柳南市奇譚⑤鑑識課の桂子ちゃん
「…あなたが、犯人なんでしょう…?」
わたしは、そう問いかけた
「………」
「どうして…こんなことを…っ!」
わたしは、涙を流していた
けっして泣かないと、心に決めてきたはずなのに…
「…僕の不幸は、」
「君が、この事件を担当してしまったことだな」
「ふざけないでっ!」
わたしは、叫んでいた
「誰もあなたの犯行だと気がつかなかったとしても、あなたの罪がなかったことになるわけじゃないっ!」
そんなわたしの悲痛な叫びは、
この山の木々たちの間に、虚しく消えていった…
「…沢村、ほんとにもう、だいじょうぶなのか?」
鑑識課の先輩である、山田文武巡査部長が、心配そうにわたしに聞いてくる
「はい、もう問題ありません」
わたしは、右手で左の脇腹を軽くぽん、と叩いて答える
…ほんの少し、痛かったことは内緒だ
「そうか…まあ、ムリはするなよ」
わたしの名前は沢村桂子
玉串県警柳南署の鑑識官
先日、とある銀行強盗事件で負傷し、しばらく休みをもらっていたのだけれど、今日から職場に復帰したところだ
「よし、それじゃさっそくだが、行こうか」
ちょうど、一件の現場検証が入っていた
「お、ここだな…」
山田先輩が、鑑識車両をパトカーの後ろに停める
柳南署の管内の郊外にある、とても大きな和風・平屋の一軒家の邸宅が、現場検証をするお宅だった
「お疲れ様です」
鑑識車両を降り、玄関の制服警官に挨拶をして邸宅内に入る
「なんでも、この家の主人が自殺したって話らしいな…」
と山田先輩が言う
なんとも、豪華な家だ。その、正直に言うならば、いわゆる成金の家そのもの、という感じだ
「こんな家のご主人が、自殺…ですか?」
わたしは、思ったままを口にする
「まあ、金持ちには金持ちの悩み、ってのがあるんだろうよ…」
わたしたちは、玄関から最も奥にある、書斎に入った
「お疲れ様です」
中の刑事・警官たちに挨拶をすると、
「おお、待ってたよ、よろしく頼む」
と、現場責任者の吉崎真悟警部が声をかけてくる
「ちょうどいま、ご遺体が署に運ばれたとこなんだが、まあ、自殺で決まりだろうな…」
と吉崎警部
「自殺に間違いない、ですか」
と言うわたしに、
「ああ…まあ、首吊りなんだがな…」
書斎全体を、ぐるっと見回すようにしながら、警部が答える
「この現場は、完全な密室だったんだ」
自殺したのは、この家の主人である、山本嘉廣さん68歳。不動産業を営み、相当儲けていた、らしい
山本さんには家族はなく、この家で1人暮らし。通いの家政婦さんを雇っていた
今朝、ご主人がいつまでも起きてこないのを不審に思った家政婦さんが寝室を見に行ったところ、山本さんの姿がない
山本さんを探したところ、書斎のドアに内側からカギがかかっており、何度ノックしても返事がない
庭から書斎の窓を覗いてみたところ、山本さんが首を吊っているのを見つけ、慌てて通報した、ということらしい
「この書斎の出入り口は、このドア1つだけ。このドアにも、庭に面したすべての窓にも、内側からすべて、しっかりとカギがかけられていた。この書斎は完全な密室だったわけだ」
「なるほど」
と山田先輩
「ただ、遺書がないのと、自殺をする理由も、今のところ見つかってないんだがな…」
顔をしかめながら、頭をかく警部
「金に困ってない、むしろ金が余ってるような68の男が、自殺なんてするかねえ…まあ、かと言って、コロシのセンもありえないからなあ…」
警部は、納得できない、といった感じだ
…その時だった
「………?」
わたしの目の前に、1枚の羽根が落ちてきた
緑がかった、漆黒の、鳥の羽根
わたしは、反射的に上を見上げた
そこには、大きく開かれた、2メートル四方ほどの正方形の天窓があった
「…あの天窓は、開いていたんですか?」
わたしは、警部に聞いた
