迷いの儀②
朝の光が紙障子に四角く差し、畳の目がすべてくっきり見えた。
戸がすっと開いて、白衣の巫女が三人、音を立てない足取りで入ってくる。
「失礼いたします、あまね様。お支度を」
最初に素肌を固く絞った布で拭いて、麻の単衣をひやりとした涼しさを羽織る。次に薄絹、帯、袴。結ぶたび、からだが縫い付けられていくみたいで、胸が少しだけきゅっとなる。女の指は早いのに乱暴ではない。髪は低い位置でまとめられ、白い紐で結われた。
廊下の外で、ライが待っていた。今日はいつもより襟元がかすかに固い。
「おはようございます、あまね様。今日からこちらの世界で生活する為に必要な準備をしてまいります。」
控えの間に通されると、先客がいた。白い軍装の男がひとり、窓辺の光を背に立っている。銀髪が朝の光を淡く弾いた。顔には大きな傷があり、天音は姿を見るなり緊張している。
「はじめまして。ジオラル・ラ・シアンだ」
まっすぐ見られると背筋がのびる。声は冷たくないが、余分な揺れがない。
「このたびの儀は私が監督する。終わったら少し甘いものを用意させる、安心したまえ」
「……あ、なかやまあまねです。10歳です…」
「良い名だ、飴を食べるか?」
シアンは天音に小袋を渡した。
天音は受け取ると、中を開いて見た。鳥の形をした飴玉が入っている。
一つ取り出し、口に含むとパチパチと弾けながら、爽やかな柑橘のようなラムネのような味がする。
(わぁぁ///)
天音は頬に手を当て、恍惚とした表情を見せた。
シアンは視線をライへ移し、短くうなずいた。その様子を見て、偉い人なんだろうな・・・と天音は思った。
低い太鼓が一度だけ鳴る。合図だ。ライが盆を差し出しす。白布で覆われた髪と小皿に乗った色黒い血が乗っていた。
「昨夜、神前にお供えしたあまね様の血と髪でございます。供物は神の前で一度“清め”が完了しておりますので、神物に害はもうないものでございます」
天音は、昨夜切られた髪と指先の傷を思い出し、アクィロにハムハムされた指を思い出した。
それから飴の影響か喉が渇いて、水筒を部屋に忘れたことを思い出した。
「いきましょう」
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広間は涼しい。石切をした円壇のまわりに白衣の高神官の様な高齢の人々が並んでいた。壇の反対側には、儀礼衣のアクィロが立っている。目が合うと、指先が疼く。アクィロはただ、大人達に囲まれじっと立っている。その年ならもっと、子供らしく我慢できない様子があってもいいはずであるが、大人のような立ち振る舞い。
「神能の儀を開始いたします」
巫女のような女性達が、誘導するまま進む
アクィロの少し後方に、柔らかな笑みの40代ぐらいの男性が控える。
「神主の側仕えのシゲムネと申します。あまね様、お会いできて光栄です。皆あまね様に感謝しても感謝しきれません。それから本日の進行のお手伝いをさせていただきます。」
シゲムネは日本人の様な見た目なのに、目が緑色で不思議な雰囲気のある。ライはシゲムネに盆を渡すと、巫女達と広間を出て行った。
シアンはアクィロに、跪いて深々と挨拶をする。
「神能の儀を始めることの許可をいただきたいです」
「問題ない。始めよ」
シアンは立ち上がり踵を返すと、呪文を唱え始める
「ヘライルシヘー・カルム」
呪文を唱えると、大きな蛇が地面を割って這い出てきた。蛇は、大人の背丈を余裕で越える程の大きさがある。天音は蛇を見たのは初めてで、3歩ほど後退りをしたのを、さりげなくシゲムネに戻された。
シゲムネが白布をめくる。そこには昨夜の天音の血。シアンは、シゲムネからその血を受け取り蛇に与える。蛇は血を得た後、鈍く銀色に輝いた。それを確認したシアンは少し先に進み円壇の真ん中にて、腰に携えた剣を鞘から抜き床に突き刺すと、まばゆい光と共に、地面に線が描かれていく・・・
