服を着た奴等が行き交っている。
「余はどこへ行けばいいのだ?」
「なーに、 独り言? 殿下にしては珍しいね」
その声に振り向くと、そこには水色の髪をした男が立っていた。
「おはようございます殿下。こんな所で立ち止まってどうなさいましたか?」
「あ、あぁ。実は、何をすればいいのか分からなくてな……」
「まさか記憶喪失にでもなったのですか? クラスに向かいましょう」
くすくすと笑い声をたてて、青年は歩き始める。さっきの男とは違って、幾分か話が通じるようだ。
「貴様は誰だ?」
「俺は、ルーク・サジェスタです。殿下の右腕ですよ?」
ニコッと微笑みながら言葉を返してくれる。
「ルークか、よろしく頼むぞ!」
「ふふ、そうですね、初めまして──ですよね? あなたは一体、誰?」
その笑顔の奥に見える、鋭い眼差し。
「余はシューデリアであるぞ?」
「殿下なら、フルネームを言えるはずですよね? 言ってみてください?」
「それは……」
聞き流していたな。確かに自分の名前を言えない人がいるはずがない。
その時、何故か頭に文字が浮かんできた。
「私の名は、シューデリア・ディ・オリビアだよ、ルーク?」
その文字を読むと、ルークからは戸惑いの眼差しが浮かぶ。
「その言い方、確かに殿下ですけど……なんか、雰囲気が?」
「余は殿下であるぞ?」
「ほらそれ! 殿下は"余"なんて言わないですよ!」
疑いの目を向けてくるルーク。
「あ、着きましたよ殿下」
美しく光る扉を開けて、ルークが後ろを振り返る。その顔には、悪戯な笑みが宿っていた。
「ほら、自分の席に着いて下さい?」
「席……?」
中に入ると、ちらほらと座っている人がいる。なるほど、席が決まっているのだな。
「では、ここに座ろう」
椅子に腰掛けると、ルークは残念そうに隣に座る。
「合ってますね……どういうことでしょう、本当に」
「だから余は殿下であるぞ?」
「殿下は"余"なんて言わないですって!」
確かに席は、ルークの視線から予想したものであったが。合っていたし、結果オーライだな。
「皆さんおはようございます」
その声と共に、一斉に静まり返る部屋。
「それでは、授業を始めていきましょう」
前に立った女が、背を向ける。その隙にルークが小声で話しかけてきた。
「殿下、教科書は?」
「……何だそれは?」
その声に、呆れたような顔をするルーク。
「見せてあげますから、ほらどうぞ」
「ふむ……」
開いていたページを読むと、何故だかもう読んだ記憶がある。
「なくても平気のようだな」
「はぁ?」
そう言って、教科書とやらを返すと、ルークの目には戸惑いの色が浮かぶ。
「それでは、エキテシ草を熱してはいけない理由を、シューデリアさん」
「殿下、いきなり当たりましたね! えっと確か答えが……」
ふむ、立ち上がればいいのだな?
立ち上がって頭の中に出てきた文を、声に出して読見上げる。
「エキテシ草は熱すると、毒キノコに変身して周りの動物を食べてしまいます。そのため、一度みじん切りにしてから熱する必要があります? なんだこれは?」
なぜ草が毒キノコになるのだ? キノコが動物を食べるとは、生態系の破壊が起きるぞ?
講師は頷き、後ろを向く。
「正解です。エキテシ草は──」
椅子に腰をかけると、驚愕の瞳でこちらを見つめる水色髪。
「これは……殿下ですね」
「これはとはなんだ、余はいつも殿下であるぞ?」
その声に、微笑みを浮かべた。
「分かりましたよ、偽殿下」
その後も、何度当てられても頭の中に文字が浮かんできた。それを読み上げるたびに、前に立っている講師が驚きの声をあげる。
これは、殿下は相当優秀な人物に違いない。そんな殿下にとって、学院とやらは、少々退屈な場所であるように思えるが。




