第二〇話
心地よい浮遊感から目を覚ます。そこは、見知った部屋だった。
「起きたか」
盾を磨いていたロンディスが顔をあげて、わたしを見た。
「あれ?わたし?あれ、バンディーラ様は?」
「バンディーラか?もうすぐ来るだろう。だいぶうなされていたが、夢でも見たのか?もう少し寝るか?」
ソファーの上、うーんと身体を伸ばす。重なって聞こえる声。なんだか、気持ちはあまりよくないけど、それでも、もう一回寝ようとは思わなかった。
「もう平気だよ。ロンディス」
「本当か?」
うんと力強く頷き、ぐっとおなかに力を入れ起き上がろうとする。誤算だったのは、意外と時間がたっていたようで、力を入れると同時に
ぐ~
おなかがなった。
「ぷははは!ずいぶんと腹が減ったみたいだな。」
ロンディスが、堪えきれないといったように破顔し、大笑いする。わたしは、照れ笑い。でも、ここはどこなんだろう?
「ここは、商人連合国家ハーダーの私の屋敷だ」
ロンディスが口を開こうとした時だった。ブリーヤードさんたちが、部屋に入ってくる。後ろから、ナラージャさんとカルーナさん、そして、少し疲れた様子のマリベルが入ってきた。
特にマリベルは、顔色が悪い。
「マリベル、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。ご心配をおかけしました」
その後ろから、入ってきたのは、
「あ、バンディーラ様」
「リスティル!ああ、もう!心配したんだから」
奔ってくるバンディーラ様に抱き着かれながら、わたしは、内心で首をひねった。心配って何だろう?確かに、声は多いけど、さっきほど気になるほどではない。
その様子にほっとした様子のバンディーラ様が、
「ほら、ちゃんと治療できたでしょう?」
調整という言葉を、反復し、きょとんとした表情を浮かべた私とカルーナの目が合った。
「あ、ダメみたいですね。これ。もう、これは、聞こえているものだと諦めた方がいいですよ」
「なんで?なんでよ!?リスティルは、人間のはずでしょう?私を含めて。人間が、この機能修復するなんて聞いたことないわよ」
「バンディーラ様。大声を上げたくなる気持ちはわかりますが、本人の前でというのは、止めた方がいいのではないかと思いますね」
きょとんとしているわたしの前で、バンディーラ様が、よくわからないことをわめいていたが、ふと、ブリーヤードさんの言葉で、私と視線が合う。わたしは、想像以上にぼうっとした、よくわからないという表情をしていたらしく、バンディーラ様は、安堵の表情を浮かべる。
「ええと、リスティル」
「何でしょう、バンディーラ様?」
「さっきから、おかしな言葉が聞こえているってカルーナから聞いたけど、本当?」
首を縦に振る。バンディーラ様が、少し考える様な表情を浮かべた。
「そうなのね。おかしいな」
バンディーラ様が、顔を伏せて考える様な仕草をする。しばしの逡巡の後、諦めたようにゆっくりと顔を上げた。
「聞こえるものは仕方がないわ。多勢に影響はないから。……」
「聞こえていると思うぞ」
確かに、わたしの耳には、団長の名前が聞こえていた。でも、それよりも聞いておきたいことがあった。
「あの、バンディーラ様」
「なにかしら、リスティル?」
「今日は、様付けで呼んでも怒らないんですね」
えっと、いう表情を浮かべて、バンディーラ様は、まじまじとわたしを覗き込んだ。
「ええと、いつもは、」
「ええ、様付けすると、様はいらないわ!リスティルって返してくるんですけど」
わたしは、その瞬間におかしなものを見たような気がした。今までは、わたしには、根拠などよくわからないけど自信にあふれていたバンディーラ様。
でも、本当にほんのわずか、そう、例えるならば、大きな湖に小石を投げ込んだのを対岸から見たくらいの、本当に小さな波紋のような揺らぎがその自信に生じたのを感じた。
その理由を考えることなどわたしにできるはずもない。さっきの言葉の何が悪かったのかなんてわたしは、考えもしなかった。
「ああ、そうなんだ。リスティル。今日はちょっとそう言う気持ちでもなかったからかな?そう言うことでどう?」
まあ、そう言うこともあるのだろうと、勝手に納得すると、わたしは、ロンディスとマリベルに視線を向ける。二人は、ブリーヤードさんたちと、こちらの喧騒など知らず、話し込んでいる。いつの間に仲良くなったんだろう?
