ラブ2
1年後、姫は輿入れしてきました。
花嫁道具を積んだ馬車を何台も連ね、王家の紋章の入った豪華な馬車に乗った姫は、沿道の大きな歓声で迎えられました。
窓を開けて姫がにこやかに手を振れば、観衆は大喜びです。
「姫さま、みなが歓迎していますよ。ようございましたね」
侍女がそう言うと
「ええ、ほんとうに」
緊張でかちこちになっていた姫も、肩の力がゆるくなります。
姫は、ちょっと心配でした。
2番目の王子には、結婚が決まってから何回か会ったのです。
あのバカンスで、ボートに乗せてくれたり、釣りを教えてくれた男の子はすっかり大人になっていて、姫はびっくりしたのです。
大人になっているのだろうな。
頭ではわかっていたのですが、いざ顔を合わせたら思った以上に男の人になっていて、ことばが出てきませんでした。
自分の思い出の中にいたやさしい男の子じゃなくなっていたのです。
しかも、とってもすてきな男の人でした。
キラキラの金髪で、透き通るような青い瞳で、姫よりも頭一つ背が高くて、差し出された手は大きくてちょっとごつくて。
そして低い声で
「姫」
と呼んだのです。
「お待ちしていました」
と。
その瞬間、姫の頭は「ボンッ!」と音を立てて爆発してしまいました。
どどどど、どうしよう。
いえ、わかっていました。わかっていたのです。子どものままじゃないと。大人になったんだと。
でも。
あまりにもちがいすぎました。
背だって姫よりほんのちょっと高いくらいで、声だって高くて、手も腕も姫とあまり変わらないほど細かったのに。
なにより、背中があんなに大きくなっていて、姫はものすごくドキドキしてしまいました。
何回会っても、王子の前に出ると緊張してしまってちゃんとしゃべれません。
「きっと愛想の悪い子だと思われているわ」
そんなことはありませんよ、と侍女は言ってくれますが。
嫌われたらどうしよう。
心配です。
国を挙げての盛大な結婚式が無事に終わり、姫と王子は王宮の一角に住んでいます。
王子は、王さまと王太子の補佐として、毎日出仕します。
王子を見送ったあと姫は、王太子妃殿下といっしょに王妃さまのお手伝いをします。夜会やお茶会の準備とか、いろんなところへの寄付とかボランティアとかです。
やることは毎日たくさんあるのです。
王妃さまも妃殿下も親切に教えてくれます。
お茶の時間には、いろんなおしゃべりをします。
2番目の王子が、どれほど姫が来るのを待ちわびていたか教えてくれました。
「あの子はね、へんに気を遣って遠慮しちゃうところがあるからね」
王妃さまが言いました。
「変なところがあったら、すぐに言ってね」
「そうそう、気づかいが過ぎるのよ」
妃殿下も言います。
そうなのかなぁ。
姫はとりあえず「わかりました」と返事をしました。
壁がある。
姫はそう感じます。
やさしいし、気を遣ってくれるし、大事にしてくれる。
「愛してるよ」って言ってくれる。
嘘をついている感じもしない。
しょ、しょ、初夜だってちゃんとすませたし、継続もしているもの。
なにひとつ、悪いことはないのです。
でもなんか壁がある。
そう感じる原因がなになのか、姫にはわかりません。
「じゃあ、いってきます」
朝、そう言った瞬間、ちょっとほっとしている気がします。
「ただいま」
そう言って帰ってきたとき、ちょっと緊張が走る気がします。
気のせいかもしれません。
でも、ときどきため息をついているのです。
わたし、なにか気に障ることをしているのかしら。
王妃さまも妃殿下も「相談してね」と言ってくれましたが、こんな些細なことを相談するのは申し訳ないし。
あまり気にしないようにしよう。
そうは思うのですが……。
姫は両親とふたりの兄に囲まれて、蝶よ花よと大事に育てられました。
姫が困らないように、兄たちは先取りします。全部お膳立てしてあげるのです。
姫がなにも言わなくても、ちゃんとでき上ってしまっているのです。
これじゃ、ダメよ。
姫は気がつきました。お兄さまたちはいつまでもついていない。自分でできるようにならないと!
でも姫は、自分で声をあげることがちょっと苦手になっていました。
姫はがんばりました。
誰かになにかを言おうと思うと、体に力が入ります。
「よし!」
気合を入れて「あの」と話しかけます。声が小さくて、聞こえないこともあります。
あ、あれ? 無視された?
無視じゃなくて聞こえなかったのです。が、姫はへこみます。
やっぱり、わたしはダメなのかしら。
がんばれるだけがんばりましたが、今でも自分から話しかけるのは、ちょっと苦手です。
そうやって、もじもじしているのもかわいいと、兄たちは目じりを下げます。
バカ兄です。
姫はある日、はっと気がつきました。気がついてしまいました。
もしかして、誰か想う方がいらっしゃるんじゃないかしら。
その方をあきらめて、しかたなくわたしと結婚したんじゃないかしら。
なんの根拠もありません。
2番目の王子は結婚半年たった今でも、姫に面と向かうとドキドキしてしまいます。
何年振りかに会ったとき、とても驚きました。
大人になっていることはわかっていたのです。もう子どもじゃないこともわかっていたのです。
でも想像以上でした。
明るい栗色のくるくるでふわふわな髪は、きちんと結いあげられて、晒されたうなじがやけに目に付いて心臓が飛び跳ねました。
女の子のうなじなんて、そこら中にあるのに、姫のうなじだけは別です。特別光輝いています・
まぶしくて目がやられます。うっかり見つめてはいけません。
若草色の瞳はそのままに、でも年頃の女の子らしく、ちょっと恥ずかしそうに上目づかいです。
とろりとしたミルクみたいなほほは健在でした。唇もつやつやのピンクです。淑女らしくちゃんとお化粧しているのです。
ふわんとお花の匂いもします。
そこにいたのはニジマスを釣り上げて、大はしゃぎしていた少女ではありませんでした。
ど、どうしよう。失敗しないようにちゃんと話せるだろうか。まちがって、変なことを言ってしまわないだろうか。
カッコいい、大人の男に見えるように、王子は日々がんばっています。
でもときどき疲れてしまいます。うっかり気を抜いてしまいます。
いけない、いけない。だらしない顔をしていなかったかな。
気を引きしめます。
姫はときどき、ことばが止まります。言いかけたことを途中でやめてしまいます。
どうしたんだろう。
王子はちょっと心配になります。
「どうしたの?」
聞いてみても
「なんでもありません。たいしたことじゃないんです」
と姫は言います。ちょっと他人行儀です。
たいしたことじゃなくても、言ってほしんだけどなぁ。
でもあまりしつこく聞いたら、姫が嫌がるかもしれません。嫌われるのは嫌です。だから王子はそこでやめてしまいます。
親兄弟にはうまく立ち回るのに、姫に関してはヘタレです。
王子はある日、はっと気がつきました。気がついてしまいました。
もしかしたら、誰か想う人がいるんじゃないだろうか。その人と別れて、泣く泣くお嫁に来たんじゃないだろうか。
だからすこし、他人行儀なのかもしれない。
なんの根拠もありません。
そう思ってしまったら、ぎこちなさに拍車がかかってしまいました。