14.舞踏会と目覚め
耳を透き通るような音楽がふきぬけ、青年熟女がひらひらと舞う。そんな華やかな舞踏会が始まっていた。
余はというと、大きな椅子の上にふんぞり返って座っていた。この重たい衣装のせいで、余はものすごく太った感覚がするぞ。
父上は立ち上がり、一人の男性と談笑しあっている。あれが恐らく、アイマスクの国王なのだろう。その様子を見続けているとふいに、こちらに鋭い視線を送って来た。音楽が止まり、皆が静まり返る。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます」
厳かな顔で告げる。
「早速ですがお伝えしたいことがあります。この度シューデリア・ディ・オリビア皇太子は、アイリス・アイマスク王女との婚約を発表をいたします」
そうそう、余とアイリス王女と……うん?
「シューデリア殿下が結婚!?」
「ではフェリシア嬢は?」
真っ青な顔色をしたフェリシアと、その隣で顔を突き合わせる彼女の両親。
「ああいや、失礼いたしました。婚約者となったことを発表します」
父上が朗らかに付け足す。その奥の魂胆が丸見えだし、事実この会場にいる者はざわめきを増していた。
「これはアイリス王女と結婚は確実、か」
「フェリシア嬢も可哀想に」
大きくなるざわめきの中、フェリシアが顔を背け大広間から出ていった。
「なっ、フェリィ」
「殿下、挨拶ですわ」
追いかけようとした余を、アイリスの腕が止めた。彼女はそのまま耳に囁いてくる。
「彼女を追いかけたいのなら、わたくしの言うとおりにしてください」
向かってくる多数の客。それらと華麗に会話を交わしつつ、アイリスは扉へと近づいていく。
「今です殿下、行ってください」
「あぁ恩に着る、アイリス!」
そのまま駆けだして殿下の姿は見えなくなった。扉が閉まり、アイリスはそっと息を吐く。
「行かないで、って言いましたら、殿下は――」
「アイリス様?」
「あらこれはワイリーン伯爵、ごきげんよう」
さっと完璧な王女を作るアイリス。
一方、そんな可憐な少女の思惑など知らずに、シューデリアは庭園を駆けていた。
フェリシアはどこにいるのだ。
「庭園が広すぎることが、仇になるとは」
フェリシアなら何処に行く、フェリィなら――
「フェリシア!」
三人で話をした泉のほとりで。彼女はゆっくりと振り返った。その目に涙を浮かべて。
「殿下……」
「フェリシア、聞いてくれ、王女との婚約は――」
「私は殿下のことをお慕い申しております」
はっと、余は目を見開いた。フェリシアは悲しそうに言葉を続ける。
「そして漆黒の翼を雇ったのは、私の両親です」
言葉も出せずに、驚きと混乱で考えることさえできなかった。
今。何を、言っているのだ?
「殿下も分かっていらしたでしょう? 私とあなたの婚約で両親は承諾してくれていたのです。それなのにアイリス王女などと、もう私にはどうすることもできないのです!」
「ど、どういう意味だ? フェリィ、一体何を――」
必死に言葉を絞り出す。
「殿下を殺し、チェリー様を操って王家を自分のものにするのです!!」
「ぁ、え? な、何を……」
たくさんの情報に埋もれて、上手く言葉さえ練れない。
つまり、つまり? どういうことだ、?
そんな思考をかき消したのは、甲高い悲鳴だった。
宮殿の声から聞こえたそれに、反射的に体が動いていた。
勢いよく扉を開けると、静まり返っている大広間。皆は身動き一つせず、ある一点を見つめている。
「父上!?」
父上の首には剣が突き付けられていた。
「何をやっている、衛兵は――」
そう一歩踏み出したところで体が止まった。セメントで固められたように動かない。
「ほっほっほ、いい所に参りましたな殿下」
小狸のような体系をした男と、狐のような細い女。
「お父様、お母様!」
後ろからフェリシアの叫び声。
「黙りなさいメス豚、今日からお前はうちの娘ではありません!」
鋭い形相でフェリシアを睨みつけ、それからこちらへと視線を移す。
「さぁ殿下、しかと目に焼き付けてくださいませ。ご自分の父上が、弟に断罪されている様子を」
その声に、父上に刃を突き立てている者の肩が震える。小さな後ろ姿には見覚えがある。けれど、チェリーなはずが。
「チェリー殿下、さぁ極悪非道なお父上をなぎ倒すのです!」
「何を、あっ、っ、体が勝手に」
段々と振り上がっていく剣先。チェリーのあれは、おそらく呪印の仕業だ。
ではどこかに呪印が、いやそれよりも、チェリーを止めなくては!