「ええと、そうね、様はいらないわ」
バンディーラ様の声に、違和感を感じる。でも、ただそれだけ。
「そう言えば、ファラ団長がどうかしたんですか?」
バンディーラ様に問いかけると、完全に聞こえていたと言う感じで、バンディーラ様は、大きくため息をついた。手元の太陽と月の旗も心なしか元気がないように萎れて見える。
「ええ、あのね」
「でも、大丈夫ですバンディーラ様。」
不安はある。でも、だからこそ、声にしてあげた方がいい。目を閉じて、その不安を一息に飲み込んだ。すっと瞼を開く、わたしの瞳のなかには、困った顔をしているバンディーラ様だけが見える。
ただ、それだけが見えた。それでいい。
「バンディーラ様の力で、わたしは、何かコントロールされているのですね」
騙せないと知っているからだろうか、バンディーラ様が少しの逡巡の後、ゆっくりと首を縦に振った。
「リスティル……あのね」
「バンディーラ様……今度から、わたしに何かするときには、ちゃんと声をかけて下さい。できれば、勝手にコントロールなんてしないでくださいね。心配して不安でした。でも、わたしは、あのとき……バンディーラ様に助けられたときから、バンディーラ様を信じていますから」
バンディーラ様の驚いた顔、そして、その顔を伏せる。何かをもごもごといっているように感じたけど、それは聞かないことにした。
「リスティル。何か思いだしたの?不安に感じていたんじゃないの?おかしいと思っていなかったの?」
「ええ、そう思っていますし、不安は今もあります。正直怖いです。バンディーラ様も、ミラも皆も。でも、バンディーラ様が、姉様……ベルグランデ姉様を助けるために行動していることは十分にわかります」
驚いたように、両眼を見開く。その顔は同性から見ても、とても、かわいい。かっこいいバンディーラ様は見てきたけど、かわいいなんて思ったのは、本当に初めてだった。
バンディーラ様は、口をパクパクさせて、俯く。
「私なんかじゃなくてよかった。あなたを助けたのが。でも、今の言葉を聞けたのは、私でよかった」
バンディーラ様は、もぞもぞと、ほんのわずかに、ただ、はっきりとわたしに聞こえるように小声でそう言うと、再び顔を上げた。
「いいよ。リスティル。今後は気を付けるよ。でも忘れないで。あなたが困難にあたったときは、私がその困難を超えられるように、精一杯、応援して力を貸してあげる。」
「バンディーラ様。今後とも、よろしくお願いします」
強気な言葉をかけてくれるバンディーラ様は、いつもの調子に見えた。わたしは、安堵した。そして、あっと、さっきの言葉を思い出した。
「すいません、あの団長は……」
「すまない、待たせたな」
落ち着いたロンディスの大きな声が、わたしの声をかき消した。ロンディスは、その大楯を軽々と背に担いでいた。その盾は、わたしが知っているそれよりも、はるかに、はるかに大きく感じた。
「すいません。バンディーラ」
「待っていないわ。――戦いの準備はできたかしら?」
「ああ、準備完了だ」
「問題ないです」
二人は、微笑んだ。わたしは、二人が、何も変わっていないように見える二人が、ただ、その根幹のところは変わってしまったように感じた。
怖くて、不安で……でも、
「じゃあ、いくわよ、リスティル」
この人はきっと変わらない。侯国についてからここまで、ずっと違和感と戦ってきて、不安に押しつぶされそうになった。
バンディーラ様が、わたしの心をずっと弄っているのもわかった。ついさっき、わかってしまった。
でも、この心から出た答えに後悔なんてない。
「久しぶり。ベルグランデの願いが叶って良かった。ファラ、あなたの言っていることは間違っているわ。見て、まだ、人間の願いって叶うんだよ!……だから、リスティル。なたを応援してあげる。わたしにはそれしかできないんだから。ガンバレー、リスティル!ガンバレー!あなたは、生きていたいんでしょう?やりたいことがあるんでしょう!」
ダークホビットに囲まれて、絶体絶命のとき。あなたは星の旗で、わたしを応援してくれた。バンディーラ様の声。思い出したそれは、きっと間違いなんかじゃないから。
そうだ、わたしのやりたいこと……どんな姿になっても、ベルグランデ姉様に会う。きっと会ってみせる。