かくして優しい夜は明けた
誰かの泣く声が聴こえる。それに対して、わたしは無力だと知っている。だからこそ、それは、記憶に刻み込まれて、きっと私にとっての永遠に変わる。
「リスティル!リスティル!!」
明るいその言葉とそれに負けない言葉。それは充分にわたしの深いところに染み渡り、そして、覚醒を促してくれた。
「あ……バンディーラ様。……」
「あじゃないし、様はいらないよ。すごくよく寝ていたけど、大丈夫?」
星の旗が、日の光を通して、良く輝いて見える。そう言えば……今日は。
今日はそうだった!
「……準備してきます!!」
寝過ごしたと、思った。どたばたと、ベッドから飛び起きると、クローゼットを開く。中から出来てた銃士隊の制服を羽織る。ガンベルトを通し、脇を絞る。その上のゆったりとした巡礼服に袖をとおす。昨夜整備したリボルバー、カスタムした制式拳銃をガンベルトに通し、ショートバレルにカスタマイズしたショットガンを背中のホルスターに仕舞う。それは、まるで最初からそこにあったかのように、しっくりと納まった。
そうこうしているうちに、テーブルには食べ物の準備が整っている。立って食べられるように、クリームチーズとハム、そして、レタスをはさんだ二口で食べられるスコーンサンド。隣のコップにはたっぷりのミルク。立ち込める甘い匂い、おそらく、蜂蜜を溶かしこんである。砂糖をふんだんに使った食事。忙しかった見習い時代の朝に、姉さまが作ってくれた、時間をかけずに食べられる、食事だった。掻きこむように口に入れる。ひどく懐かしくて、とても甘くて、一日の活力をもらえる料理。用意されていたのは、ちょうど、動きやすい腹八分になる量。それを、残すことなく、飲み込む。
「じゅ、準備できました。」
厚手のブーツと、ガングローブに自らの手足を滑り込ませる。手癖で、巡礼のフード付きマントも身に纏う。半年もブランクがあると思えないほどに、わたしの体は、その事をきちんと覚えていたらしい。視線の先では、バンディーラ様が驚いたようにわたしの挙動を見ていた。
「リスティル、そんなに慌てなくてもいいけど」
「バンディーラ様、大丈夫です」
「様は、いらないわリスティル。準備はいいみたいね」
その言葉に、はいと頷く。手を取る。暖かい。
「行きましょう。みんな待っているわ」
ほんの一瞬、バンディーラ様の旗が揺れる。太陽と月が、わたしを見下ろしていた。
「はい、バンディーラ様」
「はい。リスティル」
手を取る。冷たいその手が、わたしを包み込んだ。
周りからは奇特な視線を感じる。当然だ。……ということは理解はしているつもりである。私たちは、銃士隊の制服の中で、浮いた存在になっていた。多くは、一人前の銃士の証である通常の長銃を持っていたが、一部は、全く異なる装備のものもいた。銃士隊の制服とわずかに違う服に袖を通し、近年開発されたと噂される連装式の長銃を背負ったもの。
あの噂は本当だったのだと、今更に気が付いた。第一侯爵家直下の銃士隊。公にされてはいないものの、侯国への忠誠を剣ではなく、弾丸で示す部隊。
”忠誠の銃弾(F.O.B)”だろうと思う。
その幻の部隊をと呼ばれるものを、正直初めて見た。おそらくは、アーサーが引き連れてきた部隊なのだろうか?
わたしの手元を見る。彼らとは、比べ物にもならない貧弱な装備。
いくら、姉が優秀なガンスミスとはいえど、用意できているのものは、私物と横流し品だ。あと、それがばれるのも困る。わたしは、つい手癖で掴んできた巡礼用のマントに感謝した。フードが、わたしの正体を隠すのと同時に、長いマントは、身につけている、銃器を隠してくれた。
彼らとは距離を取ろうと思うと必然的に、皆との距離が近くなる。
「大丈夫か(昨日は少しショックだったが……行けそうか)?」
「あ、はい。大丈夫です。」
ロンディスの言葉に、わたしはほっと、胸をなでおろした。たとえ、鋼魔などというものになっても、ロンディスはロンディスのままだ。仲間を見捨てようなどとはしない。それは、明らか。
「無理したら駄目だよ」
「はい、マリベルさん。」
マリベルも、そう変わったところを見ることはない。ただ、たった1日で慣れたのか、言葉を同時にかぶせてくることはなくなったらしい。
「……(妖精の女王、ティターニアの名において)」
前言撤回。いきなりこういわれると脳に悪い。全くと思っていると、ふと、ミラと視線があった。ミラと会話を交わすことが少なくなっているなと、そう思い、ミラの近くに寄ろうとしたその時だった。
「皆そろっているな」
アーサーと、お母様が、姿を現した。アーサーには、疲労の陰は見えないが、お母様は、表向きにはそう感じないものの、少し疲れた表情の陰が見て取れた。
その後に現れた人物にわたしは、驚きに目を開いてしまった。
「今日は協力者がいる」
「今日一日、世話になるわ。ラーズと呼んでくれないかしら?」
アーサーの言葉の後に、現れたのは、ラーズだった。侯国の女性士官用の軍服に身を包んでいる。もし、着慣れていない者が、軍服に袖を通せば、軍服に着させられていると揶揄されるものだが、ラーズのその出で立ちは、非常に様になっていた。ラーズは、侯国に縁のある人物なのだろうか?
そういえば、姉さまが銃士として師事していた人は、確かラグルスという男性だったなと、ふと思いだす。ただ、姉さまは、その事を一言も話さなかった。
『ねえ、お姉さま。あと、2年……ここにいたら、わたしもあの服に身を包んでいたのかな?お姉さまと同じように……』
わたしは、銃士隊に確かに所属していたが、まだ、軍事部門で働いたり、きちんとした訓練自体を受けたことはなかった。あの事件の後に、正式に1年間の間行われる、伝統的な軍属訓練に参加する予定だった。その一年間を通じて、技術だけでなく、侯国を守るための心構えを習得するというものだ。
姉にその内容を聞いたことがあるが、すさまじくきつく、大変だけど、侯国を護る覚悟を教えてくれるものだと諭された。ただ、姉の場合は、その後、すぐに戦争が始まったらしく、直ぐ徴兵されて、しまったと言っていた。
もし、姉様に会えれば、わたしも……そんな甘い覚悟は後ろに捨て置く。
わたしも……わたしも銃士であった。から、こそ、明かなことだ。次の言葉は容易に予測できた。
「銃士からも協力を仰ぐ。銃士隊、初版15番隊員隊員、リスティル・フィリア・フォーディン。侯国の裏切者にも参列を許列している。彼の者の奮起にも、期待するものである」
ほんのわずか、視線を惑わす。そこには、嘲り、無関心、侮蔑そのいずれかがあった。それは、夕暮れの向こうからくる闇のように濃くそこにたたずんでいた。
その闇に取り込まれれば終わりだ。でも、わたしは、ここに戻ってきた。
心細い、宵闇の路の先に光があるのだと信じ込んで……