鉛のような体を必死に動かして、近くのワインが入ったボトルを手に取る。それを思いっきり振りかぶった。
「なっ!」
甲高い音がして、それはチェリーの後頭部にぶつかった。どくどくとあふれ出すワインが、血のように頭から流れ出す。
「馬鹿な、何故貴様は動けるのだ!?」
「チェリーが助けを求めているからだ!」
そう答えながらチェリーのもとへと足を動かす。剣を持ったままうずくまったチェリーは、必死に目をこすっていた。
「お兄様? お兄様、目が」
「どうした!? ワインが目に入った――」
のか、と言いかけた言葉はそこで止まった。チェリーの目から何かが落ちてきたのだ。薄いレンズのようなそれは、静かに足元へと落ちていった。
「チェ、リー」
恐る恐る弟の目を見る。
そこには、黒い呪印が刻まれていた。
「ま、まつげが入ったようだな。少しさわるぞ」
「はい……」
震える手で手袋を取り、その瞳に手を伸ばす。何故だか分からない、けれどこれが最後の呪印だという確信が、頭をよぎっていた。
瞳に手が触れた瞬間、激痛が体を襲う。それでも目を傷つけまいと、必死に震えを抑える。
「あれ、なんか痛くない?」
瞬きを繰り返したチェリーは、はっと息をのんだ。
「え……」
目の前には、涙をこらえているようなお兄様がいる。
お兄様が、いる。
「お、にいさま?」
震える手をそちらに伸ばすと、その手を見つめ、驚いたようにこちらを見つめるお兄様。
「チェリー……見える、のか?」
「はい、お兄様が涙をこらえているのも!」
その声と共に抱きしめられていた。力強い手が、僕を、抱きしめている。
「チェリー、良かった、本当に良かった!」
「お兄様! う、っ怖かったです……」
背後から、声がした。
「そんな馬鹿な」
狸が青い顔をして、こちらを見上げていた。狐など、手にした扇はどこやら、いつの間にか床にへたり込んでしまっている。
「あれは、最高峰の呪印を、破った、だと」
その後ろからは、両手にワインボトル持ったピンクのドレスが近づいている。
「そんな馬鹿な、あの呪印が敗れるなど――」
「覚悟ーっ!」
狐が振り返った時に見たのは、迫りくるボトルと娘の顏だった。それにタヌキはぽかんと口を開ける。
「フェ、フェリ――」
その名前が呼ばれるより先に破裂音が響き、辺りは静まり返った。
「ふん、いい気味よ」
フェリシアが肩を組んで首を背ける。けれどその顔には、少しの哀しみが浮かんでいた。
「何をしている衛兵。彼奴等は国王殺害未遂を犯した重罪人だぞ?」
朗らかに告げると、慌てて動き出す衛兵たち。気が付けば辺りにはまた、温かい空気とざわめきが漂っていた。
「お兄様、流石です!」
「あぁ、だろ、っ!」
燃えるような痛みが左手の手の平から腕へと広がっていく。そろそろ限界の様だ。
「チェリア、この場は任せた。余は少し野暮用が――」
「行ってしまうのですか?」
可愛らしい一人の少年の目から、涙が滑り落ちた。
「お兄様は、行ってしまうのですね?」
「……あぁ」
その言葉に、息をのむ。
「もう、二度と……帰ってこないのですね?」
「そうだ」
その目からはいくつもいくつも、流れ星のように雫が落ちていく。
「おにい、さま……!」
少年は余に抱き着き、別れを惜しむように強く腕を回す。
「愛して、います!」
「ああ、余も、お前の兄上でいられて、とても幸せだった」
何故かその言葉に涙が零れ落ちた。
このままでいられたらどんなに幸せなことなのだろうか。
ふいに、チェリーがそっと離れた。涙をぬぐい、後から落ちる涙を気にせず、満面の笑顔を浮かべる。
「お兄様……行ってらっしゃい!」
「愛している、チェリー」
そう言って、振り返った。外に出て、庭園を走り抜ける。夜風が頬を撫でた。
左手の痛みがどんどんと増していく。この痛みが頭を、全身を襲うのに、あと数分もかからないだろう。
「あそこに……」
ようやく、目的の場所へとたどり着いた。
余が倒れていた場所。ここなら、締めくくりにふさわしいだろう。
草原に寝っ転がり、夜空を見上げる。満点の星が、きらめいていた。
「記憶を失う、か」
殿下は素晴らしい人だったという。ならばすべての真実に気づいていたはずだ。
そして決断しただろう。
自身の記憶と代償に、チェリーの目を治すことを。
そうして記憶を持たぬ余が誕生したが、それではダメなのだ。殿下でないと成し遂げられぬことが、山ほどあるのだ。
「っ」
痛みがそろそろ限界の様だ。そろそろ仰向けに寝転がらなければいけない。そう思って体を起こした時だった。
「殿下っ!」
幻聴だろうか。今、天使のような声が聞こえたような。暗闇の中から、こちらへ迫ってくるピンク色が見えた。
「フェリ、シア?」
「あぁ殿下、殿下お聞き下さい!」
フェリシアからあふれ出る熱い涙が、ぽたぽた土地に吸い込まれていく。
「殿下、私は殿下のことをお慕い申しております」
段々と意識がもうろうとしてきたな。瞬きを繰り返しても、涙にぬれたフェリィの顏は美しい。
「ですがわたくしは今の殿下も、愛しております!」
あぁ、今、フェリィは、余を愛しているといったな。
余を、愛していると。
「ですのでお願い、あなたは誰なのですか? 教えてください!」
地面に崩れ落ちたフェリィが袖を掴み、必死に問いかける。
余が、誰だと?
そんなもの決まっているではないか。
「余はシューデリア・ディ・オリビアである」




