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神遺界-水の消失-  作者: 鐚銭
神遺界への迷い
4/7

迷いの儀


 目が覚めると、天井には太い木の梁、空気は日向の匂いがした。

 敷いた布団は軽い。胸の上まで掛け直すと、このまま二度寝したくなる。


「これは……夢?」


 そっとあたりを見回す。畳の上、いぐさの青い香り。

 枕元には水筒、ビー玉、たたんだ乾いた服、それから小さな鱗が一枚。

(夢じゃない……)

 水をくぐり、龍に押されてどこかへ落ちた――その感覚が、ゆっくり戻ってくる。


 喉が渇いている。水筒の蓋を回して、ひと口。冷たさが喉から胸へ落ち、乾きがすっと引いた。


「水筒……持ってきてて、よかった……」


 ことん。戸がやさしく鳴いて開く。


「失礼しますよ」


 白と灰を重ねた衣の男がひとり。背は高く、声は低い。胸元に細い印が縫い込まれている。


「気分はどうですか」

「あ、の……ここ、どこですか」

「日の国です」

「日本、ですよね? あなたはだれ?」

 男は小さく首を振った。

「日本ではありません。日の国は光の守護者に守られている国であります」

「えっ」

「私はライ。水神を祀る神主様を補佐する神官でございます」

「私は……あまねです」

「時折、神が住まう世界から迷い人がやってきます。貴方はこの世界に迷い込まれた。これは神の導き。――これからこちら側に適応するための儀式を執り行います。ご準備を。明日の祭事までに済ませることがございます」


