④
くい、と目の前のコップに自分で注いだ麦茶を一気に呷る。
割と長い時間喋り通しだったせいで所為で、喉がからからだったのだ。
和香が誰の事を好きだったのか。
それを成就させるために何をしたのか。
俺がそれをどの様に知って――結果として何が起きたのか。
全部、話した。
テーブルを挟んで座り込んでいるのは、俺の語った内容の気まずさからか、無言になった未菜ちゃん。
「……まあ、大体はこんなとこだよ。
本当に――馬鹿みたいな話だよな」
空気はどんよりとした、沈痛なもののままだが。
自然と、はは、と俺の口から乾いた笑いが漏れた。
対して、彼女――未菜ちゃんは視線を下に向けて、顔色を悪くしている。
……まあ、そりゃ笑えねえか。
「あの、ソウ兄、じゃなかった、えっと――」
「……別に言い易いならそっちでもいいよ」
恐る恐る、といった調子で俺に話しかけて来る未菜ちゃん。
それも無理からぬことだろう。
少なくとも俺が彼女と同じ立場で似たような事を聞かされたとしたら、間違いなくドン引きだ。
「ソウ兄は……その、まだ、のど姉の事を――?」
「和香の事はもうどうでもいいよ」
久方振りに記憶から引っ張り出してみた訳だが……
振り返ってみて、今更ながら思う。
俺は……あの時どうすれば良かったのだろうか。
他に、やりようがあったのか?
おめでとう、と祝福でもしてやれば良かったのか。
あいつらの家族ごっこに、ずっと付き合ってやれば良かったのか。
再会した和香を、受け入れてやるべきだったのか。
どれも……あまりにも馬鹿馬鹿しい仮定だ。
例え、再びやり直す機会があったとしても、俺はどれ一つとして選ぶ事は無いだろう選択肢。
結果、クソ親父が■■したとしても後悔はない。
……ない、筈だ。
「あれから和香とは一度も会ってねえし……全部終わった事だ」
吐き捨てるように返した俺へ、そうですか、と未菜ちゃんは呟いてから、顔を上げ……
しっかりとこちらに視線を合わせてくる。
「のど姉には、敵わないな、って……思って、半分諦めてたんです。
なのに、未練たらしく真奈叔母さんが亡くなった後にも、お母さんに無理を言って遊びに行かせてもらってて。
……初恋、だったんです」
「え?」
未菜ちゃんが唐突に語り始めた内容を、脳が咀嚼するのに時間を要し――聞き返してしまった。
――誰が、誰に?
「冗談なんかじゃないんです。
最初は子供っぽい憧れだったのかもしれないけど……本気なんです。
私はソウ兄の事が、男の人として、ずっとずっと大好きでした――!」
「未菜、ちゃん?」
まったく気が付かなかった――とは、言わない。
あれだけあからさまだったのだから。
ただ、それを冗談だと、どうせ本気ではないと自分に言い聞かせて自分の中で誤魔化していただけだ。
これ以上傷つきたくなかったから。
「私じゃ――私じゃ、駄目ですか。
最初はのど姉の代わりでも何でもいいんです。
絶対好きになってもらえるように、頑張りますから」
「……未菜ちゃん、俺は」
更に白状してしまえば……怖かったのだ。
欲望の箍が外れて、彼女に消えない傷を残す事が。
或いは、前と同じように俺の独り相撲で終わる事に――怯えていた。
「君が思ってるよりずっと……ろくでもないぞ。
今まで……君に対して、下心だってない訳じゃなかったんだ」
「あんまり馬鹿にしないでください。
私だって……そこまでお花畑じゃありません」
この期に及んでの俺からの逃げ口上を、彼女はばっさりと切って捨てる。
「同級生の男の子とか、ソウ兄よりもずっと大人の人からそういった目で見られた事なんて、一度や二度じゃ利かないんです。
私、こんな体ですから」
少しだけ大人びた、醒めた表情を覗かせて――未菜ちゃんは、自らの胸部に触れ、自嘲するように呟いた。
どうやら、彼女の事を大分見くびっていたらしい。
まだ、未成年なのは間違いない。
それでも――俺が思っている程には、彼女はものを知らない訳ではなかったようだ。
「けどソウ兄なら……いえすいません。
のど姉と、総一郎叔父さんの事だってあったのに。
いきなり勝手な事……言ってますよね」
不安を押し殺し、無理やりにでも笑顔を作ろうとする未菜ちゃんに……俺は。
「でも……本気、ですから。
だから、ソウ兄からの返事が欲しいです。
その、もし断られても……一週間くらい……泣き喚いてから、諦め、ますっ……」
俺は気が付けば、ぽろぽろと涙をこぼして、支離滅裂なものになりつつある、彼女の言葉を、未菜ちゃん、と呼びかけ遮っていた。
……クソったれ。
他の誰でもない、自分自身に酷く腹が立つ。
「……先に謝っとく。
君の気持ちに薄々気付いてたのに、知らんぷり決め込んで悪かった」
彼女の為とか何とか言い訳して、絆されて、惹かれつつあったた自分を認めるのを先に進むことを恐れていた事を、詫びる。
――思い出せ。
家から逃げ出して、見知らぬ街の公園で抜け殻の様になっていた俺に、手を差し伸べてくれたあの人達を。
全てを知りつつ、俺の生活の面倒を見てくれるとまで言った、爺さんと婆さんを。
何でもない時間を、馬鹿をやって過ごして笑ってくれたバイト先の先輩達を。
そして他でもない、この半年過ごした――彼女なりの勇気を振り絞って、好意を見せてくれていたのだろう、未菜ちゃんとの日々を。
皆のお陰で、俺は立ち直れた。
立ち直ったと思っていた。
それなのに、この様か。
よくもこれで和香とクソ親父をボロクソに言えたものだ。
ああ――馬鹿だ馬鹿だ、大馬鹿野郎だ俺は!
ばちん、と自らの頬を叩く。
「多分……情けないとこもいっぱい見せる事になるとは、思うけど。
それでも良ければ、ええと、こっちこそよろしくお願いします」
精一杯、腹の底から絞り出した現在の俺の答え。
それを受けて、少しの間、ぽかんと呆けていた未菜ちゃんは、泣き笑いのような表情を見せて。
「え、へへへ……言質、とりましたからね。
もう取り消せませんから!」
真っ赤になった目をごしごしと指で擦って、声を上ずらせ、キンと耳に響く声で、俺に向け叫ぶように。
「ソウ兄!今まで焦らされた分、これから嫌って言う程いちゃいちゃし倒しますからね。
覚悟してくださいよ、マジですからね!」
やけっぱち気味に、それでいて本当に嬉しそうに笑う未菜ちゃんを見て――
随分と遠回りをさせちまったかな、と内心でため息をつく。
「いや、法律に引っかかんない範囲での健全なお付き合いをね?
あくまでも変に距離を置かないというか……
成年になるまで、気持ちが変わらなかったら、的な意味で」
「……えー?」
それはそれとして、釘も刺しておく。
不満気にぼやく未菜ちゃんへ、あと二年くらいでしょ、と宥める傍らで、とりあえず叔母さんと叔父さんには土下座かなあと、情けない事も頭の片隅で考えつつも。
「要はまあ……その、なんだ。
これからもお手柔らかによろしくな」
いつか、本当の意味で……あの時の事を振り切る事が出来ると信じて。
俺も少しだけ頬を緩ませて、目の前の彼女に笑って返した。




