プログラム
【1】
煙草の煙を吐き出し、ルーシャスは、スマートフォンの画面を見つめる。
あと6時間もすれば、つらい倉庫整理の作業が始まる。
安アパートの一室で、ルーシャスは煙を吸う。狭い部屋は、静寂をため込み、やけに広く感じられる。
体は汗でどろどろ、全身の筋肉は張り、きしんでいた。手のひらはボロボロで、水分を失っている。
生き生きと働いている者もいる。そういう奴は良い。しかし、俺は違う、ルーシャスは思う。
地獄の戦場から帰還し、ここに来たのだ。
SOH社の就労支援も、結局のところ、相性が悪ければ辞めるしかない。
一週間、上司にゴマをすりながら疲れ果てるまで働き、週末は寝て過ごす。いつまでこんなことが続くのだろう、絶望がじっとりと近づいてくる。
「死にたい」
そう口にしたときだった。SOH社から、あるプログラムへの参加資格があるというメッセージが届いた。
【2】
就職支援、資格取得に関する特別なプログラムへの招待。そこには、かつて通っていた職業訓練センターに指示を仰げと記載があった。
何度も足を運んだ質素な建物へ向かう。広い受付に入ると、一目で元軍人とわかる若者が書類を書いている。
受付に向かうと、太った大柄な女性が奥から現れた。彼女は、職業訓練の責任者であり、統括を行っているシェリーという。
「お久しぶりです……」
シェリーは吊り上がっていた眉を下げ、「どうしたんだい?」
ルーシャスは、メッセージをシェリーに見せる。
「ああ、これかい。こっちへ来な」シェリーは部屋の奥にあるパソコンの前に案内し、何かのサイトを起動した。5種類のウェブテストと、各種の記載項目が表示される。
「それを記入して、先方から連絡が来れば、プログラムを受けられる」シェリーはそう言って、受付に戻る。
ウェブテストには、従軍経験やSOH社に関する記載、機密事項に関する記載があった。ネットで調べてみると、SOH社が大学と連携して行っているプログラムを、匿名で行う場合にこのような物が出たことがある、と書いてあった。
SOH社は国防総省と黒いパイプがあるとサブカル系サイトで見たことがある。ルーシャスは、国防総省の実験のようなものかもしれない、そう思いながらテストを進めた。
一週間後、住所が記載されたメッセージと共に、プログラムへの参加が許可されたという電話がかかってきた。そして、シェリーと共にそこへ行くことになった。
電話先の女性は、はきはきとした声でルーシャスの質問に答えてくれた。
メッセージの住所にあった建物はSOH社の関連会社だった。生体データ取得用のハードウェア(スマートウォッチ、スマートグラス等)の開発、運用をしている企業だ。
「お忙しいのに、すいません」助手席でルーシャスは、シェリーに礼を言う。
「良いんだ、これが仕事だからね」シェリーは、煙草を咥えながら車を運転する。
受付に行くと、電話で話した女性が対応し、3階に案内された。他の部屋では、社員がパソコンとにらめっこをしていた。
3階は静かで、張り紙が貼ってある部屋があった。
「ここさね」
扉を開けると、教室のような部屋が広がっていた。そして、教卓に当たる場所に一人の男が居た。男を見て、まず思ったのは、細い、ということ。
男は、ノートパソコンを机に置き、片手で何かを打っている。その姿勢は、脱力しきり、椅子にもたれかっている。
シェリーが、「あれが、オスニエル。このプログラムの責任者」
オスニエルが、二人に気づいた。片手に持っていたクロスワードパズルの本を置き、足にひっかけて揺らしていたサンダルをしっかりと履いた。
オスニエルは、歳は40~50だろうか、頬はこけ、肌は光沢がない。灰色の長髪をオールバックにしている。喉が細く、長く見えた。ニットのベストに、ストライプのシャツを着ていた。
シェリーは、自身のスマートフォンを操作し、その画面をオスニエルに見せた。
オスニエルは頷き、両手でタイピングを始めた。
「突発性の難聴なんだと」シェリーがさらりと言う。
「そうなんですか……」ルーシャスは微かにうつむく。
「かわいそうに思うことはない。あの男のふてぶてしさと言ったら」シェリーは目を細め、「あの男は今、取引先に謝罪と説明のメールを打っていたんだ。見たかい、あの態度」
確かに、凄い姿勢だったなと思い、ルーシャスは考えを改めた。
『初めまして、ルーシャスさん。私はオスニエル・ヒューイット。このプログラムの責任者です』
電子音声が響き、ルーシャスは、オスニエルがそれを行ったのだ、と理解した。
オスニエルは、教卓の向かいにある椅子の中から二つ取り、二人の前に置いた。
シェリーに促され、緊張しながら椅子に腰かける。
オスニエルが、ルーシャスにノートパソコンを渡してくる。そこには、見慣れたチャットアプリ。
「この男は、これで会話するんだ」シェリーが耳打ち。
『音声出力の試験を行いますので、自由に文字を入力してみてください』正しい発音で、かつゆっくりとはきはきした男性の声。
『こんにちは』ルーシャスはチャットを入力。
『こんにちは』オスニエルは、自分の画面にそれが送られてきたことを見せ、挨拶を返してきた。
『では、本題に入ります。試験の結果は合格です』
「まぁひとまず、良かったね」シェリーが歯を見せて笑う。
ルーシャスは、シェリーと顔を見合わせた。
『参加を希望するメッセージを一週間以内に頂ければ、プログラムへの参加が決定します』
トーク画面に、締め切りの日付と時間、メッセージの入力に使うためのサイトとアプリケーションが表示される。
「さんか……だよな」ルーシャスは小声で言い、文章を打ち始めた。
「本当にいいのかい。一時的に仕事をやめないといけないんだよ?」シェリーが真剣なまなざしでルーシャスを見つめる。
参加という単語が打ちかけで、チャット内にとどまっていた。
確かに、良い就職先が見つかるかは分からない。
シェリーは、チャットを打ち込み、
『今すぐに参加するかどうかを決めろと言うことではないんですよね。書類だけ頂けませんか』
『書類には機密事項も含まれますので、どこでも読んで頂くということはできません。しかし、シェリーさんのNGOの建物内で専用のタブレットを使用し、機密保持が万全な状態であれば、そこで読んで頂いても構いません』
シェリーは、舌打ちし、「確認作業に面倒な方法を取らせる。そんなのはインチキ商法でよくある話じゃないか」
『ここで、何時間か読ませて頂けませんか』シェリーは素早く打ち込む。
『それでは、これから1時間程度、ここで書類を読んで頂き、さらに読みたいのであれば、建物に持って帰るというのはどうでしょう』
シェリーは頷き、「ま、あたしは何度も読んではいるけども」
『構いませんね、ルーシャスさん』
『はい、それでお願いします』
『ここでの作業時の注意点ですが、書類の撮影はお断りしています。飲食は自由です。部屋の外にハンバーガと飲み物の自販機がありますので、良ければ使ってください。トイレは部屋から出てすぐ左にあります』
オスニエルは、部屋に貼ってある避難経路図で、位置関係を教えてくれた。
『ここに書類の見方のマニュアルを置いておきます』
そういって、オスニエルは部屋を出た。事務所へ戻ったのだろう、隣の部屋の扉が閉まる音がした。
「うっさんくさい男だね」シェリーは腕を組み、ふんと息を吐き、スマートフォンを操作し始めた。
「携帯は繋がるみたいだね。それでも、信用するんじゃないよ」
ルーシャスはほっと息をつき、書類に目を通し始めた。
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