舞台裏にて ~ロンディス視点~
思い出したくもないことを思い出してしまった。
オーガの剛腕の一振り。
ただ、ただそれだけで致命傷だった。
考えれば当たり前だ。対人戦を想定した装備……そして、対人戦に特化した戦略。
それが、人外に通用する理屈はない。
盾が上がらなくなったのは、腕の骨が砕けたからではない。盾が重く感じたのは、その骨が砕けた腕で、壊れた盾を無理やりに持とうとしたからではない。
オーガの一撃は、その直撃が盾を貫通し、鎧を粉砕し……俺の肋骨を砕き、その骨が、心臓と肺を無茶苦茶に切り裂いて、その衝撃は、俺の背骨を砕き切った。
崖にたたきつけられたのは、ただの余波でだけ。
人間が勝てる相手ではなかったんだ。こいつは。
霞む意識の中、オリビアを見る。まだ、魔力切れで眠っている。
ほっとして、息が出ていく。身体から熱が無くなって、寒さとは違う、凍てつくような感じが手足の端々からやってくる。
「オリビ……ァ……」
さっき、ダークホビットから、一撃をもらっていたから、決してお互いに、長くは持たないだろう。目の端にオリビアいるのが見える。たぶん目を閉じたらもう、開くことは叶わない。
「ソルティーラ……様……すまねぇ」
先の戦争の後、そのまま巡礼に旅立っていった、この仕事に導いてくれた人のことを思う。
その圧倒的な美しい強さへの憧れは、肩を並べて王国を守っていくうちに、やがてロンディスにはソルティーラを目標へとするものに変わっていった。
相手もそう思っていた節があった。
王都の貧民街で育った俺……ロンディスは、周りからは比較的恵まれた体躯と腕力以外には何も持っていなかった。ただ、それは幸か不幸か、同じ境遇の子供たちを束ねるのには役に立った。
いつしか、ロンディスたちは、貧民街の中で、日銭を得るためならば何でもするような悪名高い集団へとなっていったのは、当然の流れであったに違いない。
悪名も名声。
高まるにつれて、もっと欲しくなるのが、世の常である。ロンディスたちは、無謀にも、戦争の準備に入っていた騎士団の詰め所を襲うことにした。
それは、多くの偶然が重なり、詰め所を制圧し、這う這うの体で逃げていく騎士たちを嘲笑うことができたが……当然のごとく、何の準備もなく、虎穴に入ったのならば、その代償を払わなくてはならないことを、まだ若かったロンディスは、その時は最後まで気が付かなかったのである。
翌朝、夜明け前の最も暗い時間に、ロンディスたちは、王国の盾と宮廷魔術師という、王国最強の部隊の強襲を受けた。ロンディスたちが20人に対して、相手はたったの3人だけだったが、そこで起こったことは、一方的な虐殺に近い捕縛撃だった。
あるものは、魔法で吹き飛ばされて、あるものは、切り刻まれて、瞬時に血の海に沈んだ。逃げ出した者たちは、包囲されていた騎士団に捕まり、酷い暴行を受けた。しかし、ロンディスは諦めずに目の前の盾を構えた女騎士に、最後まで剣を振るい続けた。最後まで、諦めずに壊れた剣の柄を握りしめて戦いを挑んできたロンディスは、女性騎士のシールドバッシュで高々と吹き飛ばされ、騎士団に取り押さえられた。
「あの時は、綺麗だったな」
捕縛されたロンディスは、騎士たちに、殴るけるの暴行を受けていた。そんな中、女騎士がやってきた。それを見た騎士は、ロンディスを痛めつけるのを止めて、女騎士に敬礼をする。「ソルティーラ様」そんな言葉が聞こえた。そんな騎士の横面に、女騎士が一発拳を入れた。
びっくりする騎士を前に、王国の盾としての意義をとうとうと説いた。
「あの時……から、あの時から、俺は」
そこからは、無我夢中だった。牢屋を脱獄し、騎士たちをなぎ倒して、ソルティーラに従者として使えさせてくれと、懇願した。当然のように、断られ、何度も拘束れた。でも、それでも、抜け出して、粘り強く何度も駆けつけた。本来ならば、戦争の前でそう言う暇はなかったはず。
だが、ソルティーラは、最後には折れ、ロンディスの願いを聴き入れた。
帝国と真神国が争う戦場で、ロンディスは、ひたすらに闘い続けた。上の思惑は知らず、ただ、前の現実を見ながら。その中で、伝説ともいえる戦士たちと渡り合うソルティーラを見た。
そして、フェリガンやアーレスと知り合った。
ソルティーラが、巡礼に出て、シュガーナも王宮からいなくなって……なぜか、俺が王国の盾に任命された。
不可解だったが、ようやくここで分かった。こうなることは、多くの人の中では予定通りだったのだろう。
視界は益々暗くなり、もう、オリビアがどうなっているのかもわからない。
そんな時だった。
暗くつぶれたはずの視界の隅に、輝ける星が現れたのは。
「あ、見つけた見つけたよ!」
声……聞き覚えがある。声。
「もう、手順を言ったでしょう?もう、仕事が終わったら、信号弾投げてって言ったでしょう?もう、何をしているの魔王!」
それは、オーガに迫っている我らの聖女の姿だった。
どうなっている?その疑問を出すまでもなく、聞こえてきた。
「ちょっと待て、いま、忙しいんだ」
オーガの声。あれは、俺の声じゃない。オーガの……声?