「ん?ああ、換気と明かりとり用の天窓だな、このところ雨は降ってないし、昨日からずっと開けていたようだな」
「開いて…いたんですか…」
「まあ、もちろんあそこもしっかりと調べてもらうが、あそこから外部犯が出入りしたってことは、まずないだろう」
「そう…ですね…」
漆黒の羽根…そして開いた天窓…
「おい沢村、顔色が悪いぞ、だいじょうぶか?」
山田先輩が、心配そうにわたしの顔を覗きこむ
「まだ具合がよくないんなら、早退してもいいんだぞ?」
「…い、いえ、だいじょうぶです」
「そうか?キツいなら、遠慮なく言えよ?」
「吉崎警部!」
書斎の出入り口から、数人の刑事たちが入ってくる
「お亡くなりになった山本さんですが…仕事上のトラブルや、親族・交友関係のトラブルなども、特に見当たらないですね…」
「そうか…」
「むしろ近々、大きな取り引きの契約を控えていたようで、これでその契約が白紙になってしまったと、山本さんの不動産会社の社員たちが嘆いていました」
「大きな契約だって?」
「はい、なんでも、山本さんが個人的に所有している山を、大手のレジャーランド開発会社に売却するという計画が進んでいたそうなんですが、これですべて御破算になりそうだ、とのことで…」
「その山の名前はなんですか?!」
わたしは大声で叫んでいた
「ど、どうした沢村?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる警部
「あ…す、すみません…」
「その、烏谷山…ですが…」
刑事が答えてくれたのだが、
わたしは、
そこで気を失ったらしい…
わたしは、夢を見ていた
子供のころの、夢
夏休み、母親の実家に帰省したときのこと
母方の祖父は、ある山の廃寺の管理人をしていた
「おじいちゃん、どうしてこのお寺には、鬼や天狗の像が飾ってあるの?」
まだ幼かったころのわたしが、祖父に質問する
「この寺はな、昔の戦争で死んだ兵隊さんたちの魂を、弔っているんだよ」
祖父はそう言いながら、寺の庭にある難しい漢字が書かれた石碑を指差す
「…それと、鬼や天狗がどう関係あるの?」
「共に、戦ってくれたんだよ…」
「…え?」
「あの時代、わずかに生き残っていた鬼や天狗たちは、日本軍の兵隊たちに交じって、共に米英と戦ってくれたんだよ…」
「…本当に?」
「ああ、それでも、日本は勝てなかった。そして、ほとんどすべての妖怪たちも、死に絶えてしまったのさ…」
その時だった
ふわり、と風が舞い、
ひらりと、1枚の黒い羽根が、舞い落ちた
「そして、最後の生き残りが、ここにいる」
後ろから聞こえたその声に、ふりむいたわたしの前には…
「………え?」
気がつくとわたしは、ベッドに寝かされていた
ここは…そう、柳南署の医務室だ
あれ…わたしは確か…山田先輩と現場検証に…
「おお!沢村、目が覚めたか!」
「…山田先輩…」
先輩が、医務室に入ってきた
「ほら、言わんこっちゃない。本当は、まだあばらが痛くて具合が悪かったんだろう?」
「いや…その、」
「いいからいいから、今日はもう帰れ。これは先輩命令だ。課長には俺から言っておくから…」
山田先輩はそう言いながら、医務室から出ていく
「あ、そうそう」
入り口ドアのところで立ち止まって、
「あの書斎、山本さんと家政婦さん以外の指紋は出なかった。疑問は残るが、やはり自殺ということで、カタがつきそうだ」
「そう…ですか」
先輩は、それじゃ、と手を挙げて、医務室を出て行った
…ちがう、
あれは、自殺じゃ、ない
わたしは、
………犯人を、知っている
わたしは、電車に揺られていた
山田先輩のお言葉に甘えて早退し、そのまま駅に向かったのだ
しかし、自宅に帰るためでは、ない
目的地は、もちろん…
「…このおじさんは、誰なの?」
幼いころのわたしが、祖父に質問していた
「こちらの方はな、おそらく日本で最後の…」
『次は~烏谷~烏谷~』
………!
