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16:揺れる思いは十人十色

 アトランティアに到着してから夜が訪れるまでの時間はあっという間だった。

 最初にテティス女王と会合をしたのと、その会合のオチがあまりにも色濃かったせいもあるだろうけれど。


 私たちが宿泊する部屋は、私とシエラ、リルヒルテ、レノアの四人で使うことになった。

 一応、名目としてシエラは私の付き人、リルヒルテとレノアは護衛なので当然と言えば当然の話だ。


 けれど、いつもだったら気心が知れている面々なんだけど、今日に限って皆が皆、揃えたように口が重たかった。

 まぁ、今日は王族同士の会話も多かったから口数が減っても当然なんだろうけれど、気疲れでもしてしまったのかと心配になる。


「いや、今日は凄い一日だったね。なんか疲れちゃったよ」


 敢えて明るく言うと、皆が顔を上げて私に視線を向けた。少し間を開けてから最初に口を開いたのはシエラだった。


「えぇ、色々と衝撃でしたね。テティス女王陛下の人となりや、アイオライト王族の仕来りとか……」

「そうですね。特殊な形態の国だとは思っていましたが、ここまでとは……」


 シエラに続いて口を開いたのはレノアだ。


「元々、王都が船であり、その目的を考えれば理解は出来ますが……あまりにも常識がグランアゲート王国と違って困惑してしまいましたね。ないとは思ってましたが、口を開くようなことがなくて逆に良かったですよ……」


 レノアは深々と溜息を吐きながら表情に疲れを滲ませていた。王族の相手は慣れているといっても、レノア自身は貴族令嬢という訳でもないから密かに気を張っていたんだろうな、と思うと苦笑が浮かびそうになる。

 すると、最後まで口を開かずに黙りこくっていたリルヒルテが口を開いた。


「驚いたのはベリアス殿下とアネーシャ様もですが……」

「あぁ……あれはね……」

「ベリアス殿下も満更ではなさそうでしたし、テティス女王陛下の計略自体は上手く行ってそうなのがまた……」

「ラッセル様も頭が痛いだろうな。ベリアス殿下、どうするんだろう」


 多分、もう本人も自覚なしという訳でもないだろう。かといって、あの状態のアネーシャ様に好意を伝えても上手くいくような気もしない。


「説得は難しそうだけど、本気ならそれぐらい出来ないとアネーシャ様を娶れないってことでしょう。アイオライト王国の事情に余所者が私たちが出しゃばる訳にもいかないでしょうし」

「そうですね……」


 リルヒルテはどこか心あらずといった様子で呟いた。

 ……やっぱり、なんだか最近リルヒルテの様子がおかしい気がする。何か悩んでいるような、それに気を取られているような印象だ。


「……王族や貴族に生まれれば、いずれは血を継がせなければならない。それは義務だと教えられてきました」

「うん? まぁ、そうだね」

「私はそれでも自由に育てられた方だと思います。女で、末っ子だったというのもありますけど……」


 リルヒルテはぽつぽつと言葉を紡ぐ。その姿は、ゆっくりと染み出てきたものを表に出しているようにも見えた。


「……わかっていなかった訳ではないんですけど、最近、そういう事を考える機会が多くて」

「あー、結婚しなきゃって?」

「はい。私は相手は問わないし、政略も考えなくて良いとは言われていたのもあって、敢えて意識しないようにしてたんだと思います。私は近衛騎士になって姫様たちの護衛になるのが夢でしたし」

「護衛騎士になったら社交とかも難しそうだよね。確かに結婚するとなると悩ましい話だ」


 護衛になるなら姫様たちに付いていなければならないし、護衛のために家を空けたり社交会に出られないなんてことは想像に容易い。

 ガードナー侯爵家の令嬢であるリルヒルテは引く手数多だろうし、護衛になりたいと考えていても切って切り離せないのかな。


「……カテナさんは」

「ん?」


 リルヒルテが何か聞きたそうな顔をして、私の名前を呼んだ瞬間だった。

 こんこん、とノックの音が聞こえてきて、全員の意識がそっちに向けられる。


「夜分に申し訳ございません。カテナ・アイアンウィル様、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「私?」

