第三話 黄金の血塗られた巡礼路 10
「う、ううん……」
ミッシェルが薄く目を開くと、そこには、濃い緑色の天井が広がっていた。朧げに憶えていることでは、アーレスからもらった貴重品の回復錠を口に含んだことまでは憶えている。
しかし、起き上がろうとしたが、まだ頭が重くて、芯の方がしびれているような感触が残っていた。
「無茶しちゃったからかな?」
アーレスに掛けたのは、自分が使える盾の魔法の中でも最大の効果を持つものだった。無事に進んでいるといいと思い、ふぅっと、息を吐いた。
「ミッシェル?目が覚めた?」
その吐息が聞こえたのだろうか、視界に飛び込んできたのは、モニカだった。巡礼服の上に、医術士の正装を羽織っている。モニカは、ミッシェルが、起き上がろうとするのを止めると、サイドテーブルに用意してあった、薄く赤みがかった液体が、半分ほど入った水差しを手に取った。ミッシェルの口に、それを当てると、中身を流し込んでいく。
「ゆっくり飲んで。こぼしてもいいから」
ミッシェルは、口にどろりとした液体が流れ込んでいるのを感じた。その液体を嚥下すると、不思議と、体の底から、ぽかぽかとしたような暖かさを感じていた。
やがて、水差しの中が空になったのを確認して、モニカは、そっとミシェルの口から、水差しを離した。ミッシェルは、口の中に残ったその感触を楽しむように、舌を動かして、ふと、その味が、どこかで味わったことのある懐かしい味だったということに気が付いた。
「ミッシェル、大丈夫?」
「うん、ありがとう、モニカ」
ミッシェルは、ゆっくりと上半身を起こして、辺りを見回す。そこは、救護所のようだった。簡易な棚には、薬品や医療器具が詰め込まれて、入所者を待っていた。
「救護所?」
「ええ、今回は設置したの。いままでが、怪我知らず、死人知らずの、うちの旅団だったとしても、今回の攻略は手がおれそうだからね」
今回の攻略でも、攻略パーティが、大きなけがをしたとかいう話は聞いていいなかった。万が一があったときの準備に十分に時間を掛けて、万全を期す。いつものモニカらしい、やり方に、調子を取り戻せたようだと、ミッシェルは、ホッとする。
ふと、ミッシェルは、さっきまであったはずの、頭の重さと身体の芯から来る倦怠感が、薄れてもう、感じることもなくなっていることに気が付いた。
「すごい効き目ね。さっきの薬。」
「え、そうなの?」
モニカが、驚いた表情を浮かべた。ミッシェルは、ベッドの横に、置いてあった履きなれた靴に足を通した。
「……本当に聞くって思っていなかったわ。なんか、サラディスについてから、今日まで、医術士としてのプライドがボロボロになっていくわ……」
「また、どこかでもらったの?」
「ええ、ちょうど、このダンジョンに入る前に、ほら、ラーング旅団の団長が、『黄金の巡礼路』から出てきたの。その時にね、ミッシェルが目を覚ましたら、これを飲ませてって言われたの」
「ファラ団長が?」
昨日の夜といい、何度も、助けてもらっていると、ミッシェルは、次に会ったときには、お礼をしないといけないと心に決めた。
「それでね」
「モニカ?入っていい?」
答えを聞かずに、テントの入口が開かれる。入ってきたのは、ミッシェルが予想していなかった人物だった。
「こら、一応あなたは重病人なんだから、じっとしておいてって言ったでしょう?」
「ええ?もう、ついてきてもいいって言ったのは、モニカだよ」
そこにいたのは、昨日の夜、瀕死の重傷だったマリアだった。
「マリア?」
「ミッシェル……ただいま」
ミッシェルの双眸に涙がたまった。「もう大丈夫なの?」「辛かったね」言いたい言葉、伝えたい思いがたくさんあったが、それが、ミッシェルの胸の中で、ぐるぐる回るだけで、口から出てくることはなかった。
「マリア」
気が付いたら、ミッシェルは、マリアをハグしていた。
「ミッシェル」
「はあ、見せつけちゃって、私も混ぜてよ」
救護所の中央、久しぶりにそろった3人は、静かに再会を喜んだ。
「そうなんだ、サラディスでは、もう3日もたっていたんだ」
「ええ、そうなのよ。交代の予定の日になったから、準備して、ここについたら、ミッシェルが倒れているって聞いて驚いたわ」
「そうなんだ。ところでさ……」
「そう言えば、ここに来る途中で、ファラ団長のほかに、ロイエス旅団のフラちゃんとフレちゃんと会ったわ」
「フラちゃんと、フレちゃん?」
フレは、あの時マリアを助けてくれた立役者だったが、フラは、聞き覚えがなかった。少し頭をひねっているミッシェルに、モニカが助け船を出した。
「ええ、あの邪魔と言われていた」
ああ、と、ミッシェルは、あの光景を思い出す。あれにはいったいどういう意味があったのだろうかと、考えたが、答えは出そうになかった。
「フラちゃんは、どこかに走っていくようだったから、声はかけられなかったけどね」
「そうなんだ、それは残念だね」
できれば、会って話がしたかったなとミッシェルは考えていた。そんな時だった。激しい鐘の音が、陣地に響き渡った。
「今日の鐘は、激しいのかしら?」
乱雑に、診療所の入口が開けられる。ブライトンだ。
「ミッシェル、目が覚めたようで何よりだ」
「何かあったの?」
モニカが、ブライトンをじっと見据える。ブライトは、静かに頷き、視線をずらした。
「先遣隊が、戻ってきているらしい。受入準備を進めてくれ。あと、何かに追いかけられている様子だ。戦闘になるかもしれない」
その声に、ミッシェルたちは頷いて、持ち場につくために、装備を整える。ミッシェルは、魔法の発動体の指輪と、護身用の細剣を手に取り、マリアは、右肩当の上に、胸当てを身に着けて、左手にクロスボウ、右手に手斧を装備する。
陣地内に緊張が走った。最初に、聖域の暗がりから現れたのは、
「おお、メルダ王女だ!」
「よくぞご無事で」
王女派の中から、安堵の声が響いた。だが、次の瞬間に、顔に浮かんだのは、困惑だった。いつもは、整っているメルダ王女の顔は、焦りと恐怖に染まり、仕切りに後ろを気にしていた。
「聖女メルダ!!」
まるで、呼びかけが聞こえていないように、メルダは、陣地に入り、そのまま、駆け抜けていく。一時は呆然としてた、王女派の一団は、その後を追うように、陣地から出ていく。もともとは、陣地の防衛に置かれていた人員だったが、それも無くなってしまい、明らかにサポーターたちに、絶望に似た空気が流れた。