いつの間にか、また眠っていたようだ
わたしは、車掌のアナウンスで目を覚ました
良かった。目的の駅を、寝過ごしてしまわずにすんだ
わたしは、駅に降り立った
無人の改札を通り、駅の外に出る
周囲を見回すが、客待ちのタクシーは居なかった
木製の電柱に針金でくくりつけられた、ところどころ錆の浮いたタクシー会社の看板の電話番号にコールし、しばらく待つ
15分後、やってきたタクシーに乗り込み、運転手に行き先を告げた
「烏谷山の中腹にある廃寺まで、お願いします」
「え?」
驚いた声を出す運転手
「あの、お客さん、あんなところに、何の用で…?」
「………昔、祖父がそこの管理人をしていたんです。…懐かしくなって」
「そう、でしたか…でも、今は、ひどい有り様ですよ…?」
「…いいんです」
「………わかりました」
わたしは、腕時計を見た
もうじき、午後2時になろうとしていた…
「ほら、ひどいもんでしょう…?」
目的地である、烏谷山の廃寺が見えてきた
「ええ…でも、懐かしいです」
母方の祖父は、10年ほど前に亡くなった。それからは、誰も手入れをする者がいなかったのだろう…廃寺は、もう文字通りの廃墟と化していた
「あの、よろしければ、ここでお待ちしておきますが…?」
と言う運転手だったが、
「いえ、いつ帰るか…わかりませんので」
わたしはそう言って、帰ってもらった
もしかしたら…もう、
二度と、帰れないかも…知れないが
わたしは、寺の門をくぐる
なにもかもが雑草に埋め尽くされた、寺の敷地の真ん中までやってきて、
大声で呼びかけようと、息を吸い込んだ
その時、
ふわり、と風が舞い
1枚の羽根が、舞い落ちる
ふりむくと、そこには
「あのお嬢ちゃんが、立派になったものだ」
背中に漆黒の翼を生やした、男が立っていた
「…お元気そうで」
わたしは、深々と一礼する
「また会えて、嬉しいよ」
満面の笑顔で、翼の男は応える
この方は、天狗の末裔にして、日本最後の妖怪の生き残り
その名を、隼人さま…だ
「10年ぶりぐらい…かな」
隼人さまは言った
「はい、祖父の葬式のあとで、ご挨拶に伺って以来になります」
「いまは、何をしているのだ」
「………」
「どうした?」
「…警察官に、なりました」
隼人さまはの顔には、明らかな動揺が浮かんだ
「…そうか、立派な仕事だ」
「今日は、お聞きしたいことがあって参りました」
「…聞きたいこと…?」
隼人さまの顔から、笑みが消える
「隼人さま、」
「昨日の夜11時から12時の間は、どちらにいらっしゃいましたか?」
「…なぜ、そのようなことを僕に聞くのだ?」
隼人さまの顔に、隠し切れない焦りの感情が浮かぶのが、わかる
できれば、今すぐにこの場を走り去ってしまいたい…そんな気持ちを意識下に押し込め、わたしは次の言葉を紡いだ
「今朝、この烏谷山の所有者である、柳南市在住の山本嘉廣さんが、自殺しているのが発見されました」
「この山の、所有者…か」
含みのある声で、隼人さまは言った
「死亡推定時刻は、夕べの夜11時から12時の間、ということで、関係者にお話を伺っているところです」
「ふふ、関係者…か」
隼人さまが笑う
日本最後の妖怪に対しての事情聴取…たしかに、シュールな光景だ
「もちろん、僕はずっとこの山にいたさ…他に居場所なんて、どこにもないのだから…」
「…それを証言してくれる人は、いらっしゃいますか?」
「いるはずがないことは、君もよく知っているだろう?」
「………そう、ですね」
「………」
「………」
1分ほど、わたしたちは何も言わなかった
そして、
「…あなたが、犯人なんでしょう…?」
わたしは、そう問いかけた
「………」
「どうして…こんなことを…っ!」
わたしは、涙を流していた
けっして泣かないと、心に決めてきたはずなのに…
「…僕の不幸は、」
「君が、この事件を担当してしまったことだな」
「ふざけないでっ!」
わたしは、叫んでいた
「誰もあなたの犯行だと気がつかなかったとしても、あなたの罪がなかったことになるわけじゃないっ!」
そんなわたしの悲痛な叫びは、
この山の木々たちの間に、虚しく消えていった…
「月並みなセリフだが…」
「最初から、殺すつもりではなかった…」
とつとつと、隼人さまは話し始めた
「僕はただ、」
