第一話 宴の後 夜は更けて 7
短い部分ですが、気分を害する文章があるかもしれません。
ファラたちを、入口まで見送ると、ジェロとブラントンは、安どの息を漏らした。
ファラたちは、マリアを助けてくれた礼について何も求めなかった。それは、まるで義務だから、仕事だからやっているという様に、感謝の言葉こそ受けたものの、淡々とこちらの物資などの提供は断ってきた。どの旅団も、物資にそう余裕があるわけではないと思う。低級の傷薬1個でも欲しいと思っている旅団もあるのだ。
しかし、断られ、ただ、気持ちだけはもらっていくと言われると、なんだか悪い気がして、サポーター全員で顔を見合わせた。
ミッシェルは、マリアの看病のために部屋に籠り、モニカとそれ手伝っていた女性たちは、汚れた服を取り換えに一度、自分たちの部屋に戻っていた。
「で、これどうするよ」
「まあ、どうしようもねえよな」
サポーターたちの目の前には冷めた料理が、食されるのを待っていた。確かにいつもの料理だと言われればその通りなのだが、それでも、せっかくのごちそうだったものが食べ時を逸してしまうのは心残りがあるものだった。
「本当に申し訳ございません!」
「邪魔をしてしまったな……すまない」
ポールの地面に頭が付くような謝罪と、エリクトンの申し訳なさそうな声が大広間に響いた。その声を効いた、ジェロは、肩をすくめ、ブラントンも、ポールの下げた肩を優しく叩いた。多くのサポータたちも同じように、二人を責めるものはいなかった。
「気にすることじゃねえよ。平民は、助け合ってこそのものだ。もし、俺があんたと同じ状況におかれたら、きっと同じことをするさ」
「それに、恩人が助かって良かったじゃないか。まあ、本当に恩人だけだったのかって野暮なことは聞かねえよ」
ジェロのその声に、一部抗議の声が上がったが、思うところはあったのか、やがて、ひそひそとした話し声に変わった。
ジェロとブラントンは、空いていたテーブルにつき、再度、中央に盛られた冷えきってしまっているだろう、肉の固まりにナイフを刺した。
突き刺さるだけだと思ったナイフが、すっと、黒い肉から紅の断層を発掘していく。そこからは、冷めた料理とは思えない、暖かな湯気と肉汁が溢れていた。
「おい、これって」
「おい、このパン、あたたけえよ。うめぇ!やわらけぇ!!」
「このクロケッツも、今揚げたてみたい。サクサクしておいしい!」
「へ、俺は騙されねえぜ、こんな、冷めた料理がうまいわけないだろう。へっ、なんだ、このトマト、良く冷えているじゃねえか…うめぇ」
大広間から少しにぎやかな歓声が木魂した。
「もう、さっさと盛り上がっちゃって……けが人もいるのに、文句言ってきた方がいいかしら?」
ミッシェルは、マリアの額の布を取り換えると、粗末な椅子から立ち上がろうとした。それを留めた手があった。
「マリア、目が覚めたの?大丈夫?」
「ミッシェル?なの?……ここは?」
「ここは、団長派の施設よ」
マリアが、上半身を起こそうとしたが、全く動く気配はなかった。ミッシェルは、その様子を見ながら無理をしないでと声をかける。やがて、起きることをとりあえず諦めたように、マリアは、ぼうっと天井を見上げる。
気まずい沈黙が流れた。マリアは声を出さずに、手の指を動かしている。
「ミッシェルから教えてもらった……『忌むべき威圧への盾』使えたの……初めて……4日前に……」
マリアの言葉に、ミッシェルは、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、「そう」としか返せなかった。きっとマリアはこれから、本当は話したくないことを私に話すのだろう、そう覚悟したようで、ミッシェルは、マリアの近くに椅子を動かし、その左手を握りしめた。マリアは、その手をぎゅっと細くなった手で握り返してきた。
