アーサー視点
リディアに対して、報告を終え、定められた手順を踏んで、アーサーが与えられた自室に帰ったときには、すでに、日付は、日をまたぎ、翌日に足を踏み入れていた。
リディアとの会話を思い出す。そして、リスティルとの会話も。
すっと、机に報告書を並べる。一つ一つ、厚くて……重い。
この半年間、血に濡れ続けてきた調査隊の資料。
上層部からは、既に調査の停止を命令されている。しかし、私は自らの意志で調査を継続し続けていた。ベルグランデのためもあるが、彼らの遺志を無駄にしたくなかったからというのが本当のところだ。
魔草……それを生成した赤い薬。それが、現れるようになったのは、およそ、5年ほど前からだった。その性質と効果から算定される危険性は、けた外れに高い。
赤い薬を摂取したものは、その症状の深刻さによって、レベル1~3、そして、現在観測できる最終段階であるレベル4に分類される。
レベル1では、視界が赤く染まり、会話の中に、雑音が紛れ込んでくると証言するものが多くいた。我々が、魔草の存在を知れたのは、酩酊状況で、この赤い薬を摂取したものが酒場で暴れていると通報があったからである。その証言と実験から、その赤い薬をわずかに摂取しただけでも、この状況になると、判明した。
我々は、その危険度から、国内に新種の麻薬が広がっていると、調査を開始した。
そして、レベル2では、赤い薬を主となる被験者がおよそ、スプーン一杯接種した時に発生した。実験に参加していた、全ての人員、研究員や観察者を含むそのすべてが、同時に、赤い街と、灯台、墓所、聖堂を見たと証言し始めた。その赤い街では、キノコのような服を来た人が多く歩いていて……そして、こちらに向けて、明らかな敵意を向けてきたと。全員が、その場所から這う這うの体で脱出した。
だが、何人かは、そのまま、絶命した。原因不明の死と診断されたが、その体からは、赤い結晶化した何かが皮膚を食い破るように突き出ていた。その構成は、魔術的な鑑定を持ってしても、正体を掴むことはできなかった。
この事件により、人体実験は中止され、この薬の危険度を一段階引き上げて、撲滅調査へ乗り出した。
レベル3の事例は、偶然から見出された。保管されていたその薬を、あろうことか、レベル2の実験に同席した研究員が持ち出したのである。
私達が、見つかったときには、彼女は虚脱状態で、地面を眺めていた。足元には今しがた飲み干したのであろう、赤い薬の瓶が、丸々1本転がっていた。
抵抗の遺志が見えなかったため、銃士隊が、彼女を拘束しようとした時、それは起きた。
「地に星が落ちています。……ああ、私の願いが叶わなかったのは、このためだったのですね」
確かに聞こえた、女性の小声。怪訝に思い近づいた部下は、驚きに目を見開いた。確かに、先程までは、女性だったはずのその姿は、男性のそれになっていた。いつしか、その体から、赤い結晶が何かを求めるようまるで手のように、空へと伸びていた。
我々はなすすべもなく、その場に立ち尽くしていた。そんな時だった。
不意にその身体が、赤い光を発すると、すさまじい勢いで、上空へまるで釣られるかのように落ちていった。後に残るものは何もなかった。
その様子を目にした我々は、その事象をレベル4として報告するしかなかった。
それから以降の進捗は決して芳しいものではなかった。
リスティルが追放され後、半年間の追加調査の後に調査は凍結されることが上層部で決定された。その際に、上司は言葉を濁したが、他国……大国と呼ばれるエルディーロ帝国と、ギリーズ真神国の干渉があったということ確かに仄めかせた。
その後、使命に燃えた銃士隊が、この半年、つぎ込んできた人数は、調査中断時点で終に3桁を超えた。銃士隊部局の一部署がまるまる、この調査に参加をしたという計算になる。
現実主義者……そう呼ばれる、銃士隊は、現実に起きた事象を客観的に捉え、証拠と事実から、真実に迫ることを目的にしている組織だった。
そうしたのは、私達だ。
彼らは、その理想に殉じ、そして……
実地に調査に赴いて、帰ってきた人数は、そのおよそ3割。残りの者たちは、危険性が高いという理由から、遺体も回収できずにいた。
そして、その生存者の証言は、痛々しいほどに矛盾を起こし、我々が、真実へ至ることを拒んだ。
その生存者の半数以上は、正常な判断能力を失い、いつもなら妄想によると一蹴されるように証言を繰り返していた。それは、異常な生物、事象とエンカウントしたと。