「テティス女王陛下がカテナ様とお話をする時間を頂きたい、と。ご同行をお願い出来ますでしょうか?」

「……私だけで?」

「はい。女王陛下からは一部、神託も授かっているので、それに関する話だとお伺いしております」

「……神託ねぇ?」


 それを聞いてもミニリル様は無反応を貫くようだった。何か知ってそうではあるんだけど、本当に今回は口が重たい。

 神託を授かったとは言うけど、やっぱりこの国の始祖神であるネレウス様からだろうか? 一人で来いと言われてるみたいだし、仕方ないと思いつつ刀を手に取って立ち上がった。


「ごめん、行ってくるよ」

「はい、行ってらっしゃいませ」


 シエラが見送りの言葉を投げかけてくれた。

 何か言いたげだったリルヒルテの様子が心配だったけど、レノアに視線を合わせると察したように頷く。

 少しだけ安心しながらも、私はテティス女王の下へと案内されるのだった。



   * * *



 ――ぱたん、と。扉が閉じてカテナの姿が見えなくなった後。


「リルヒルテ様」


 シエラは淡々とした声でリルヒルテの名前を呼んだ。少し気落ちしたように息を吐いていたリルヒルテは、気を取り直したようにシエラへと視線を向けた。


「何でしょうか? シエラさん」

「……自覚させない方が良いかと思ってましたけれど、少し目に余るようになってきたので、ご指摘させて頂きます」

「……はい?」


 責めるようなシエラの言葉にリルヒルテは目を丸くしてしまう。怒っているとまではいかないが、シエラの態度は淡々としていた。

 しかし、リルヒルテにはわからない。どうしていきなりシエラに責められるような態度を取られているのか。

 シエラの雰囲気にレノアも落ち着かない表情へと変わって、シエラを見つめている。


「最近、リルヒルテ様はカテナさんを気にしてますよね」

「え、えぇ……」

「何故ですか?」

「……何故って、それは……」

「特にカテナさんの恋愛だとか、結婚だとか。そういった事に感心を向けてますよね?」

「……偶々ですよ? 偶々、そういう事を考える機会が多かっただけで」

「いつから、私に変だと思われる程度におかしくなったか自覚がありますか?」


 どく、どく、と。リルヒルテは自分の心臓の音がうるさくなってきたのを自覚した。

 シエラの淡々とした声が、怖い。どうしてこんなに責められているように感じるのかわからない。

 嘘は言ってない。本当にただ、恋愛や結婚に関して考えるような機会が多かっただけで、ただ、それだけで。


「新しいカテナの提案をされた頃ぐらいからですよ」

「……それは、だって、嬉しくて」

「えぇ、わかります。本当に嬉しかったと思いますよ、救われたような気持ちになりますよね」

「……なんで責めるように言うんですか?」

「責めているように聞こえますか?」


 リルヒルテは声が震えそうになった。おかしい、感情が制御出来ない。態度が取り繕えなくて、足下が消えてしまったような不安に襲われる。

 対してシエラの言葉は淡々としている。それがリルヒルテには堪らなく恐ろしかった。体が勝手に耳を塞いでしまおうとしている程だ。


「確かに責めているように聞こえても仕方ないかもしれません。そもそも、カテナさんは結婚しないと言っているじゃないですか。リルヒルテ様の言う通り、心変わりがないとは言いませんよ。でも、最近何度も確かめたそうにしてましたよね?」

「それは……」

「リルヒルテ様らしくありませんよ。自分が何に振り回されてるのか、本当は……――」

「――やめてっ!」


 遂に堪えられなくてリルヒルテは耳を塞いで、頭を抱えるようにして縮こまってしまった。

 突然のリルヒルテの悲鳴じみた大声にレノアが素早く反応し、リルヒルテを守るように抱き締める。


「……やめて、シエラさん、お願いだから」

「……だから嫌だったんですよ。でも、自覚しないで貴方らしくない振る舞いして失敗なんてされたら、それこそ目も当てられません」


 いやいや、と首を振るリルヒルテを見てもシエラは言葉を止めなかった。


「カテナさんの事、今までよりもずっと好きになってしまったんでしょう?」

「――……ッ、い、や」

「わかりますよ。溺れそうなぐらい幸せな気持ちを与えられて、直向きに自分のことを考えてくれる人をどうやって嫌えばいいんでしょうね。どんどん好きにさせられて、一線を踏み越えてしまいそうになりますよね」

