第二十二話
「君は、一体、何者だ?」
整った顔から発せられた訝し気いや、明らかな不信を伴った低い声に、わたしは、しばし言葉を失った。
わたしは、だれか?誰かと言われても、それを言葉にすることは意外と難しい。でも、その視線は、何かの核心があるようにわたしを捉えていた。
「わたしは……
わたしは、リスティル・フォビア・フォーディンです。ベルグランデ・フォビア・フォーディンの妹です」
ふむと、アーサーは頷いた。ふと視線を這わせると、ロンディスは、相変わらずだったが、マリベルは、驚いた表情を浮かべて、こちらを見ていた。
「?」
わたしの頭に、疑問符が浮かぶ。
「リスティル・フォビア・フォーディン……質問を変えよう。君のお姉さんのフルネームをもう一回行ってもらえないか?」
「ええと、ベルグランデ・フォビア・フォーディンです。ベルグランデ姉様の名前は」
その名前を出したとたんに、部屋の空気が明らかに変わった。ロンディスは、気が付かないような振りを続けていたが、明らかにこちらに視線を向けてくることが多くなった。マリベルは、何かを確信したようにアーサーの言葉を待っているようだった。
そして、ラーズがわたしに向ける視線は、明らかに、何かを心配しているような視線だった。
ここには、バンディーラ様がいない。さっき自分が言ったことだけど、こんなに不安で一人だけで闘っているような気持ちになるのはここしばらくの間では、初めてのことだった。でも、ここで、バンディーラ様に頼るのは何か間違えているような気がして、そのまま、アーサーの言葉を待つ。
「さて、リスティル。すこし、お話をしておこう。君の名前、ミドルネームのフォビアだが、それは、もともと、ベルグランデのミドルネームだ」
「ええと、」
「我が国の命名法にはいくつかのパターンがあるが、君は、もともとは、父方の母親のミドルネームを継承する予定になっていた。それが本来行われるのは、6歳の時。」
「6歳……」
脳裏に、ベルグランデ姉様の言葉がよみがえる。ベッドに横になっているわたしの横で、ベルグランデ姉様が微笑んでいる。「大丈夫よ。リスティル。必ず戻るからね」
確かにあれは、わたしの部屋だ。その後、2年くらいの月日が経って、お姉さまが帰ってくると、その部屋の中で聞いた。
「リスティル・フィリア・フォーディン……」
アーサーの話した言葉に、わたしはびくっと反応する。
「フィリアは、さっきの方法で得られるはずだった君の名前だ。だが、君が……リスティルが、6歳の命名式に出たという記録はない。いや、正確に言えばもっと、違うか」
アーサーは、自らの水筒に口を付ける。そして、何かを告げるべきか悩んでいるようだった。すぅっと、息を吸う音だけが聞こえた。
「君は、6歳の時に開かれた、命名式にも、その後開かれた、侯爵令嬢たちの顔合わせにも参加していなかった。それからしばらくして、君の名前が出たのが、いつの間にか結成されていた銃士隊の加入で、君は、そこに加入していたね。当時13才」
えっと、顔を上げる。アーサーの目は厳しいが、これ以上追及する事は、なさそうだと、わたしはほっと息をつく。
「……勘違いしないでほしいが、ベルグランデ……私の妻は、君のことを信じていた。そして、まるで君の罪を背負うように、君の罪が、彼女の罪になった」
その言葉に、わたしは驚きを隠すことはできなかった。確かに、マリベルからは、ベルグランデ姉様が捕まったと聞いていた。今は、首都の自らの屋敷に幽閉されれていると。ただ、確かに何の罪で捕まったのかは聞いていなかった。
「そんなことって……そんなことあるはずもないです。わたしの罪って、横領と魔草の栽培と、誘拐ですよね?全部、銃士隊の時の罪のはずです。なんで、ベルグランデ姉様がその罪を……全て、冤罪です!!!そんなこと。そんなこと……」
「私もそう思って、調べた。だが、君の名前が書いてあったはずのその罪状は、すべて、ベルグランデの物に変わっていた。そして、証拠品についても……異常な事だった」
