棟梁マイワシと卑屈な僕【ジャン×シチュ② ファンタジー×水族館】
【ジャン×シチュ② ファンタジー×水族館】
「ここは先程ご覧いただいたマイワシのトルネードのちょうど上です。上からだとどんな感じに見えますか?」
「なんか丸いー」
「ドーナツっぽいかと思ったけど違ったー」
修学旅行で水族館を探索している中学生の大群。
僕はその一部に属するイワシのような平凡な中学生だ。
「おいすっげえぞ! これ全部なめろうにしたら何年分だ?」
「気持ち悪いこと言うなよ翔太。お前はつくづく食べ物も事しか脳がないな」
「うるせえ、早く飯の時間になんねえかなぁ」
幼なじみの翔太の戯言を一蹴し、僕は上の空で歩き続けた。
(はー。退屈。修学旅行で水族館て。遠足じゃないんだから、TDLとかUSJとかにしてくれよ楽しくもない。......にしてもこいつらはいいよなぁ)
僕は目下にうごめくイワシの大群を覗き込んでそう思った。
(何も考えず脳死で餌を食らうだけで生きてるんだもんなー。食べ物だけが楽しみで生きられるなんて、なんて贅沢で楽な生き方なんだ。)
唾を吐きそうになり下唇をぐっとこらえる。
「ではお次はウミガメの回遊水槽へ......」
ガイドのお姉さんに着いていこうと歩を進めた時、これが僕の運の尽きか、濡れた床に足を取られ、まるでチャップリンのバナナ滑りのシーンのように滑り、イワシの水槽に吸い込まれてしまった。
下手な飛び込みのように音を轟かせて着水したところは、まさにイワシがトルネードしている最中だった。
銀色の波が僕の目の前を凄まじい勢いで動き回り、ビーズのような泡が僕の体を包み込んだ。
泡が消え目の前がはっきりと見えた時、なぜかこの水槽の中で心地よい感覚を得た。
「びっくりしたぁ。着替え無いよどうすりゃ......。ん? 息してる?」
ふわふわと水中に浮いているようだった。僕は無意識に両手を動かしていたのだが、沈むことも無くむしろ浮上する感じもなかった。
ただゆっくりとホバリングするように水中で制止していたのだ。
僕は徐に体をうねらせた。そう初めての感覚だった、背骨が柳のようにたゆたったのは。
「とにかく助けを呼ばねば」
僕は人を呼ぼうとガラスの壁に近づいた。
しかしそこに居たのは観客でもスタッフでも無く、マイワシに変わった自分の姿だった。
「ギョッ! なんだこれは。え、腕がヒレに、足が尾ヒレになってる。うわ、このパカパカしてるのがエラなのか......。」
正直気持ち悪い。見た目は最悪だし、このうねる動きも慣れない。
なんと言ってもこれでは助けを呼んだところで誰にも気づいてくれない。無数にいるマイワシの一匹であり、奇想天外な動きをして気づいてもらおうにも、観客の目はトルネードに釘付けだ。
「どうしたらいいものか。」
僕はとにかくこの状況を飲み込むことにした。
そうしなければ自我が保てないのと、一向に解決しないからだ。
「とりあえず水上に行ってみよう」
ドルフィンキックの要領で這い上がってみる。
ガラスに移る自分の姿見るとミニチュアサイズのイルカのようだった。
水面から顔を出し辺りを見回す。
しかし誰もいなかった。
「あいつらもう違うところに行ったのか。にしても薄情だ。人一人消えてるんだぞ、気づかないのか」
僕はため息混じりに水面で泡をぶくぶくと膨らませた。
すると突然僕は肩をペチペチと叩かれた。
「よお、お前さん新人かい? 見慣れねえ顔だな」
四、五十代くらいの野太い声でハチマキを巻いたマイワシが話してきた。
「話してる......?」
「そら話くれえするさぁ。そんなことより、お前さんここのことよく知らねえだろ着いてきな」
「いや、どこに......?」
「てやんでぃべらぼうめい! 早く着いてこい!」
まるで棟梁のようなおっさんマイワシに着いていき水中に戻った。
一番底に着き真上を眺める。
「お前さんもこの渦の中で過ごすといいさ。あそこは天国だべ」
「このトルネードの中で、ですか?」
「んだ。運動してたら飯が落ちてくるなんておいらが居た瀬戸内海では考えられなかったもんなぁ」
棟梁マイワシは目を輝かせながらトルネードを見つめていた。
「んだけど、初めはあの渦に入るのが難しいんよ。だからおいらに着いてこいや!」
棟梁マイワシは勝手に僕の手を引きトルネードに近づいた。
「いっせーのっ、どっこいしょー!」
僕は棟梁マイワシにヒレを引っ張られ強引に突っ込まされた。
マイワシの大群が僕の体を華麗に避けながら渦を描き続けている。
「目がクラクラする。しかしこいつらはなんで回り続けているんだ? ......ん、あれは?」
水面付近から何やらチラチラと粉のようなものが降り注いでいた。
僕はそれを見るやいなや勝手に体がそれに向かって泳ぎ始めてしまった。
パクッ
「ん、美味い! 美味い!」
これがプランクトンというものか。なんかパンフレットに載ってて見覚えがあるなとは思ったが、プランクトンがこんなに美味しいとは。
また食べに行こう。まだ降り続いているらしい。
僕は体をうねらせもう一度このビッグトルネードに身を預け水面に向かって全速力で泳ぎ出した!
