第一三話
一瞬の浮遊感の後に、確かに、大地を足が踏みつける感触があった。
「マリベル様、大丈夫ですか?」
「2回目ですから。大丈夫よ。ありがとう、ロア」
近くで、マリベルとロアの声が聞こえて、そして、視界の端に、オリビアとロンディスの姿が見えた。
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
一歩を踏み出そうとして、足がもつれそうになったわたしを支えてくれたのは、ミラだった。
「全く、まだ2回目なのですから気を付けてくださいよ。はい、息を吸って……」
ミラの言うとおりに、呼吸をしているうちに、回っていた視界が落ち着いていくのを感じた。あちらでは、バンディーラ様が同じように、皆を落ち着かせていた。
「あれ?ラーズは?」
「ラーズは、以前ここの先触れになったころがありますから。いま、伝令に出てもらいました」
みんなが落ち着いてきたなかで、一番回復が遅かったのは私だった。うう、情けないわ。
「リスティルは、変に感覚が強いから、逆にツラいかもしれないね」
バンディーラ様に、さすってもらって、ほっとした気持ちになる。
「ええと、今日の帰りも使うからね」
「ば、バンディーラ様……」
一瞬抗議をしかけた時だった。目の前の扉が音もなく開いた。
そこにいたのは、ラーズと、見たこともない男性だった。私たちを、険しい顔で見回して、何かを探しているようだったが、目当てのものを見つけたのか、その顔がぱっと綻んだ。
「マリベル……」
「お父様?」
マリベルに駆け寄ろうとした男性を、ラーズが、引きとどめる。
「まだ、今は、踏み越えないで欲しい」
その声に、マリベルの父親?は、今にも、射殺しそうなほど殺意のこもった視線をラーズに向けたが、それを受けてもラーズはその手を離すことはなかった。
「わかっているはずです。ブリーヤードさん。私たちのとの約束ですよ。それをわかっているはずです」
「わかっている!!わかっている……すまなかった。」
ラーズと、ブリーヤードと名乗る男性の間で会ったその会話に、気を取られている間に、バンディーラ様が私たちの前に、進み出た。
「さあ、行くよ!」
バンディーラ様が、笑顔で旗を掲げながら、その扉をくぐる。なぜか、ラーズは厳しい顔をして、右手で、ブリーヤードを護るように立っている。
「どうしたのラーズ?」
その様子に、わたしは驚く。
「気にしない方がいい。まあ、いつものことだし。ラーズ、いつもの癖かもしれないけど、今日は、そんなことをするはずはないってわかっているだろ」
ミラの言葉が、ラーズに届いたのか、ラーズは、上げていた腕を下ろした。
そのラーズの前で、バンディーラ様が止まる。その後ろから、マリベルが、一歩、また、一歩進み出た。
「さあ、ここまで来たらいいよ。感動のの再会をしても」
バンディーラ様が、ニコッと微笑んで、ラーズに、目配せをする。ラーズは、頷くと、二人の間から離れた。
「お父様……」
「マリベル……ありがとう」
ブリーヤードの広げた両手に、マリベルは飛び込んでいった。いつもは、冷静なマリベルからは想像もつかない。
ううん、違う。わたしも、もし、そうだったら。同じことをしていただろう。そうなのだろう。
親子の感動の再会が繰り広げられている中、わたしは、ただ、呆然と立ちつくし、何ということもできない気持ちに、沈んでいくのを感じていた。
リディア母様とは、結局感動の再会というよりも、なんだか、お互いに驚いて、終わりだった。
いつか、お母様ときちんと話をしたい。そう言う気持ちはある。でも……
きっとベルグランデ姉さまは、わたしを喜んで受け入れてくれるだろう。無事に帰ってきてくれてありがとうと。
でも、ロッカス父様やジェファス兄様が、わたしに再会したとき、どう思うのだろうか?目の前の光景のように再会を喜んでくれるということはないだろう。重罪人のリスティルと、罵られるのだろうか?
そう考えていて、手に走る痛みでふと我に返った。
思いもよらず、強く左手を強く握りしめていたようだ。少し伸びた爪が、手のひらに少し食い込み、小さな傷をつけていた。
いつしか、マリベルが、父親のことをみんなに紹介している。
『リスティル……こんな風じゃいけない。いけないよ』
そう思いながら。みんなと合流する。
「リスティル、思い悩んでいたみたいだったけど、大丈夫?」
「オリビアさん。大丈夫です。吹っ切れました」
「あまり無理はしない方がいい。今朝言い方、まるでリスティルが道具のようじゃないか。あんなふうに母親に言われたのならば、誰でも堪えるさ。無理しているのが見え見えだぞ」
「あら、見当違いかもしれないけど、ロンディスにそんな風に言われるなんて、相当じゃない?」
むっとする、ロンディスを見て、できるだけ自然に微笑みを浮かべようとする。でも、なかなかいつものようには笑えない。
まだ全然、心の整理はついていないけど、それでも……なんとか、取り繕うことはできると思う。
「大丈夫です。ちょっと、驚いただけですから」
オリビアと、ロンディスは、一瞬顔を見合わせたが、それ以上、わたしのことを詮索することはなかった。
「マリベルをここまで戻してくれて感謝する。本来ならば、歓迎の宴をしたいくらいだが、そちらの時間が押していることは、わかっている。早急にこの状況が終了するようにこちらも、十分に協力する」
ブリーヤードの言葉に驚きながら、わたしは、そっとオリビアの方を見た。口元は微笑みを崩してはいないけど、その目は、にらみつけるように、目の前で起こっている状況を見ている。
オリビアのさっきの言葉を思い出す。この短い間に、サラディスからノルディック侯国に戻ってきて、さらに、お母さまの組織と接触。ベルグランデ姉さまが置いてあった聖王巡礼路を使って、商人連合国家の大ギルドの一つ『夢見る光龍』の頭目と邂逅して、その頭目は、マリベルの父親で、ラーズと知り合いで、協力を約束してくれる。
証拠はないけど、オリビアの言うとおりだ。確かに、全てのことが、うまくいきすぎている。