きせきのうた
明日花はステージ横の暗がりから、薄ぼんやりとした明かりに浮かぶ客席を見つめている。
母から楽日である今日は満員になると聞いていた。そのつもりでいたけれど、やはりギッシリ埋まった観客席からは期待感というか、しっかり見届けてやるぞという気持ちなんかがステージへとなだれ込んできているような。
……逃げたい、けどもうやるしかない。おそらくこれが人生で最後のステージになる。
喉に違和感を覚えたのは昨年のこと。公演中に声が掠れてしまい、なんとか歌い切ったもののアンコール用の2曲は取り止めとなった。
声帯に不具合を抱えたまま、簡易な治療をしながらツアーを完走した頃には日常会話でさえ絞るような声しか出せなくなっていた。
有名な先生の手術を受け、しばらくの休養とリハビリを経て、「復活のツアー」を謳い文句に再び歌い始めたものの、やはり声が掠れるようになってしまう。
このまま歌い続ければ、二度と大きな声を出せなくなると言われた。周囲からはツアーの中止を勧められた。でも明日花はステージに立つことを望んだ。それは自分のためではなかった。
幼馴染でピアニストの智が、ポンと明日花の肩を叩く。
「録音されると思うとさすがにちょっと緊張するなぁ。いっちょ本気出しますか」
「あら。いつもは手を抜いてたのかしらひどい人ね」
「冗談だよ。本当にいいのか? 今ならまだ……」
「今日で、最後。それでキッパリやめる。だからね、今日は今までで一番の声を出す。覚えててもらうのお客さんたちに。今日の輝きを」
智はゆっくり頷くと、明日花を軽く抱擁し、ステージへ出て行った。
拍手が起こる。その音に導かれるように、明日花はドレスの裾を持ち上げて歩き出した。滲む視界は、煌くような照明で満たされていった。
◆
「これ、ママ? 声がぜんぜんちがう」
「人のことをこれって言わないの。これがね、最後に歌った時。お腹にいた深雪にいつかこうやって聴かせたくって、お母さん頑張っちゃった」
深雪はへぇー、へぇーと初めて聴く明日花の歌声に、瞳を輝かせながら見入っている。
「あたしもおうた、歌おうかな」
「じゃあその前に、パパからピアノを習うといいわ。最近お仕事あんまり無いみたいだから」
深雪はテレビに映る明日花の口の動きに合わせ、声を出し始めた。