「……ゃ、だ」


 突きつけないで。自覚させないで。気付いてしまったら、それこそ一線を越えてしまう。踏み越えたら戻ることは出来ない。


「その癖にどこか危なっかしくて、無頓着で、あんなに好意を振りまいてたら寄って来る人だって増えるかもしれないのに。その中には、騙そうなんてする人もいるかもしれない。利用しようとする人だっているかもしれない。そういう人を近づけたくないですよね。出来れば良い人に恵まれて、ずっと笑って欲しい」


 シエラの言葉にどうしようもない程に共感を覚えてしまう。

 その共感こそがリルヒルテに絶望感を味合わせていく。足下ががらがらと崩れ落ちるような音が今にも聞こえてきそうだ。


「好きで、好きで、堪らなくなりますよね」

「……それは、友人として、当然でしょう……?」



「――友人で止まれるんですか? もし、カテナさんが振り向いてくれたら。そんな想像を一度でもしなかったんですか?」



 ――否定が、出来なかった。

 そして、リルヒルテは崩れ落ちる。自覚した気持ちを前にして恐れ戦いてしまったからだ。


 出会った時から不思議な人で、可愛らしい一面がありながらも焦がれるほどに強かった。

 侯爵令嬢である自分の立場なんて霞むような人で、その立場に見合った志の高さと器の広さを兼ね備えていた。


 それなのに、その立場に傲ることもなく曇りない好意を真っ直ぐに伝えてくれるような人だった。

 自分の夢をただの夢だと笑わずに、実現が出来るように力を貸してくれた。あの人によって拓かれた道は眩しいほどの希望の光に満ちていた。


 時には光に目が眩みそうになって、転んでしまいそうになっても手を差し伸べてくれた。

 諦めなくていいんだと、夢を追って良いのだと。どこまでも許されてしまった。


 リルヒルテ・ガードナーはカテナ・アイアンウィルを敬愛していた。

 ……でも、この欲深さを増した思いは敬愛と呼べるのか? いいや、呼べない。


 多くのものを与えられたのに、同じだけのものが返せない自分の弱さが悔しかった。

 与えられるだけでは嫌で、出来ることを探したかった。ただカテナを思っていたかった。


 幸せになってください。貴方の進む道に光が溢れていて欲しい。楽しく生きて、辛いことも何もないような健やかな人生を。

 だから幸せを当て嵌めてしまった。ただ、何でもいいから彼女の幸せに貢献したくて。ただ、それだけ必死で。



「……振り向いて、貰える訳、ない、じゃない、ですか……!」


 ――太陽を仰ぎ見ることは出来ても、太陽がこちらを向いてるだなんて思えないのだから。



 自分の持っていた特別なんて、あの人の特別になんて届かなくて。

 私と彼女は友人で、同性で。もっと言えば、私たちは貴族で。どんなに思ってもぴったり幸せに当て嵌まる形なんて知らなくて。


 答えを知らないから、自分がどうなってしまうのかわからなくなる。だって、追いかけてる夢と同じぐらい気になってしまう程の想いだ。

 だから無意識に探していた。自分を納得させようとして必死だった。あぁ、なんて滑稽なことだろう。



 ――好き。好きなんです。あぁ、言葉に当て嵌めてしまえば、もう逃げられない。



 リルヒルテがカテナへと抱く敬愛は、恋の熱を仄かに伴うようになっていたのだから。

 自覚した熱が胸を焼き焦がす。体から熱を追い出そうとするかのように熱い涙が零れていく。決壊した感情が嗚咽となって漏れ出した。


 そんなリルヒルテをレノアは痛ましそうに見つめながら労るように抱き締める。

 レノアに抱き締められるリルヒルテを見つめながら、シエラはそっと目を伏せた。


「……本当に、罪深い」


 投げ槍気味に零れたシエラの小声は、空気に飲まれるようにして消えていった。

 

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