単純に巨大化した動植物や、アンデットとは違う、明らかに敵意を持つそれに出会った。それを、生存者たちは、口々に呟いた。
怪物と
怪物……御伽噺として有名な統一王の伝承、また、真神国の教典にもその姿は登場する。
有名なところで行けば、勇者に倒される宿命を持っているドラゴンであろうか。それは、男性にとても人気がある存在で、様々な組織で、そのシンボルとして使われている。
他にも、その愛らしい容貌から、老若男女問わず人気の高い妖精は、グッズとして老若男女問わず知名度のある存在である。
そう、それは、御伽噺の中であるからだ。
その見た目のまま、我々の領域に踏み込んできた。そう、評するしかないもの怪物を前に、私達は、行き詰まりを感じていた。
それから半年後、上層部は、予定通りに、我々の捜査の打ち切りを宣告してきた。私の部下たちに、この決定を伝えると、彼らも、彼らなりに、この打ち切りの裏に何かがあることがはっきりととわかってきた。
「アーサー……一言だけ言っておく……今日、侯主様より、厳に、この件に対する、調査の停止命令があった。今後、リスティルとベルグランデに関する捜査を継続することは、上部との軋轢を招くことになる。言っていることはわかるな」
ほんの3日前に、銃士隊の総括責任者である父アースロン候は、私を呼び出すなり、疲れた声でそう伝えてきた。その眉間には1週間前までは存在していなかった深く厳しい皺が刻まれていた。
「な、なぜです……父上!!」
唐突な言葉に、返す言葉すらも失った私は、ただ問いかけるだけであった。その様子をみて、余人より賢人と評される、アースロン候は、ふうっと大きく息を吐いた。
「アーサー、お前が、ベルグランデを想っていることは我々もよくわかっている。だからこそ、手を引けといっているのだ」
私は、自分の耳朶に音が聞こえるほどに、ぎりっと、奥歯を噛みしめた。たしかに、妻の名誉を回復させたいと思っていることは確かだが、それだけではない。
散っていった思いに答えることも。そして、
「このような妄言を吐くなど……父上は、どうやら、耄碌されたようですね……」
煽るようなその声にも、父は、ただ、半眼を開き呆れたように見ただけだった。侯王を動かせるほどの外圧が働いたのだとしたら、この半年の間囁かれていた、噂は本当であったという証にもなる。
「お前が、何を考えているのかは十分にわかっている。だが、」
父が、手に持った何かをこちらに投げてよこす。私の手の中に渡ったのは、紙の束だった。
「これは?」
「アーサー……死者に敬意を払うのは十分にわかる、そして、お前が、成したいと考えていることも……だが、今死者の仲間に入りたいと思うことは止めておけ。アンデットですら、最後まで、自らの意志を持つという。お前が、それを捨てる必要などないだろう」
そのまま、アースロンは、窓の外に意識を向け、アーサーを見ていないことは確かだった。アーサーは、その資料を読んでいく。
ベルグランデとリスティルの実母である、リディアが、真相を求めて、ベルグランデの組織引継ぎいたということと、その組織が、未だに事件の真相を求めていることが、その紙には書いてあった。
そして、ベルグランデの組織との接触方法などが書かれていた。
「失礼をいたしました」
アーサーは、その資料をさらに読み込みたい衝動に駆られて、その場を後にする。
そのあと、父に告げず、今ここにいる。
「アーサー、この世界には、決して触れることのない世界。触れることを忌避すべき世界。というものも存在し得るのです。」
妻である、ベルグランデの言葉がよみがえってくる。戦争から帰ってきて、神秘主義に傾倒していると感じていたその言葉に、真実があった。目に見える理論を愛し、手で作られる道具を愛している。そのような聡明な女性であったはずであったが、それが、なぜ変わってしまったのか、それをアーサーは理解しようとすることはなかった。
「今ならばわかる」
なぜ、魔法が存在するのに、人の持つ理論で立ち向かえると思ったのか?そして、その意味と私では及びもつかない事象をおそらく知っていたであろう、彼女に会いたい。
「ベルグランデ待っていてくれ。必ず、君を解き放つ」
報告書に目を通し終える。新しい覚悟が、心の奥から湧き上がってくる。部下の無念、妻との確執、そして、大国の思惑。それを晴らすための何らかの証拠が、魔草工場、そこに必ずある。