「みんなを護りたいって思って……言い返したの……スパイなんて……そんなことしている人はいないって」
ぎゅっと、ミッシェルの手に弱弱しいながらも、手の力が伝わってくる。マリアは、この細い手で、ミッシェルたちのパーティの前線を戦ってきた。それは、アーレスやロンディス、マリベルに比べれば力は劣るかもしれないけど、それでもアタッカーとして、ジョロの隣で、皆を護るために戦ってきた。
そこからの話は酷いものだった。呼び出されたマリアは、気絶するまで、殴りられ、蹴られ果てない暴力を受け続けた。その後、魔法封じの首輪を付けさせられて、入れ替わり立ち替わりに馬用の硬い木の鞭で背中を撃たれ、背中は傷だられになった、そこに、塩を刷り込まれる。マリアはあまりの痛さに悲鳴をあげて、悶絶した。すでにそのころは夜だったらしいが、それから先眠ることも許されず、食事もとらされず、少しでも眠たそうな素振りを見せたら、灼けた銅板を押し付けられて目を覚まさせられた。翌日からは、首に麻縄を着けられ、施設の中をまるで奴隷の首紐を引っ張られて、歩かさせられた。貴族の部屋に入り、『威圧』やそれに類似する魔法で、意志を取り上げられ、どんな命令にも服従を強いられた。その相手の気分で、マリアは、踏みにじられ、躊躇なく魔法で焼かれ、剣で斬られ、徹底的に傷つけられた。そして、傷の多くは、わざと跡が残るように中途半端な治癒魔法でしか直してもらえなかった。
3日目は、もう、覚えていないらしい。そして、気が付いたらここにいたということだった。
いつしか、マリアの両目から涙が溢れていた。ミッシェルも、短く、ゆっくりと伝えられた言葉の中に、マリアの感じた屈辱、絶望を感じ、涙を流していた。
「でも、助けてくれるって……ミッシ……なら……」
マリア、そう言うと嗚咽に言葉を飲み込んだ。かすかに部屋の中に響くにぎやかな声、それに気が付かれないように、マリアの嗚咽が部屋の中に響いた。
「で…でも、こんなにきれいに治してくれるなんて……」
「違うの…マリア、治してくれたのは……」
「うん、知っている……ラーング旅団のファラ団長だよね。声が聞こえたの、優しくて力強い声、でもね……」
「……ごめん」
マリアは、弱々しく、頭を振った。
「あの時、もう生きていたくないって思ってたの。そんな時、ミッシェルの声が聞こえてきたの、なんで治らないの!目を覚まして!って、いう声…覚えてるの」
どちらかともなく、すうっと息を吸った。
「でも、その後だった、ファラの声が聞こえたの。『あなたに生きてほしいと思っている人の声を託します』って、誰って聞いたら、「え~と、ラーング旅団団長のファラです」って返してくれたの。その声、ちょっと気が抜けてて安心したの」
ミッシェルは、記憶を掘り起こしたが、そんなに気が抜けた人には感じられてはいなかった。
「ミッシェルが、近くにいることもわかっていたの。でも、声が出せなかったの」
ミッシェルに、もう、掛けられる言葉はなかった。絡み合った左手をそっと、ミッシェルは、胸に持っていき、両手で包み込み、額を寄せた。本来なら失われていたはずのもの
が、奇蹟のような出来事で残ったそれが、とてもうれしかった。
「ミッシェル、はいるよ」
ノックもなく、ドアが開かれた、そこには、モニカが、両手に食事を持ってきていた。その匂いが、部屋に充満した瞬間だった。
くぎぅぅぅぅぅぅ
盛大に、マリアのおなかが鳴いた。
「ああ、もう……」
「良かった、それでもおなか空くってことだね」
「モニカ、マリアは、3日くらいほとんど飲まず食わずだったんだって、何か消化にいいものを食べさせてあげて」
