♯.3 とある兄弟の調整選抜事情
「なぁ兄貴……俺、やっぱり大学受験なんかしないで就職するって。兄貴だって御袋に負担掛けたく無いから高卒で警察官に成ったんだろ?」
あの日を境に世界が変わる事に成ったと言われている演説から三ヶ月が経ち、自衛隊や警察官の中から日本を護る為に戦える様にすると言う『調整』を受ける者の選別が行われていた。
ウチはいわゆる母子家庭で、女手一つで俺達兄弟を育てる事に成った御袋は何時も金銭的な面で苦労を強いられていた記憶が有る。
それが離婚した親父が養育費を払わないクズ男だった所為……とかなら男として俺と兄貴で怒鳴り込みに行く様な無鉄砲な真似をしていたかも知れないが、死亡保険金も掛けてない状態で事故死してるんじゃぁどうしようも無い。
せめて祖父母に頼る事が出来りゃもう少しはマシだったんだろうが、両親共に天涯孤独なんてんだから、世の中ってのはとことん不公平に出来ているんだろう。
不幸中の幸いと言えるのは俺達が住んでいる町に有る『狸寺』と呼ばれているお寺は『子ども食堂』的な活動を昔からして居る場所で、腹が減ったら取り敢えずお寺に行けば何か食わせて貰えるのでそう言う点では環境には恵まれていたと言える。
「んだから俺は大学まで行って勉強してまでやりたい事なんか無かったんだって、唯一続けたかった剣道は警察官に成っても役に立ってるし、警察官限定の大会だって有るんだから警察官に成って良かったんだって。だからお前は気にしないで受験しろよ」
兄貴が剣道を始めた当時は親父も未だ生きていて竹刀や防具を買い揃える事も出来たし、中学高校と進学する度に買い替える事も負担では有ったが不可能では無かった。
けれども親父が事故ったのは兄貴が高校に進学し俺が小学校六年の時で、流石に兄貴もその場で高校を辞めて働くなんて事は言い出さなかったが、部活動をせずにバイトして家に金を入れると言う様な事は考えたと後から聞いた覚えが有る。
親父が死んだ事故で満額の賠償金をぶん取る事が出来たなら、其処まで切羽詰まった状況には成らなかったのだろうが、残念ながら加害者は賠償に充てる様な財産を殆ど持っておらず最終的には『国からの救済措置』でそれなりの額面が支払われたらしい。
結果として兄貴も俺も片親家庭でよく聞く様な『子供の貧困』と言う程に苦労する事は無かったが、それでもやはり御袋としては『親父の命の代償』というべき金に頼って生活するのを良しとは思わなかった様で、朝から晩までフルタイムで働いていたのだ。
俺も兄貴もその頃には独り立ちとまでは言わずとも、家事を手伝う事が出来る程度の年には成っていたし、休日に自分の飯だけを作るのが面倒な時は、それこそ狸寺に行けば良かったので、何不自由無くと言うと言い過ぎだが苦労と言う程苦労をした覚えは無い。
……実際、今俺が進学を躊躇して居るのも二年前にやっぱり事故で御袋が死んだ時に入って来た金に手を付けるのに躊躇いが有るからだ。
何の因果が巡った物か、御袋も親父同様に無車検の車を乗り回していた馬鹿に轢き逃げされて亡くなったので有る。
その時には既に警察官として任官していた兄貴としては、自分の手で犯人を捕まえたかっただろうが、残念な事に警察には被害者の身内は捜査から外すと言うルールが有るそうで、兄貴はその事件に関わる事は出来なかったが一月も経たずに犯人は逮捕された。
結果、今回も国の救済制度を利用する事に成り、親父の時の分と合わせて俺と兄貴の口座にはそれぞれ二千五百万と言う金が入っているが、コレは親父と御袋の命の値段だと考えると安すぎる……と言わざるを得ないだろう。
「和馬、お前は俺と違って宗教学だか勉強したいんだろ? んなら大学行けば良いじゃねぇか。県立受かったなら普通にココから通えるし、学費だって俺が何とか出来る範囲だからな。まぁ遊ぶ金は自前でバイトしろって話にゃ成るがな」
兄貴の言う通り、俺はとあるゲームにハマってから神話や宗教に付いて割りと強い興味を持ったのは事実で、大学に進学するならば宗教学を学べる所を選ぶつもりでは有った。