 ライが手を打つと、奥の簾の向こうから白い和服の女が入ってきた。盆を静かに運んでいる。


 理解が追いつかないまま、天音は震える声でたずねた。

「あの……帰れますか? 帰り道は?」

 口から言葉がわなわなと溢れる。母と父の顔が浮かぶ。もう会えないの?――涙が勝手にあふれた。


 ライは少しだけ目を伏せる。

「道は一方通行です。戻れた方は記録上おりません。……ご理解ください」

 ゆっくり、落とすように言い、天音の手をそっと握った。


 天音は急な別れに胸が詰まった。

「お母さん……お父さん……もう会えないの?」

 涙は止まらない。ライは女から盆を受け取り、畳の上に置いた、その時――


 シャリン……シャリン……。鈴の音が細く続く。


『アクィロ様が御通りなさいます』


 廊下を人の気配が渡る。布の音、低い囁き、遠い鈴。

 奥の簾のすきまを白い髪が一瞬だけ横切った。天音と同じくらいの少年。目は朝の水みたいに淡い色。人の列はそのまま過ぎ、静けさが戻る。

 ライと女は、いつのまにか廊下側へ深々と礼をしていた。


「これより神主様は水儀を行われます。また、明日の儀式までお力添えもいただけます。――あまね様も、儀式のご準備を」

 ライが顔を上げ、まっすぐ天音を見る。

「水儀……?」

「この世界は水が乏しい。私どもは神主様が召喚なさる水がなければ生きていけません」


 ライは衣装箱を差し出した。

「明日はこちらを。――少々、お手を」

 そのまま天音の手を取り、刃を軽くあてた。

「いたっ!!」

 指先から血がにじむ。ライは小皿にそっと受け、終えると手早く包帯を巻いた。

 固まった天音の背後に、女の鋏がふっと入る。髪を少し切り、紙に包む。血の皿と髪包みを抱え、女は簾の奥へ消えた。


「こちらはお食事です。必ずお召し上がりを」

 盆には、どう頑張っても食べ物に見えないものが並ぶ。透明な薄い膜、青緑の苔のような塊、砂のような粒。

 天音は声にならない声で泣いた。


 しばらく側にいたライは、深いため息をひとつ残し、どこかへ去った。


――泣き疲れて顔を上げたとき、外はすでに暗く、人の音は消えていた。


 襖の先の戸に鍵は無い。


 裸足で廊下を進む戸をそっと開ける。廊下は月の色に薄く光っていた。板のきしみを避けながら進む。角を曲がるたび、すっと冷たい空気が流れてくる方へ。


どこまでも続く廊下にこの屋敷の広さを感じた。


 隙間風を感じる。外が近い、戸を開くと…


 外の空気は土と緑の匂いで溢れていた。

飛び石が白く浮かび、苔がやわらかい。虫の声が、遠くも近くも同じ音量で耳に入ってくる。

 庭の奥に、浅い石の鉢――水を受ける手水のようなものがあった。縁に触れると、月がゆらりと割れて、静かな波紋がひとつ。


 天音は気がついた…

「月が2つある……」

 ここが地球じゃない事を再認識した。

 しゃがみ込んだ天音は、まだ現実を受け入れられなかった。

「お母さん…お父さん…帰りたいよ…」


 天音が泣いている様子を遠くから見ている人影がある。その人影は、天音に近づいていくごとに、黒から白く輪郭へ…

 輪郭がしっかりする頃、声が聞こえた。


「大丈夫ですか?」

 その人は廊下を通った白い髪の少年――アクィロだった。月明かりに、髪が雪みたいにほどけている。目は湖みたいに淡く、まぶたに落ちる影まで静かだ。

「えっ…」

 天音は、気づいてゆっくりと顔を上げた。

 思ったより幼い。けれど、声は驚くほど落ち着いている。


「今日は、疲れたよね。色々と言いたい事あるんだけど……あの、この国を救ってくれてありがとう」

 天音は、驚いてアクィロを見つめていた。

「……」

「ぼくはアクィロと申します。あまねさん、貴方の名前は何と書くのか教えてもらえないかな?」

 優しい声は、庭の空気ごとやわらいでいくみたいだった。

「私はあまね……天に音って書くよ……」

「天に音?こうかな?」

 アクィロは、指を使って地面に文字を書いた。

それは漢字ではなく、別の言語で天音は地面に、自分の名前を書いた

『天音』

「天音の世界の文字は綺麗だね。ありがとう、ぼくの名前はこう書くんだ。」

そう言いながら、文字を書く。天音はアクィロを見つめる…綺麗な横顔にこの世の者とは思えない作りに息を忘れた。

「天音さん。貴方はこの世界の救世主です。これから少し大変だとは思うけど…ぼくは天音さんを元の世界に返すから安心して欲しい。」


 天音は見惚れている自分に気づいた。慌てて自分が書いた名前をみる。


「わたし……帰れないって、さっき言われて……」

 声が震える。

 アクィロは、少しだけ眉を寄せた。

「必ず返すから」

 言い切った。迷いがない。刹那な笑顔で天音に言った。

「それがぼくの願いだから」


儚い……壊れそうな笑顔


「指貸して」

アクィロは天音に近づき、指先の包帯を解いた

「痛かっただろうに」

というと、天音の指を咥えた。


「え!汚いよ…」

「ほら治ったよ」

 天音は、胸の奥の不安が少し和らいだ変わりに、心臓が高鳴って煩い。

指を見ると傷が消えていた…魔法を見て天音は声が裏返る。涙がボロボロ出てきた。


「ほんとに?私帰れる?」

「約束する」

 アクィロは庭の手水に視線を落とし、それから天音の手元へ視線を移す。

「その水筒は、君の世界の水だね。ここではかけがえのないものだからだいじに。できるだけ使わないで。……でも、どうしてものときは、君だけのために使って」

 天音は、ぎゅっと水筒を抱えた。

「………わかった。だいじにする」


 風が、ほんの短い間だけ、二人の間を涼しく通った。

 アクィロはその風の終わりまで黙っていて、やがて小さくうなずいた。

「戻ろう。夜は冷えるからね」

 庭の端の灯がちろりと揺れた。天音の涙も乾いていた。


 部屋に戻るころには、さっきより心臓の音が静かになっていた。水筒を抱き抱えて布団に潜る。

 瞼の裏に、青い龍の鱗が揺れた。


――――


 朝日が差し込む、戸が小さく叩かれた。

「あまね様、失礼いたします」――ライの声。

 女に手伝われ、天音は衣を重ねる。麻、薄絹、帯。袖の重みで、自分がこれから儀式に向かう事を思い知らされる。指先にあった包帯が消えて、傷が治っている様子をライは、一瞬確認して軽くため息をついていた。

「あまね様、こちらをお飲みください」

器には緑色の液体が入っていた。香りは抹茶に似ている。天音は恐怖から飲むのを躊躇った。

しかし、ライは無理矢理天音に飲ませる。口に含んだら甘い味がしたせいか…天音は一口だけ飲んでしまった。


 廊下へ。朝の匂い――木、紙、淡い香の煙。ふわふわした足取り…地面は揺れている。角を曲がるたび、人だけど人じゃない影が行き交う。長い耳、頬の薄い鱗、額の小さな角。目が合えば誰もが浅く礼をして通り過ぎる。(こわい……けど、止まれない…)