「うおりゃァァァ!」
飲み込めば回り、飲み込めば回り、一旦休息のために昼寝をし、また同じ繰り返し。
いつの間にかこのルーティンに慣れ僕は無駄のない洗練された動きでプランクトンを捕獲するマシーンと化していた。
初めの頃の情熱は下火になり、その光の無くなった目はまるで死んだ魚のようだった。
いや魚なんだけど。
「次の放流は一時間後かぁ。とりあえず休んどこ」
僕は平たい岩の上で眠たい顔をして座っていた。
体を半月のように曲げていたのだが、足を組んで頬杖をつくポーズを取ってるつもりだった。
「よお、おめえさんもここに慣れてきたみてえでねえか。どうだいここの生活は?」
棟梁マイワシが数時間ぶりにやって来た。
「まあ、慣れましたね。ただぐるぐる回っていれば飯が降ってくる。ここが本当のユートピアかも知れません」
「そうだろそうだろ。マグロやカジキと本物の鬼ごっこをせんでええし、ただ飯食っている姿をあっこにいる間抜けな連中に見せちゃれば、また飯が降ってくる。こりゃええ仕事だわな!」
あっこの連中?
僕は棟梁マイワシがクイッと顎を突き上げた方向を見た。
そこには水槽を覗き込んでるいくつかの人影があった。
「......けぇー! りょ......けぇーー! 大丈夫かぁぁ!」
「翔太......! 戻ってきたのか!」
僕の目に輝きが戻った。
紛れもなく翔太の声だった。
(そうだ、こうしちゃいられない俺は帰らなければ!)
そう思い立ち水上に向かって全力で泳いだ。
「おいお前さんどこに行くんだい!」
「帰るんです!」
「何を......! ここにいた方が楽だと行くのになぜ!」
なぜ? その質問に対する回答は既に用意済みだ。
「ここは極楽なんかじゃない。堕"楽"だ! 何も変わらないルーティンをずっと行っているだけ、何も面白くない世界だからです!」
まるで魚雷のように加速し水上に到達し、一気に飛び跳ねた!
「翔太! 」
僕の右目の前には翔太がはっきりと見えた。
「今そっちに、あれ?」
しかし喜びも束の間僕の体はそのまま隣の水槽へ一直線に飛び込んでしまった。
「くっそ、魚眼だからか!」
飛び込み水泡が視界を遮る。
しばらくすると水泡が消えた。
しかし視界が暗いままだ。
目をこらすが何も見えない。
だが何かしらがこちらへ近づいている気がした。
「あれは......。マグ......!」
バクリ!
一瞬だった。
歯が見えたと思った時にはもう遅く、僕は巨大なクロマグロの胃の中に閉じ込められてしまったのだ。
厳密にいえばそうでは無い。
食道から入りウォータースライダーのように僕は胃、腸を一瞬で通りそして暗いこの一本道を通って行った。
「明るい! 外に出るのか!」
光が差し込み視界が開けた。
水を弾く破裂音としぶきが水槽いっぱいに炸裂した。
「ぶわっはぁ!!」
顔の周りの水を手で拭う。
「手......。体......。戻った! やった戻ったぞ!」
僕は嬉しさのあまり金メダルを取った時の北島康介のように水面を手で叩いた。
「リョースケ!」
「誰か、スタッフさんを呼んで来て!」
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「いやぁまさかお前が落ちて居なくなった時は心配したぞ。マイワシに食われたんじゃないかって言うやつもいたしな」
(嘘つけ、翔太。お前らのうのうと観光してたんじゃねえのか)
「ま、結局刺身の盛り合わせが食えるんだからいいんだけどよ。いただきます」
不思議なことに僕が落ちてから救出されるまで五分ほどしか経っていなかった。
「小さいものほど時間が経つのが早いって本当だったんだな」
「あ? 何言ってんの。」
「いんや」
「ま、いーけど。そんなことより食わねーのかよここのイワシのなめろう」
「俺はいいわ、今日はカレーライスで。そういう気分じゃないし」
あんな体験したら二度と魚を食えないわ。
僕はカレーライスを飲み込み早々に食堂を出た。
理由は一つ。
例の水槽を外から見たかったからだ。
「ふーん。外から見るとこうなってるのか。案外壮大だな」
僕はあのトルネードの一部になっていたことに少し誇りを持ってしまった。
「でも実際ああいう生き方はごめんだな。............ん?」
踵を返して戻ろうとすると一匹のマイワシがじっとこちらを見ていた。
「誰もが辿る道だで」