「魔王、忙しいからって、お願いを無視したら駄目だよ。わたし、待ってたんだから。信号弾が見えるのを!大体!!」
オーガが目的を失ったこん棒を振り下ろす。それは、バンディーラの手により止められた。
「もう、ここで、鋼魔の仔となりうるものをこれ以上いじめちゃダメでしょう!!魔王!」
「バンディーラ様、お赦し下さい!」
「赦しますよ。そんなこと、赦すに決まっています。私の目的は聖都にたどり着き、そして、所属の旅団から、追放されることですよ!巡礼前に十分言い聞かせていたはずですけど?」
バンディーラの顔が、俺を見る。ああ、なんでこんな簡単なことを気が付かなかったのだろう?俺は……バンディーラの顔を知らない。
そんな中で、崖の上で何かが動く音がした。
「さて……ロンディス。こんなところで諦めたらだめ!こんなところで捨てたらだめ!あなたの願いは、オリビアを助けることと、ソルティーラに再会することでしょう?」
頷く。ああ、そうだ。あれだけ尽くしてくれた、オリビアを助ける。そして、いつか……
身体に力が戻ってくる。赤い結晶が、体の中から生まれて、身体を作っていく。
その様子に、聖女は、驚きととびっきりの笑顔を持って答えた。
「ロンディス。おめでとう。あなたは選ばれたんだよ。そして、」
オリビアにも同様の変化が起きていた。パキパキと赤い結晶が蠢くように、身体から、漏れ出ている。それを見てわかったのだ。
「これが、願いになるっていうことか。人間の願いに」
その声に、聖女が頷いた。
「人間の生存のために。戦争で疲れたとは思うけど。今一度力を貸してね」
ただ、ただ、その強い意志に……ああと頷く。
オーガたちは、その様子を待っていたようだったが、話がまとまったのを見て、武器を構えなおした。
「さて、儀式の再構築と行こうか?聖女殿、今はどれだ?御使いか?人形か?旗か?」
その言葉に、聖女が嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「ここをどこだと思っているの?ここは、人間の領域。--再開しましょう。出演者も待っているわ」
崖の上から、鬨の声が響いた。
ゆっくりと意識が覚醒していく。視界に、マリベルの姿を捉えた。姉妹と父親に支えられて泣いている。きっとそれは、うれしさだけではないのだろう。
「大丈夫か?」
今代の魔王が、ゆっくりと俺を起こしてくれる。
目覚めは最悪だ。
ああ、これ以上ないほどに最悪だ。
「ラグルス……いや、ラーズ、お前は知っていたのか。こうなることを……こうなってしまうことを」
ラーズは、ほんのわずかに顔をしかめ、頷いた。
「そうか。まあ仕方ねぇ」
俺は、内心憤懣が治まらないが、その怒りをぶつける先もなく、ただゆっくりと背もたれを掴み、立ち上がる。その視線の先には、人間の旗とミラがいる。
「ロンディス?久しぶりのアトラクションはどうだった?」
口を開いたのは、こちらに顔を合わせてきたバンディーラだった。この聖女……相変わらず煽ってくる。
「最高で最低だ。ここまでの全てがあんたにとってはアトラクションっていうことか?」
旗を持っていない左手で、細い顎を支えていたバンディーラは、俺の声を聞き、その口元を歪め
「そうだよ。鋼魔の仔。全ては、私が行うべき私達の夢と希望の御伽噺。すべての布石は、最期の最後の時に、人形に決断させるため
……のね」
嘲りの笑みを浮かべた。
俺は、それに冷めた視線を送るしかなかった。それでも、
「で、俺は、何をすればいい?」
出た言葉は問いかけだった。それを、見たバンディーラは、ゆっくりとその嘲るような笑みを引っ込める。
しばしの沈黙。気が付いたら、俺の横には、マリベルが控えていた。
「簡単なこと。あなたたちには、これからも、聖王と魔王の候補を支えてほしい。神霊族と妖魔族の役目を負える者をね」
その言葉に、俺たちは異論をはさむ気はなかった。そっと膝をついて、それを拝命する。そして、それに加えてと、バンディーラは、俺に対してもう一つのお願いをする。
その簡単なお願いは確かに俺にしかできないものだ。そして、俺は拒否する手段など持つことはない。
それは、今ここにいる目的の延長線上にあるものだった。
とりあえず、2人目陥落