 心臓は早く、足は不思議と前へ出た。


 祈りの間は石の床。円い天窓から朝の光が一本、静かに落ちている。中央に低い卓、白い皿が三つ。

 皿の上はやはり食べ物に見えない。透明な虹色の艶やかな塊と芝生の生えた四角い何か…黒い豆の様な何かが並ぶ

 天音は、その膳の前まで導かれ、座る様促された

「お受けください」

 ライの声は静かだが、逃げ道を作らない。


 天音は手を伸ばして――口の近くで止めた。

 鼻先の匂いは土に近い。――お腹は空いているが、知らない物は食べてはいけない。

「……い、いらないです。今は」

 自分でも驚くほど声が細い。

 ライは深いため息をつく。(辛くなるだけなのに)と呟いていた。


 重々しい空気が張る。衣の裾がすりと鳴り、和服を着た人ならず者が、天音に深々とお辞儀して通っていく。

 猫、蛙、狐そんな見た目を確認する余裕も無く、恐怖を感じる事もできないくらい、天音の意識はふわふわとしている……


 そのとき、奥の戸が音もなく開いて、白い髪の少年アクィロが入ってきた。両手に大きな杯。

 杯には少量の水が入っていた。アクィロは卓の前で立ち止まり、目を伏せ、短く息を整えた。


「神水よ、帰命清浄水天――、いま此処に満たしたまへ」


 言葉が水に触れたみたいに、空気がやわらぐ。

 杯の水が盛り上がり、縁から水が止まず溢れ出る。水は流れ湖に行き着いて行く。水は少し色付いていて緑がかって艶のある色をしていた。


 水が止まり、杯の中の水が緑色に変わった

 それをアクィロは、天音のそばまで運ぶ


 アクィロは天音の前に膝をつき、杯を差し出した。その顔は何処か申し訳なさそうで、下を向いたままである。

 背後でライの掌が、そっと天音の後頭部を押す。

「神主様、ありがとうございます」

 天音は、ふわふわする意識の中で杯を受け取る。

「さぁ飲み込まなさい」

 天音は言われるがまま縁に口を寄せ、ほんの少し含む。


 ずるずるずる。

 舌の裏から虫が走るみたいなぞわぞわが、一気に全身へ広がった。喉の奥がきゅうっと縮み、胃のあたりで何かが裏返る。

「ゲホ!!――っ」

 咳がせり上がり、涙が出る。身をそらした天音の肩に、ライの手が重く乗る。

「すべてお受けなさい」

「む、無理……です…!」

「これは全て貴方の為なのです!」

ライは天音の髪を掴み、鼻をつまんだ。女が杯を天音の口を開き無理矢理流し込む。


 杯の水が喉に触れるたび、熱が走る。熱いのに冷たい。焼くみたいで、溶かすみたいで、骨の近くをこすり上げてくる。

 世界の輪郭が砂絵みたいにくずれ、耳の奥で細い鈴が鳴り続ける。足のつま先が遠い。


「もう良い。」

 アクィロの声が落ちた。短いのに、よく響く。

 色白い指先が、天音の胸の真ん中――熱の芯にふれる。そこだけ、ふっとやわらぐ。

「ゆっくり…」

 少年の一言で、ライが慌てて杯を差し出す。アクィロは、自分の手のひらに水をすくい、天音の口に運ぶ。

天音の中にある激痛が消えて意識がはっきりしてきた。

「ゲホゲホ……アクィロ…」


「この子の器は、まだこちらに合っていない、急いだら死んでしまう」

 アクィロは天音を抱き支える

「大丈夫か?すぐ楽になるから…」

 声は大きくない。


 天音は、空気を探すみたいにゆっくり息を吸う。胸の焼けは弱まり息が吸える様になった。

 杯の縁に揺れる水の線から、どうしても目が離せない。あれが怖い…


 アクィロが天音に触れてると、まぶたが重くなる。

 洞窟の天井が遠く、ここは天音が落ちて来た湖の側である事に気づく。


 自分の手元を見ると、3つの皿には握り飯と、餅と、大豆が乗っていた。


「どういう事……?さっきまで芝生だったのに…」


天音はあたりを見回すと、先程まで人外だった者が人間の姿になっている事に気がつく。


「あなた、さっきトカゲだったのに…なんで、、どういうこと…?えっ…夢なの?」


アクィロがほっとした様子。アクィロはライに濡れた膳を下げさせた。新しい皿にはおにぎりが乗っていた。

『天音の世界の、おにぎりを作らせたのだ。食べてみて欲しい』

天音はおにぎりを掴み、一口食べる

「美味しい…」

一口食べると、ふつふつと気力が湧いてくる。不思議なおにぎりで、天音は涙をポロポロ出しながら食べた。


周りの人達が拍手をする…そんな、異様な儀式は無事終わった。

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