アーガイル旅団
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必死な形相で、私は泥の中を駆け抜けていく。後ろから迫る気配、5つの影。振り返るわけにはいかない。眠る小さなおくるみを胸に擁き、無心に駆けていく。それでも、目を上げると見えてくるのは、あそこまでたどり着けば、この逃避行が終わるという確かな御印。
「勝った!!捕らえた!!我らの希望、我らが人に至る道!!!ざまぁみろ、ざまぁみろ!!妖魔族、鋼魔族、妖精族、神霊族・・・そして統一王!!!人間を甘く見ているからこうなる!!!」
強い雨が、彼の者らとの距離を作り出す中、目に飛び込んできたのは、人間の御旗。
「あの旗の下にたどり着けば、俺たちの勝利だ!!」
疲れ果ている体に鞭を打ち、その御旗の下に向かい一歩一歩向かっていく。苦しいはずだが、笑みが零れ、……体の底から歓喜の声が漏れる。
「……!……!!……ソスペィル団長!!」
「ああ、すまないな。ドーザー。何かあったか?」
ソスペィルは、副官であるドーザーの声に体を起こし、自らの状態を確認した。今の姿は、泥に濡れているわけでもなく、その手には、ペン以外の何も持ち合わせていない。
そして、心の底にあるのは、歓喜ではなく、それとは全く逆の感情だった。
「いえ、報告をしている際に、少しうとうとしていらっしゃったので、お疲れではないかと思いまして、なにせ、フラジャイル旅団が、半壊した状態でサラディスに戻ってきてから、その動向に気をもまれていらっしゃいましたので……」
「ああ。私のことならば問題はない。貴公らには、いつも心配をかけるな」
「……アーガイル旅団は、団長あってのものなのですから。お体には十分に気を付けてください。それでは、失礼いたしました」
ドーザーは持っていた書類を、机に置くと部屋から出て行こうとする。
「ああ、ドーザー、少し頼みたいことがある」
「はっ、何でしょうか?」
ドアまで行き着いた、ドーザーが、振り返りソスペィルを見る。いつの間に窓が開いたのか、ふわっと、カーテンが揺らいでいた。
「フォビア旅団のペルナ団長に事付けを頼みたい」
ソスペィルは、机にしまっていた封筒を取り出す。厳重に封蝋が施された物だった。
ドーザーは、怪訝な表情を浮かべたが、その封筒を受け取りに、踵を返し、ソスペィルの机に向かい、封筒を受け取った。封蝋には、記号化された太陽と月が重なっている様子が描かれていた。
「では、頼む」
そう言うと、ソスペィルは、ドーザーに背を向けた。怪訝な表情を浮かべたドーザーだったが、それ以上問うこともなく、その部屋を去っていく。
「……よろしかったのですか?」
「うん?何がだ?」
「あの御印をみて、何も考えないとは、あなた様の臣民の片隅にも置けないと思っているのですが」
ソスペィルは、ふんっとその言葉を鼻で笑うと、机の上にぞんざいに足を乗せた。その衝撃で、積んであった書類が崩れ、紙の束が宙を舞った。
「ドーザーはよく戦ったではないか?それで十分だ。だからこそ、褒美を与えることにしたのだ。全く……ペルナの機嫌を伺うのも難しいものだ」
「左様ですな。陛下」
掲げたソスペィルの手にまるで今まで宙を漂っていたことを忘れていたかのように、ワイングラスが納まる。
「注いでくれないか?ここでしか飲めない物を」
「はい、畏まりました」
すっと、物陰から細身の青年が歩み出る。手には、短い直剣を持っている。ソスペィルに歩み寄ると、ワイングラスの上にその左手を掲げる。
「派手に頼むぞ」
細身の男は、ソスペィルに頷くと、無表情に、剣を持った右手を上にして、
強く左手を、自ら貫いた。
時が一瞬止まったかのような鈍い音が鳴り響く。やがて、剣先を紅い液体が滑り落ちながら、グラスに注がれていく。
だが、それは血にしては紅すぎて、そして、空気に触れても凝固する様子もなかった。ソスペィルは、無表情にその様子をただ見つめているだけだった。
「お待たせしました」
ワイングラスの半分ほどの量が注がれたのを確認して、細身の青年は、左手から、乱暴に直剣を引き抜いた。ソスペィルが、グラスを揺らし、その状態を観察する。
そして、口に含んだ。
室内に沈黙が訪れた。先に口を開いたのは、ソスペィルだった。
「良い出来だ。これなら、彼の方も満足してくれるだろう」
「そう言っていただけると幸いです」
頭を下げた細身の青年を見ながら、ソスペィルは、グラスに残った残りを飲み干した。
「だが、不思議な雑味が混ざっているようだ。」
「はい。現在原因を調べています」
ソスペィルは、不満げな表情を浮かべたが、特に何も言わずに、グラスを細身の青年に渡した。
「あと、陛下。聖王ファラですが放っておいてもよいのでしょうか?命あらば……」
「たとえ異物だとしても、呼び名自体は、同じ聖王、そして聖王遺物だろう。聖剣よ。あれは今のところは放っておくという決定だ。」
聖剣は、何とも言えない表情を浮かべたが、その言葉に反論することもなく、ただ、頭を下げただけだった。
「さて、久しぶりに、聖域深部に行くぞ。準備を頼む」
「はい、わかりました」
立ち上がったソスペィルに、聖剣は近づいた。強い風が一瞬カーテンを揺らし、部屋の中を駆け巡り、そして、たたきつけるように窓が閉まった。風に舞った書類が、居場所を得るころには、二人の姿はどこにも見ることができなかった。