モニカは、頷き、手元のもので、柔らかくしたパンを用いた回復食を造る。
「相変わらず、てぎわいいね。さすが、最年少医術師 モニカ様」
「おだてても何も出ないよ、ミッシェル。はい、できたよ。」
マリアは、ミッシェルに、上半身を引き起こしてもらい、モニカから、スープを一口、口に含ませてもらう。最初こそせき込むような様子があったものの、ゆっくりと、口の中で咀嚼し、それを飲み込んでいく。
ミッシェルは、その様子を見ながら、持ってきてもらった料理を口に運んだ。冷めるだけの時間は立っていたはずなのに、それは、確かに熱を持ち、作りたてのような暖かさをたたえていた。
「おいしい。皆が、歓声を上げるのもわか…」
ミッシェルが、入口をみて固まった。ポールと、エリクトンを筆頭に、サポーターの面々が、こちらを見ていた。それに、モニカが、笑い声をあげた。
「みんな、心配だったって。もう、男は近づくなって言ったのにこの有様……」
モニカは、含んだ笑みを持たせると、回復期だから、面会は制限すると、高らかに告げた。その声に、反論もあっただろうが、ポールもエリクトンも、それに同意し、とりあえず、宴会の輪の中に還る。
モニカは、ドアが閉まり、誰もいなくなったことを確認して、火酒のボトルを呷った。
ミッシェルが止めに入るまで、それは続いた。
「モニカ。止めて。マリアがいるのよ」
痛々しく叫ぶ、ミッシェルの声に、モニカは医術師としての職責を思い出したようだった。壁によりかかり、がっくりと頭を垂れる。無言だけどきっと、モニカも泣いているのだろう。
「あたいは、無力なんだね…ミッシェル……」
モニカは焦燥した顔で言葉を告げた。
「威勢だけは良くて、誰も傷つくことを止められず、ファラみたいに、深い傷は全然癒せない。あたいは、医術師の限界を感じたよ、つくづく、あたしは無力なんだって……何もできないって……」
一生懸命にモニカの治療をやっていたことはわかる。でも、それを横から突然現れたファラに、功績ごと、すべて攫われた……この気持ちをどこに持って行けばいいと、モニカは、問いかけていた。
ミッシェルでは、答えを出せない。だが、その助け船は、意外なところから現れた。
「……そんなことはないの……」
しばしの沈黙の後、マリアが口を開いた。おどろいたような表情を浮かべ、ミッシェルとモニカは、マリアを見る。マリアは、その首だけを、2人に向けた。
「モニカが献身的にしてくれた……そのおかげで、ファラさんが着くまでもって……そして、こうやって……」
「そうだね、モニカはすごい。でも、ファラさんは、もっとすごい。それでいいじゃない。モニカは、モニカにできることをやっただけ……そうでしょう?明日からは、そのファラさんがいてくれるわけじゃないし、モニカにもっと頼らないといけない時が来ると思うから。……でも、」
ミッシェルは、次の言葉に悩んでいるようだった。モニカも、その言わんとしていることを察して、ほんのわずかに目を伏せた。ほんの少し前までは、明日からみんなで頑張っていこう!なんて無邪気に言えた。けれども、今夜、フラジャイル旅団は、すでにまともじゃないということをまざまざと見せつけられた。
「明日からの攻略……無くなってしまえばいいんだけど」
ミッシェルの発した小さな声は、近くにいたモニカとマリアにしか聞こえなかった。それは、2人とも同じ気持ちだったようで、気まずい沈黙が流れた。伝説に聞く、聖都を見て見たいと、自らの力を信じて、入った旅団の昏い現実は、ミッシェルたちだけではなく、確実に、サポーターたちの心に、良くない影響をあたえた。
おそらく、皆同じように不安を抱えているのだろう。そう思い、ミッシェルは、窓の外を見た。
気が付いたら、宴の声も消えて、夜が更けつつあった。




