11.チェリーと婚約者
宮殿の中庭。
余とチェリーは優雅に茶を嗜んでいた。
「あはは、お兄様とこんなに話せるなんてとっても嬉しいです」
チェリーは可憐な笑い声を立てた。
こんな可愛いらしい弟と、殿下はなぜ話さないのだろうか。
「それにしてもお兄様は……別人になられたようですね」
「そうか?」
笑い疲れたのか息を吐いて、チェリーがこちらに問いかけてくる。
「気配も匂いもお兄様のものなのに、距離は縮まっているはずなのに……心の距離が遠い気がします」
「……」
こちらが見えていないはずなのに、余の目を見つめて問いかけるチェリー。
その問いかけは、ただの冗談として聞き流せないほど、重かった。
「実は余はシューデリアではない、と言ったらどうする?」
その言葉に、目が大きくなるチェリー。
「それはないですよ! あなたはお兄様です」
「む」
断言されて、その笑顔に戸惑ってしまう。余が、お前の兄だと、そういうのか? でも、余は――
「殿下、フェリシア嬢が到着されたそうです」
いつの間にかオイドンが後ろに立っていた。神出鬼没な、さすがは老執事と言ったところだろう。
「あぁ、もうすぐフェリィが来るそうだ」
「フェリシア嬢が? もう何年も会っていなくて、楽しみです」
そういえば、婚約者の家族に何年も会わないのはいささか疑問を覚えるな。
「殿下、遅れて申し訳ありません」
後ろからフェリシアの声がした。振り返ると、眉根を寄せた彼女が駆け寄ってきた。淡いピンクのドレスがふわりと風に舞う。
「いつも以上に美しい姿だな。淡い色が似合っている」
「ありがとうございます」
そこでフェリィが顔を、チェリーの方へと向ける。
「……へ」
「フェリシア嬢? いらっしゃるのですか?」
「ちぇ、チェリア、様……?」
みるみるうちにフェリシアの顔から血の気が引いていく。一歩あとずさったその表情には、なんともいえぬ感情が映っていた。
「フェリア?」
「あっ、え、あの……」
動揺した様子で、余の顔を見つめるフェリィ。その手が、助けを求めるようにこちらに伸びてきた。
「フェリシア嬢? どうかしましたか?」
「なんで……なんでチェリア殿下がここに、? え、で、殿下……」
助けを求めるように瞳がこちらを見上げる。抱き着いているその腕は細かく震えている。
「フェリシア、落ち着いてくれ。チェリー、少し散歩してくる」
「? 分かりました」
そのまま震えたフェリィを半ば引きずるように、薔薇園へと連れていく。
「フェリィ、どうした?」
青ざめた顔で荒い息を繰り返すフェリシア。ここまで動揺するということは、つまり……
「フェリシアはチェリーが好きなのか?」
「ち、ちが」
一転、驚いた顔をするフェリィ。けれど、その瞳の奥には恥じらいが浮かんでいるようにも見えた。
本当に、フェリィは……。
動揺する余を前に、フェリシアは気を取り直したように頭を振る。そして優雅に微笑んだ。
「……殿下、私自身のことまで教える義務はございません」
「それは……」
もし、フェリシアがチェリーを好きだとしたら。それは余と結婚させられるフェリシアにとっては、最も悲劇的なものではないか。
「先程は取り乱して申し訳ありません。戻りましょう、殿下」
「あ、あぁ」
チェリーの元へと向かう途中、余もフェリシアも一言も会話をかわさなかった。余はもちろん動揺していたからだが、フェリィは……。
「チェリア殿下、お待たせして申し訳ありません」
「ううん、平気だよ。それより久しぶりだね、フェリシア嬢!」
「えぇ、お元気にしていらっしゃいましたか?」
「僕はずっと元気だよ、お兄様がいるからね!」
二人の微笑ましい様子を見て、余の胸に何やら感情が湧き上がってくる。
「ねぇお兄様?」
「あぁ。ところでチェリー、お前に婚約者はいないのか?」
その言葉に空か気が凍りつく。
「やだなお兄様、僕の婚約者はライラ・カスタード嬢だよ」
「ライラ・カスタード?」
それは、確かフェリシアと口論していた、あの令嬢の名前であるな。其奴がチェリーの婚約者だと?
