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忌むべき夜明け 10 side

ここから、リディア他の視点の話が少し続きます

「もう、無理だ。諦めろ。……」


「でも、あの中には……娘たちがいるのよ。あなた!」


 ああ、炎が全てを変えていく。熱い風が頬を打つ中、私は立ち尽くすことしかできなかった。皆が必死に消火活動をしているのをただ見ていることしかできなかった。


「ベルグランデ……リスティル……」


 ぺたっとしりもちをついた。服が汚れるのもかまわずに、ただ、自らの無力さに打ちのめされ、残酷な事実を目の前に提示されながら。ただ、もう一歩も動くことなどできないそう思えた。

 目の前で大きく炎が爆ぜた。熱と光が、ここも危険だと知らせている。



 そんな時だった。


 雪が降り出したのだ。



 誰にも気が付かれることもないままに、雪が降り始めたのだ。


 短いノルディック侯国の夏のさかりに、雪が降り始めたのだ。


 白と赤がまるで踊っているかのように、庭園で輪舞っている。

 


 その雪は庭園に積もり、緑の庭園を白く変えていく。



 それが、夢だったのか、それともそうではなかったのか。今まで考えることすらも考えつかなかった。



「奥様、お目覚めになられてください」



 薄雲の先から差し込む陽の光が眼に飛び込んでくる。

 

 私は、ゆっくりと体を起し、状態を確認した。

 ほんのついさっき、深くダメージを受けたはずだったが、今は、それを感じさせないほどに爽快な気持ちだ。

 目覚めを告げたのは、確かにリスティルお付きのメイド。マリーの声だった。

 この半年の間、必死にやってきた。うまく行かないことの方が多かったけど、それでも、ここまでこぎつけた。

 その最後に聞くのが、リスティルのメイドのマリーの声というのは、不思議な感じ。


「リスティルたちの方は、うまく行っているかしら?」


 ついそのことから、口に出てしまう。

 慌てて辺りを見回す。本来であれば、この天幕の中は、兵士や士官によりごった返しているはず。

 ただ、そこには誰もいる気配もなく、痛いほどの静寂が場を支配していた。

 それが、不幸なのか、幸いなのかわからない。ただ、本来は残っているはずの護衛もいなかった。不思議に感じながらも辺りに視線を這わせる。

 サイドテーブルには、最後まで目を通していた、作戦指令書。その隣にはベルグランデの愛してやまない本が3冊積まれている。

 この本を通じて、ベルグランデに、リスティルの思いそして、成長が伝わっていればいい。そうでなければ……。


「あら?」


 その横、見慣れない……いや、見慣れている。ただ、この場にはそぐわないものがまるで自らを固辞するように置かれていた。


 ワゴンに積まれた、ティーセット。

 ポットからは微かに湯気が上がり、いれたての紅茶、近くには、スコーンとジャムが置かれている。

 そしてその絵柄。確かに、フォーディン家で用意しているティーセットだ。

 すっと、鼻腔を微かなシナモンの香りがくすぐった。


「そう言えば、リスティルがまだ小さかったときは、マリーはたっぷりの砂糖を入れたミルクティーをリスティルに出していたわね。

 少し懐かしいわ」


 そして、フォーディン家、冬の朝の楽しみ、ブレックファーストティー。

 その食前の(楽しい)時間、私にはシナモンミルクティーが振舞われていた。

 部屋が温まり食事がテーブルに並ぶまでの僅かな間、それを呑みながら、気さくに今日の予定の話をするのが、フォーディン家の日常。



 もう戻ることのない、そう、昔の話。



 そっと、カップに手を伸ばす。水面が揺れ、そこからシナモンの香。立ち上る。微かに、そして、揺れるように。


 すっと口をつける。おいしい。そう、とてもおいしく感じる。そして、懐かしい。


 あの時の味に似てるようで、とてもよく似ていて。水面の白に紅い光がとても揺れて、そう、揺れている。



「奥様。奥様」


 声が聞こえる。涙の幕の外から、声が聞こえる。呼んでいる。私を呼んでいる。


「ああ、マリー。いたの。リスティルは。あの子は。どうしているかしら?」


 動悸が早く、言葉がうまくつながらない。リスティルが泣いていないといいけど、あの子ったら、ベルグランデを敬愛しすぎて、愛しすぎて。

 私も心配していたわ。ベルグランデが銃を、このノルディックに広めると言った時に、正気すら疑ったわ。そして、ベルグランデが自ら兵役に行った時に涙を流したわ。

 遺骸が届いて、その翌週にあの子がひょっこりと戻ってきたときには驚きすら覚えたわ。


 ええ、そして、ベルグランデは、この国の在り方も変えてしまった。

 そんなに行動力のある子に見えなかったのに。そんな力強いの仔に見えなかったのに。


 でも、心配なのはあの子が、帰ってきてから、頻繁に外泊していることなの。この間は1週間も戻らなかった。

 でもね。縁談が来ているの。あの子に。良縁よ。少しは落ち着いてほしいけど、こういうのは無粋というものね。

 縁談でリスティルが寂しがらないといいけど、リスティルは、手間がかかる子だった。でも、元気になってくれてとてもうれしい。

 もう心配はいらないわね。見守っていてあげたい。


「ええ、奥様。ですが、今。ベルグランデ様とリスティル様は、困難で、大事なお役目に立ち向かっております。お二人をを信じてくださいませ。それができるのは奥様であればこそです。

 だからこそ、たとえ自らの力が助けになれなくとも、お近くにいてください。


 近くで見守っていてくださいませ。


 奥様。お嬢様は、私たちが全力でお守りします。」


 気配がある。3人の気配。そうね、ジェームズとベリアール。3人ならば、心配はいらないわ。



 添えられた手はとても懐かしくて、そして、確かなものだった。



 それからきっちり10分後、終焉を告げる咆哮が全てを薙ぎ払った。天幕の中も、当然に。


 作戦司令室も医療室も幹部室もその全てを等しくになぎ払い更地に変えた。


 空を舞い、灰燼と化すのは作戦指令書のみで、その他の物を見出すことなどできなかった。

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