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ロアという人物について

 シュ ジュ シュ


 薄暗い部屋の中、刃を研ぐ音だけが響いた。ロアは、手慣れた様子で、砥石を、波打った特徴的な刃を持つ大鉈に当てていた。ゆっくりと時に大胆に研ぎあげると、赤色の混じった鈍い輝きがそのくろがねの内より生まれ出でた。


 多くの辛苦を共に過ごし、心を安らかにし、今までの辛苦が嘘のようだった日も決して離れずにあった、



 ロアが勇者であり、勇者たる証。



 刻まれたその多くの傷は、今までの日が虚構ではなかったことを雄弁に語っていた。


 すっと、刃の様子を見て、ロアはその感情を感じさせない顔をほんのわずかに満足そうに歪めた。



 ゆっくりと立ち上がり、すっと上段に構える。窓から入る月の光の中、大鉈の放つ鈍い光に、聖域の儚げな赤い光が混じり込む。中段と構えを変える。その型のまま、その大鉈を下段から床に配し、自らはゆっくりと坐した。


 目を閉じて、スゥっと息を吸うと、肺にそれが落ちるまでただゆっくりと待ち続けた。肺に吸気がたまるのを感じ、ゆっくりとそれを吐き出した。目の内には、故郷の景色が、ただ焼き付いていた。ただ、今日のロアの心中に訪れたのは、後悔だけだった。


「こんなに近く、立ち寄ろうと思えば、立ち寄れるものの……歯がゆいものがあるものだな……女王陛下」


 今日訪れていたスペーサー家から、ロアが元々属していた獣人たちの国家までは、ほんのわずか四半刻ほどの旅程で着く場所であった。それでも帰れなかったのには十分な理由がある。



 ロアは勇者隊の一員。



 勇者とは、人間に味方した妖精の勇者。



 スペーサーの要と称され、妖精の勇者に期待されたのは、決して故郷に帰ることではなく、妖精と鋼魔の覚醒を見定め、御旗の心のままに動くこと。ただ、それだけで、それ以上は期待も何もされていなかった。

 老女王との昼餐にて、下された使命。本来なら、勇者たるロアに困難な使命を与え、それは、勇者にとって、勇気の薪に灯を与えたかのように、高揚するはずだった。

 ただ、ロアは、その聞かされた内容に心をかき乱すだけで、その心が本来向かうべき、高揚へと結びつく熱を発することはなかった。



 目を開き、満月を見る。その月が、起こるべき何の感情の起伏をも起こさなかったこと、そして、今日の出来事に、ロアが何たる感情の波すら起こさなかったこと、それは、ロアに、かすかな失望と、希望を与えた。


「初めからきまっていたことだ。ロンディス。マリベル……貴方あなた方人間の為に死し、人間のために生きる。それは、決まっていたことだ……」


 そう、と考え、ふとロアは、思慮するように、口を閉じ、目を伏せた。それでも言い切れないものが、胸中に蠢いていた。


 そうだといえばそうなのだろう。そう考えれば、そう考え憑くことも可能だろう。だが、



「こんなことが……世界のためですか。こんなことが……こんなにしてまで、罪を重ねることが……同胞を……彼らを……見捨てることが、……あなたにとっては、望ましく、本当に素晴らしいことだと言えるのでしょうか?」


 ロアは、そう呟くと、すっと眼を開き、まるでその残光を振り切るように、大鉈を振るった。マリベルに、薬学を与え、それを、極め、助けすら切り捨てる。それでも、マリベルの死に干渉すらできず、ただ、捨て置くべきと言われた。目を離さず、そばから離れずとも、結果としては、そのとうりとなった。2人の大聖女の予言。それを本来は、忌避すべきだったというしこりすら感じたまま。


 ロアは、ただ、大鉈を振るった。



 ロアは、気が付かなかったが、その気持ちは正しく、そして、真実に近づきつつあった。


 彼の求めた、誉を求め、人間()を守る戦い、その日が近づきつつあった。ただ、残念なことに、この日のロアには気付きようがなかった。更に残念なことに、この日のロアが、ほんのわずか後の悲劇に気が付き、そして、自らの役目を理解する頃には、彼も、ただ人間の願いに囚われた憐れなものにしかなりえない状況になっていたのだから。




 その翌日を思い返すと、ただ、わたしは深く後悔することになる。もしこうしていれば、もし、そうしていれば、後悔し、そう思うことは人間の特権ではある。でも、もし、彼の疑念に渦巻くその心を、もし、ほんのわずか、一片でも捉えていれば、後に起こる悲しみがずいぶんと少なくなっていたのではないか、そして、わたしという存在など産まれる必要がなかったのではないかという、そんなありもしない都合のいい未来を描いていしまう。




 ロアは、そう言う人物であった。



 再び、大鉈が振るわれた。迷いを持ちながらにして、粗野にして、繊細そして、ただただに直にある。そういう、剣筋が、今なら確かに見える。

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