「うん、それにそのご令嬢は兄様が推薦してきたじゃないか」
「余が?」
余が推薦しただと? あのご令嬢は、そんなに際立って良いところがあるとは思えなかったが。確かに優しそうな方であったな。
「もう、フェリシア嬢聞いてくださいよ。兄様ったら最近、どこかオカシイのですよ」
「まぁ」
フェリシアはくすくすと笑い声をあげる。それにしても、チェリーはフェリシアに随分と信頼を置いているようだな。
「この前も家族で食事していた時に、僕に食べ方を教えてくださったんです」
「食べ方を教えた……」
「本当ですよ、父上なんか声色が凄く驚いていましたから」
ニコニコで言うチェリー。その話を聞いたフェリィの顔にはもう、微笑みは浮かんでいない。
「それは、殿下ではないみたいですね」
「そうなんですよ!」
微笑ましい光景は、いつしか冷めきったものに変わっている。今やフェリシアの表情は思い詰めたものに変わっていた。そして、朧気な夕陽がその顔に影を落としていた。
「それに僕の新しいメイドがみんな優しいけれど、いつも『坊ちゃん、チェリー坊ちゃん』って甘やかしてくるんですよ。もう僕は子供じゃないのに」
「ふふ、可愛らしいですわね」
「あ、フェリシア嬢今笑いましたね!?」
不意に風が吹き、庭園の薔薇の香りを運んでくる。
「殿下、そろそろ冷えますので」
チェリーの後ろにいたメイドが声をかけてくる。
「あぁ、ではチェリーこれでお開きにしようか」
「分かりました。それではフェリシア嬢、また会える機会を楽しみにしています」
「えぇ、私もですわ」
チェリーの動く椅子を押して、宮殿の中に入っていくことを確認する。
「フェリィ、送るぞ」
「ありがとうございます」
二人きりで歩く。無言の空間に耐えきれず、フェリィの横顔をちらりとのぞきみる。美しく整ったその横顔には、憂いある表情が浮かんでいた。
何を、考えているのだろう。余は、其方に何をしてあげられるのだろうか。余には、其方の気持ちが分からぬ。
薔薇の庭園をぬけ、美しい馬車のとまる宮殿の門前まで辿り着いてしまう。そこでようやく、フェリィと目があった。その目には、迷いが見える。
「殿下、本日はありがとうございました」
「あぁ、こちらこそチェリーも嬉しそうだった。機会があればまた、是非」
「えぇ、そう致しますわ」
そう答える瞳は、揺らいでいる。馬車の従者がこちらを催促するようにこちらを見つめる。
「フェリシア、そろそろ」
「……殿下、あの、本日予定はございますか?」
「……? 今日はないが」
帰ってもあの他国のお姫様の相手をするだけだしな。その言葉を聞いて、フェリシアは目を閉じ、小さく息を吸い込む。
「では、わたくしと過ごしてくださいませんか?」
フェリィが、余と一緒に過ごしたいだと? それは、そんなもの、引き受けるしかないだろう!
「あぁ、いいが」
「ありがとうごさいます」
嬉しそうに微笑んでフェリィは余の手を握る。
「では、今夜は私のものですわ、殿下」
「ぁあ」
「では、馬車に乗ってくださいませ?」
余とフェリィが乗った途端に走り出す馬車。遠くでオイドンの叫び声がしたような気がしたが、空耳であろう。
余は胸に僅かな疑問を抱えながら、目の前のフェリシアを見つめていた。