実際、この街から然程遠く無い場所に有る大学に行ければ、確かに兄貴の稼ぎで大学に通わせて貰う事は出来るだろう。
「んな事言っても兄貴の稼ぎで俺が大学行ったら最低でも四年は結婚出来ねぇじゃねぇか。畑中先輩に聞いたけど、警察官って近場に有る病院の看護師さんとの合コンルートを代々継承してるんだろ? 俺が独り立ちすりゃ兄貴は良い人見つけりゃ結婚出来んじゃん」
しかしソレはそのまま兄貴の将来を食い潰すと言う事にも成る、兄貴は……イケメンとは身内贔屓でも言えないが決して不細工と言う訳では無く、警察官と言う世間一般から見ても『安定した堅い職業』である事から『優良物件』とされても不思議は無い。
そんな兄貴が俺の為に婚期を遅らせると言うのは割りと……いや、かなり俺の精神に負担が有る。
とは言え、流石に高校を辞めて直ぐに独り立ちするなんて言い出す程、世間を甘く見ているつもりは無いので、来年度末の高校卒業までは兄貴の世話に成るのは甘受するしか無いだろうが、大学まで行かせて貰うのは甘えが過ぎると思う。
「だからソレも気にしなくて良いってーの。例の選抜に通れば基本給はそのままで、追加の手当やら出来高報酬やらがドカンと入ってくるって話なんだよ。上手くやれば今の3倍……いや4倍は固いらしいからな、そんだけ稼げりゃ女房子供にお前を養っても余らぁ」
……『美味い話にゃ裏が有る、真っ当に儲かる筈が無い』と言うのは、割りとオタ気質らしい狸寺の若住職さんが子供達に開放して居る漫画なんかが置いてある部屋に有った古いラノベに何度も出てきた文言だがコレは割りと真理だと思うんだ。
機動隊所属の兄貴は同じ階級の同期よりも更に多い給料を貰っている筈で、ソレはその収入に見合うだけ厳しい訓練と任務が日々課されている事と引き換えに与えられている。
ソコから更に3~4倍に収入が増えると言うのは、どう考えても今よりもずっと危険で厳しい仕事に身を置くと言う事に他ならない。
不景気と言われて久しい日本では警察官を含めた公務員と言うのは、割りと倍率の高い就職先で本当に勉強が嫌いな馬鹿じゃぁ勤める事は難しいし、機動隊と言うのは高卒就職組が就ける中ではエリートと言って差し支えない部署だ。
つまり兄貴は同期の中では心身共に優れた人物で有る……と見做されているからこそ、人より多い給料を貰い、基本定時で帰れる待遇を受けているので有る。
今の所一般にはあの時の演説以上の情報は出回って居ないが、選抜試験を受けたと言う兄貴は俺よりもきっと詳しい情報を持っているのだろう。
ソレでも俺を大学に行かせる為に、兄貴が機動隊に居るよりも危険な任務に身を置くと言うので有れば、家族としても反対を口にするのは当然の事だ、兄貴が俺の将来を心配するのと同じ様に、俺だって兄貴の事を心配する権利が有る筈だから。
「なぁ、兄貴……俺を大学に行かせる為に調整を受けるって言うなら俺はやっぱり反対するぞ。俺は兄貴を犠牲にしてまで大学に行きたいとは思わない。兄貴が自分の将来の為にソレを選んでその余録だって言うなら……まぁ納得してやるけどな」
機動隊に居るよりも大きな収入が得られ、将来の嫁さんや子供の為により多くの貯金を作る事が目的だと言うならば、流石に止め立てするのは違うだろう。
その余力で俺を大学に行かせてくれると言うならば、完全に納得する訳では無いが今は取り敢えず借りて置く……と思う事で折り合いを付ける事は出来なくも無い。
「俺がやりたくて選抜を受けたんだよ。お前だって漫画やゲーム見たいな超常の能力を得るチャンスが有りゃソレを手に入れたいと思うだろ? 普通に機動隊やってる以上に面白そうな任務なんだから選ばなけりゃ男じゃねぇよ!」
ニッと心底面白そうな笑みを浮かべて、そう答えた兄貴の表情を見て、ソレが本心だと感じた俺は取り敢えず一旦は納得する事にしたのだった。
……後々に成ってその判断が後悔を生む事など一欠片も思う事は無く。