挿話 ベルグランデ 1
今日ならできるかもしれない。その幻想を、この半年の間何回持っただろうか?
思いっきり引く。押す。蹴る。体当たりをする。椅子をぶつける。魔導銃で撃つ。炸薬を塗り、爆破する。
無駄な努力だって十分にわかっている。
わかっている。
「やっぱり……これが成れの果てなのね」
薬莢が転がり、すえたにおいのする部屋のなか。煙が晴れて、何事もなかったかのように、装飾の一つもかけることなくたたずむドアを見ながら、私は、いつものように確信をもって、そう呟いた。
諦めを抱えながら、ドレッサーに向かう。これは、儀式だ。私の体を覆っていたネグリジェはあっという間に姿を消し、そこには、軍服に身を包んだ、かつてノルディックの鬼百合と言われた、私の姿があった。そのまま、鏡の前に移動する。キっと表情を引き締めて、
「成れの果てとは何事だ!」
そう、鏡の中の自分に言い聞かせるように檄を飛ばす。だけど鏡の中の自分が情けない顔をしているのに、幻滅し、ふっと肩の力を抜く。知っている。これは私自身なのだということを。
私が受けるべき罰だということを。
諦めて、ドレッサーから、普段着にしている簡素なワンピースを選ぶ。赤い光の後に、そのワンピースは、私の身を包んでいた。鏡を、隠そうと思って、布を持ち上げようとするが、持ち上がる気配すらない。
今の私は、世界に干渉するすべそのすべてを失った。ただあるだけの人形のような物だ。
自らでは、何もすることができない。ただの人形だ。
床板に偽装してある携帯型聖域から、大きな対物ライフルを取り出す。
『対物大口径狙撃銃 リスティル』対聖王遺物に作った魔導銃だったが、結局完成する前に、リスティルは私の前から姿を消した。いや、無事に過ごさせるためには、そうするしかなかった。そうするしかなかったはず。
あの日のことは何度も、フラッシュバックしてくる。
「あんた、本気?」
「ふふ、あなたがそんな言葉を口から出すなんて、ずいぶんとなれたようじゃない」
「茶化さないでよ。知っているのでしょう?」
あの天気のいい日、私は魔王と向き合い、お茶を楽しんでいた。私の記憶では、鬼軍曹と呼ばれたかつての大男は、華奢な女性の身体に身を包み、優雅に振舞っていた。
「で、あなたはどっちになったの?聖王?魔王?」
「魔王だよ。結局、私は、何かを得ようとするよりも、他人から奪う方が向いているらしいな」
「奪うなんてとんでもないわ。あなたは、願いを聞いて回る方にに回っただけでしょう?」
「自分を諦めたともいえるな。まあ、フィルトが、聖王になったよ。今はファラって名乗っている」
その事は妥当なことだと私は、紅茶を口に運んだ。フィルトは利他的な人間だ。ソルティーラも認める聖騎士と言っても差し支えのない自己犠牲ができる人そう知っているから、私は、自分の願いを叶えるためだけに、その座を譲り渡した。
「何を考えているの……はぁ、こういうのは言いたくないけど、自分の口からこんな言葉が出るなんて信じられないこともあるものね」
ラグルス……いや、ラーズは、そう呟くと、同じように、紅茶を優雅に口に運ぶ。
「そうね。でも、こんなことを頼めるのはあなたしかいないの」
リスティルを、巡礼に参加させて、そして、聖都で、死を与えてほしい。できれば、魔王であるあなたの手で。
私が頼んだのはそう言うことだった。これ以上、リスティルに過酷な運命を背負わせることは、避けたいと思っていた。それに、私の家のことだ。私が何とかしないといけない。
「なあ、そこまでする必要があるのか?だいたい」
「そうね。でも、安全な場所がそこしかないのだから。お願いね」
しばしの沈黙が、流れた。
「……わかった。その願いを引き受ける。でも、本当にそれでいいの?」
私は沈黙をもってそれに応えた。これで、リスティルは、大丈夫だ。私は私のことをしないと。
しかし、その安堵が、最大の間違いだと知ることに、そう時間はかからなかった。
私の願いは、すべて叶ってしまった。そうなれば、私という人間が存在する必要なんてない。それを知ってしまったのは、それから2週間の後だった。




