かくして、優しい夜は啓ける(あける) 2
「今回の作戦目標は、魔草工場における証拠集め。また、敵対する勢力があった場合には、これを実力を持って排除するということ。これより、作戦の詳細を確認する」
手慣れた様子で、作戦の説明を行うアーサーの言葉を聞きながら。わたしはそっと、視線を巡らせた。オリビア、ロア、マリベルとロンディス。そしてミラ。みんながいる。
ただ、バンディーラ様だけがいない。そして、その事について、疑問に感じている人はいない。その事がわかって、内心で、少しがっかりする。
何気なく、ウエストポーチに触れる。そこから、星の旗を持った人形が、ひょこッと顔を出している。それを見て、ほっとする。心にかかる霞が晴れるように、不安が霧散していく。
昨日、あれだけ、忌み嫌った。この力……きっと、この人形はバンディーラ様に連なる何かなのだろう。昨日のことなのに、あまりに不気味で、情報が多すぎて……何が真実かわからなくなって……もう想い出の中にあるように現実感を失いつつある。
これは、いつもの光景……わたしは、なぜ、そう感じるのだろうか?
わたしに、ミラが何か言いたいことがあるような視線を向けている。視線を合わせると目を逸らした。
昨日こそ、忌避したけど……今はバンディーラ様の力は得難いものだとわかる。もし、この作戦が失敗したらとか、そんなことを忘れさせてくれる。
人間の心に沸き起こる、様々な負の感情を、バンディーラ様の力は、かき消してくれる。不安に理性を、葛藤に希望を、そして、恐怖に勇気を。心の底から湧き上がる、まるで自分に大きな力が宿ったような万能感。それを感じる。
それは、危険なことなのだろう。でも、わたしはそれでも、不思議と感じることがある。バンディーラ様は、自らの力を誇ったことも、見せびらかしたこともない。そして、それだけ強い力なのに、今まで聞いたこともない。
聖旗の聖女。さっきまで一緒にいたのに、今は、一体どこにいるのだろうか?
「……ここまで、理解できましたか?」
「はい?」
不意に名を呼ばれたように感じて、思わず返事をする。周りは、苦笑いを浮かべているそんな中、わたしは一人。壇上にはラーズが上がり、いつの間にか、作戦の話が終わりかけている。しまった、バンディーラ様のことしか考えてなかった。
「では、リスティル、作戦の概要を説明せよ」
き、聞いていないなんて言えない。そう思い、どうしようとラーズの方を向く。不意っと顔を背けられる。
どうしよう、本当に何も聞いていない。
「ええと、まず、今日は、闇に紛れて、魔草工場近くの廃陣地まで行軍を行う。明け方、偵察隊を組織し、魔草工場の監視ブロックに威力偵察を行う。監視ブロックを制圧後、工房ブロック、住居ブロックに部隊を派遣し、証拠物品の応酬を行う」
わかっていないはずの作戦の内容が、口からすらすらと出てくる。アーサーの話した言葉、書いた図形、資料のポイントが、まるで頭の中にポンっと沸いて出たようだ。
「よく聞いているじゃない」
わたしが、全ての内容をつつがなく応えると、ラーズは、少し、ミラの方を見た後にわたしに称賛の言葉とよくわからない言葉をかけてきた。どういうことと思い、ミラの方を向く。ミラは、どうだと言わんばかりに、ほんのわずかに、口角を上げた。
「そう言えば、先程の作戦内容に私たちは入っていませんでしたが……」
「当然だ。君たちを戦力として組み込んではいない。ただ、関係者として同行を許可しているだけだ」
アーサーの言葉に、何人かの銃士が賛同の声を上げた。そこには、確かに嘲りの声があった。
「ただ勘違いしてほしくないのは、戦力として当てにしていないということではない。ただ、君たちの行動は、組織的な動きを阻害しる可能性がある故のこととわかっていてほしい。では、準備があるのでこれで失礼する」
アーサーはそれだけ言うと、側近の銃士たちと共に去っていく。他の銃士たちもそれに倣うように共に出ていく。残ったのは、巡礼者たちとラーズ、そして、
「リスティル、少しいいかしら?少しだけ、2人で話したいのだけど」