火、水、土、木、金と先端に書かれた星が現れその真ん中に白と黒の陰陽マークが作成された。
「さぁ、準備はできた。義を進めたまえ」
そう言うと蛇はその上をスルスルと這っていく。その様子を神官達は息を呑んで見つめていた。
蛇は、巨大な胴体を畝らせながら、「水」の文字の上を通る。すると神官達が声を上げる。しかし、蛇が通過し切ったとき、落胆する声が漏れ聞こえた。
シアンは天音の側まで歩いてきながら、蛇の様子を見ている。
「この世界では水の神の加護を持った者が極端に少ないんだ。気にするな」
気にするなと言われても、何も分からない天音は他の人の顔色を窺うしかなかった。
「お主が居た世界には、神は居るのか?」
「神様は見たことはないです。神社はあります。神様の為のお祭りもあります。」
蛇は、ゆっくり「金」の文字から陰影のマークを通りすぎる
「そうか、こちらの世界には、神が居る。神の加護を持つものが殆どで、能力があるんだ。私の神は光の神で、この日の国の守護者の一人だ。他の神々も居るのだが、大体は火、水、土、木、金、闇、光に属している。」
天音は、言葉に詰まっている。
「そ・・・それは、神様は形があるんですか?銅像みたいなものじゃなく?羽とかあるんですか?」
「神を見ることができるのは、貴族だけなんだ。そして容姿を語る事は禁じられている」
蛇は「火」の文字を、そのまま通り過ぎると、真っ直ぐ天音まで進んでいく。
「え?え?・・・ひい!蛇が・・・!」
蛇はためらいもなく天音の足首へ巻きついた。ぬるりと温かく、痛みはない。天音は恐怖で硬直していること以外は問題が無さそうである。
「これは、初めての事だ・・・ジーバラ。」
シアンが呪文を唱えると、蛇はするするとほどけ、床の影に溶けた。
「照合不成立。該当なし。水・金・闇・光・火を通過している為生活には支障はないだろう」
会場がどよめく中、アクィロの横顔はわずかに緩んで見えた。(よかった、みたいな顔……どうして?)天音は、蛇に巻きつかれた事で、動揺を隠せず感情を露わにする自分より、こんなに小さい男の子の方が自分より大人に見えた。
シアンが周りの動揺した雰囲気を変える
「これより、神力の儀に入る」
円壇の奥に一本の木が立つ。白い幹、薄い光をまとった葉――光の神の御神木が静かに立っていた。さっきまであっただろうか・・・?と天音は首を傾げた。
シゲムネがもう一つの白布を開く。昨夜の髪束が細くまとめられ、白糸で結わわれている。それをシアンは受け取り、御神木の幹が90度に曲がって祭壇のようになっている場所にそっと置いた。
「マカリオス」
バサ!!!…………シーン
草木は大きな音を立てた…………が何も起こらない。物音一つしない静けさに包まれた。
誰かが息を呑んだ音と、ざわめきが場を混乱させた。
「葉一枚も生えないだと…」
シアンは驚きから、天音を見つめた。
シゲムネが、そっとアクィロに耳打ちをする
「あの…何かダメだったのですか?」
シアンは何も言わずに、頭を抱えた。
天音は何がなんだか全く分からないまま、立ち尽くすしかなかった。周りの大人達は騒ぐだけで誰も天音に事情を説明しようとしない。
そんな天音の様子を見てアクィロが天音に近づき、耳元で小さく話す。
「御神木が間違う事もあるんだ、あまり気にしないで。またあった時に説明をするから、大人の話しを鵜呑みにしなくて大丈夫だよ。」
というとニコリと微笑み天音の手を強く握った。
「これにて儀を終了とする」
シアンが号令をかけると、天音を抱き抱え広間を後にした。
天音はとんだ災難になったことは理解しているが、誰かもっと説明をしてほしいと思った。大柄なシアンに抱き抱えられて、父の事を思い出す。家族は元気にしているだろうかと、手を振るアクィロに手を振りかえすしかなかった。