その言葉をうけ、わたしは、どうすればいいのかもわからなくなっていた。
「だが、今のところ、ベルグランデは、一度も屋敷から出て来ていない。口頭弁論にも、参加していない。このままでは、自らの罪を認めたと見做されても仕方がない。そう思い、使者を送ったのだが……」
アーサーの顔が曇る。何かを告げることを怖れているようにも見える。
「使者は、誰一人として、その屋敷にたどり着くことができなかった。魔術師や神官にも依頼したが、それも無駄だった。そんな時だ。リディア様が、この事態の収拾に向けて動いていると聞いて、微力ながら協力をすることにした……ベルグランデが与えてくれたこれと一緒にな」
懐から、剣の柄のような赤い結晶を取り出す。それを見たとたんに、ラーズは驚きの表情を浮かべて、その身を乗り出した。
「聖王殺し……か。」
小さく吐いた言葉が聞こえたのは、きっとわたしだけだっただろう。その様子を訝し気に見ていたアーサーだったが、言葉を続けることにした。
「リスティル。君から見て、ベルグランデはどんな人だった?些末な事でもいい教えてほしい」
「え、ええと、とてもすごい人で、わたしのことをよく考えてくれている優しいお姉さまでした」
「ここではない何かに憧れていたり、人間と獣人以外の種族に言及するなどのことをしていなかったか?」
その言葉に私は首を横に振った。ベルグランデ姉様は、突拍子もないことをいうような人ではなかったし、そして、そんな感じもなかった。
その事が、無言だったが伝わったのかもしれない。アーサーは、わたしに微笑みを向けた。
「そうか、ようやく確信が持てた。ありがとう。だが、今となって思うのは、ベルグランデの方が正しかったということだけだ。もう一度会いたい。そう、会って、話をしたい。そう思って……いや、願っている」
「無実を証明すればいいだけだ。アーサーと言ったな。ベルグランデの無実の証拠を取り揃えるだけの手段と能力がこちらにはある。」
「そうね、ロンディスの意見に賛同するわ」
アーサーの言葉に、ロンディスとマリベルが、間に入って、それ以上の追及を止めてくれる。わたしは、ほっとして、ふと、右肩から掛けているバッグに触る。そこには、今までのように、月と日輪の旗を縫い付けられた人形がまるで存在感を出すように、納まっている。
「……もしよろしければ、アーサー様、母様と一緒に明日、私たちに同行したら、良いのではないですか?」
その言葉に、ロンディスとマリベルは驚きの表情を浮かべた。ラーズは、特にそのことについて、気にしている様子はなかった。
「まさか、君からそんな言葉が聞けるとは思っていなかった。だが、ここに来てよかった。」
そう、アーサーは言うと、立ち上がった。ラーズは、その様子をただ見守っているだけのように感じた。やがて、アーサーが、また来るというと、部屋から出ていく。
後には、今までと変わらないように、バンディーラ様と、私達だけが残された。
「リスティル……」
「大丈夫です。バンディーラ様」
陽と月の旗を背負ったバンディーラ様がそう呟くのを、わたしは止めた。もう、これはわかっていたころだ。
「ああ、そうだなリスティル。鋼魔の仔も応援しよう。」
「ええ、妖精の仔も同じよ」
その言葉に、わたしは、うれしくて、胸が詰まる思いで一杯だった。ラーズを見ると、すこし考え事をしているようだったが、わたしが見ていることに気が付くと、笑みを浮かべて、「明日が、本番だから、がんばろう」と声をかけてくれた。
ほっとしたわたしは、皆にありがとうと、告げる。安心したからだろうか、不意に眠気が襲ってきた。今日は、それに身を任せることにした。
皆にお休みを告げると、姉様の部屋の柔らかいソファーに、身を任せ、そのまま眠りについた。
そんなことがあった後だからだろう。その夜、久しぶりにベルグランデ姉様の夢を見た。