リディア母様だった。
「お母様」
皆を見る。
「準備に行っている。遅れないようにしてね」
「先に向かっておく(今日は、聖王巡礼路は使用しないから、ゆっくりして来て)」
オリビアの声とラーズの声が聞こえ、皆も扉から出ていく。残ったのは、私達2人だけだった。
「リスティル……まずは、謝っておかないとね……貴方の冤罪と、ベルグランデの濡れ衣を晴らせなかった。それは、わたしにも責任があるわ。そして、助けられなかった……本当にごめんなさいね」
「お母様……」
あのお母様が、謝意を現している。その事にわたしは、仮面を被ることもできず、ただ、驚くことしかできなかった。目の前の軍服のお母様は、その陳謝の姿勢を正すと、わたしに近づいてくる。頬に手の当たる感触。気が付くとお母様は、目の前にいた。
「リスティル、生きていてくれてよかった。あなたに会いたかった」
その手を握りしめる。想い出の中のお母様の手は、すべすべだったと思う。いまのそれは、節があって少し荒れている。でも、その柔らかさは変わっていなかった。
「……お母様」
ほんのわずかな間に様々な言葉が浮かぶ。でも、どの言葉も口から出ることはできなかった。もう、久しぶり過ぎて、どの言葉も、何もきっと伝わらない。伝わることはないと思う。それを察したのか、お母様はほんのわずかに微笑んだ。
「あの時心にもないことを言ってしまったわ。今日でようやく終わる。ようやく、あの子を取り戻すための充分な力を得られた。今日にリスティルがいてくれてよかった。もう一押しで、私たちは、ベルグランデを取り戻せる。そして、あなたに……」
一瞬目に涙が浮かんだように感じた。それを悟らせないようするためか、お母様は、後ろを向いた。
「お母様……大丈夫です。お姉さまと会うとき……その時はお母様も一緒です」
わたしの言葉に、お母様は頷いた。当然だというように。安心をさせるよう。でも、それが決して、簡単なことではないと、思っているようだった。
「わたしも、リスティルが危険なことをするのは反対よ」
その2人しかいなかったはずの空間。誰もいないはずの頭上から、不意に声が聞こえた。いつものように聞いていた声……
「バンディーラ様?」
「様はいらないわ、リスティル。あなたにはあなたにしかできないことがあるの。そのために、切欠を助ける。」
よっとと掛け声をかけて、バンディーラ様が私たちの間に降り立つ。お母様は、驚きを隠せていないようだった。
「だからこそ、ここは、私たちに任せてほしい。といっても、あなたを止めることはできないっていうことは知っているつもり」
「ええと、どこから聞いていたのですか?」
「当然、全部。」
最初から聞いていたのなら、空気を読んでほしいと思わず呆れる。ただ、わたしのその表情も、気にしていないように、バンディーラ様は、笑みを浮かべた。
ふと気になる。バンディーラ様が出てきてから、お母様が何の話もしていない。お母様の方を振り向く。そこには、驚愕に目を開いているお母様がいた。
「……ありえない。ありえないわ……なんで、あなた……ここにいるのですか?」
お母様が、首を振る。そのただならない様子。わたしは、不穏なものを感じる。
「聖王……」
「ごめんね、それ以上は、言わないで。バンディーラが苦しむ。わたしは、……同じ想いを持つ彼女にこれ以上苦しんでもらいたくない。だから
聖王の力……真似させてもらったの」
星の旗がわたしの視線の先を滑る……バンディーラ様……
言葉にもならないような異様な光景。ただ、それだけが事実。ただ、それ事はわたしに対しては、視界を拓く助けとなった。
ああ、そうだ、わたしは、そこまでいわれて……今更にして、そう、無知の海に、雫差す叡智の啓蒙のように気が付く。
そう、わたしは……ただ、気が付いた。
わたしは、あなたのことを何も知らない。
あなたの名がバンディーラで、そして……聖女。それ以外の何も知らない。
こんなただ一つの事実すら
今まで、目を背けてきた。
ただ知ろうとしなかった.
そう、なにも叡ろうとしなかった。