「この山を、守りたかったのだ…」
わたしは、何も言わず、隼人さまを見つめていた
「この山を娯楽施設にしよう、という話を知ったのは10日ほど前、山本と開発会社の人間たちが視察に来た時だ。山本の父親は、‘’自分たちの一族が、末代までこの山を守り続けていきます‘’と、約束してくれていたのだがな…」
「山本の会社は、どうやら経営に行き詰まっていたらしい。あれの家に話をしに行ったら、‘’私の山を、私の好きにして何が悪い!‘’と言われたよ…」
「気がついたら、僕は山本を絞め殺してしまっていたのだ…」
「自殺したように見せかけたのは、僕の存在が人に知られることを、心のどこかで恐れたからなのだろうな…」
「…皮肉なものだ、ヘタな小細工をしたばっかりに、逆に僕の仕業だと君に気づかれてしまったのだから…」
隼人さまは、そう言って力なく笑った
そして、わたしの顔を見て言った
「さあ、君はどうする?」
「………」
「君は、僕を逮捕する…か?」
「いえ…日本の法律では、あなたの犯罪を立証することは…できません」
「………そうか」
「わたしは、ちゃんと確かめずにはいられなかった…それだけです。警察官としてではなく…あなたのことを、知る者として」
「このまま、帰るつもりなのか?」
「…もう、二度と会うことはないでしょう…さようなら」
わたしは、そう言って踵を返し、その場を立ち去ろうと歩き出した
「待ちなさい」
隼人さまの声に振り向くと、
隼人さまの手に、短刀が握られていた
「…こうなることは、覚悟して参りました」
わたしは、目を閉じてその場に膝まづいた
隼人さまを相手に、人の身のわたしが抗う術など、あるはずもない…
「勘違いしないでくれ」
隼人さまはわたしに歩み寄り、わたしの肩を叩いて、立つように促した
そして、
わたしの手に、その短刀を握らせた
「人の法では僕を裁けないと言うのなら…君の手で、僕を裁いて欲しい」
「…!」
「僕にとって、この山はすべてだった。あの戦争の時に、仲間たちからこの山の守りを託され、共に逝くことができなかった僕にとって、この山を守り抜くことだけが、自分の存在意義だったのだ」
「だが…もう、それも疲れてしまった。山本を殺して開発の話はなくなったかも知れないが、いつかはまた、同じようなことがあるだろう…」
「僕の罪を知る唯一の人である君に…仲間たちの元に、送って欲しい」
隼人さまは、そう言って、さっきのわたしのように目を閉じる
そんな…
わたしに…
そんな…ことは…
「…できません…」
わたしは、隼人さまの手に短刀を返す
「人を裁くのはあくまでも法であって、人ではない…わたしには、いえ、誰であっても、人が人を裁くことは許されません。…それは、相手が妖怪のあなたであっても、同じことです…」
「………そうか」
「君は、立派な警察官に…なったのだな」
隼人さまは、そう言って微笑み、
自分の左胸に、深々と短刀を突き立てた
「隼人さま!」
隼人さまは、微笑みを浮かべたまま、
「最後のわがままを、聞いて欲しい」
そう言って、右手を地面に突き刺す
まるでスプーンでアイスクリームをすくうかのように軽々と地面を抉り、人間1人ぶんを埋めるほどの穴を掘り上げた
「…ここに、僕を…埋めて…くれ」
「は、はい…!」
わたしは、涙を流しながら、頷く
「…できれば…」
「………」
「たまに…花でも供えに…来てくれ…」
そう言って、
隼人さまは、息絶えた…
「…桂子ちゃん?何か…あったの?」
「………いえ、別に」
その日の夜、
わたしは、中田刑事が入院している柳南中央病院に、お見舞いに来ていた
「その、どう見ても…元気がないようだけど…?」
「…そう、ですか」
「…まあ、言いたくないのなら、聞かないけどさ」
「あの、」
「…ん?」
「この前行くはずだった映画、全国的に大盛況らしくて、上映期間を延長するそうなんです」
そう、銀行強盗事件のせいで観れなかった、あの映画だ
「え、そうなの?」
「おそらく、中田刑事の退院が、間に合うはずなので…」
「…ので?」
「いっしょに、観に行きましょう」
中田刑事の弾けるような笑顔を見ると、
今日のつらかった出来事が、少しは忘れられるような気がした
日本最後の妖怪の最期を看取った、
1人の人間の話は、これでおしまいだ
~終~