11:海上の襲撃
アネーシャ様との歓談も穏やかに過ぎたけれど、時間が来たと言ってアネーシャ様は名残惜しそうに出て行った。
アネーシャ様が去った後、船酔いでダウンしているベリアス殿下とレノアの面倒を見るラッセル様を残して、気晴らしにシエラとリルヒルテと一緒に甲板に行くことにした。
「凄いですね、どこまでも海が広がっていますよ」
「グランアゲート王国じゃお目にかかれない光景だね」
「グランアゲート王国の水辺と言えば湖ですからね。そちらはそちらの良さがありますが……」
リルヒルテが一面に広がっている海の景色に昂揚しているようだった。そんな横でシエラがぼんやりと海を見つめているので、少し気になってしまう。
「シエラ、大丈夫?」
「いえ、何ともありませんけれども……どうかしましたか?」
「ちょっとぼんやりしてたみたいだから……」
「あぁ……別に何か思う所がある訳ではないですよ。ただ、船の上というのは陸地にいる時とは違って、平衡感覚に多少なりとも影響があるみたいで」
そう言いながらシエラは眼帯で隠された左目を押さえる。
「もしかして酔ってるとか?」
「気持ち悪いとまでは思いませんけれど、落ち着かないですね」
「具合が悪くなりそうだったらすぐに言いなよ?」
「……でしたら移動する時、手を繋いで貰っても良いですか? それなら多少は楽になるとは思いますので」
「それぐらいなら別にいいよ」
まだ眼帯を付け始めた頃もシエラには手を繋いであげていたし、船の上なんて慣れない場所にいるなら少し気を遣ってあげた方が良いだろう。
「……カテナさんとシエラさんは随分と距離が近いですよね?」
ふと、リルヒルテがジッと私とシエラを見つめながらぽつりと呟く。
「そうかな? でも、ほら。シエラだって片目が使えなくて慣れてないんだし、これぐらいなら別に問題ないよ」
「……それはそうですけども」
何とも釈然としなさそうな顔でリルヒルテが眉間に指を添えた。そんなに周りから見ると変に見えるのかな?
「すみません、慣れれば問題ないとは思うんですけども……」
「いいよ、シエラは気にしないで」
シエラの片目が晒せなくなってしまった遠因には私が絡んでいるから、少しだけ負い目があるからね。せめてシエラが何事も支障なく生活出来るようになるまでは面倒を見てあげたい。
――そんな事を思っていた瞬間だった。不意に、ざらりと肌に触れる空気の質が変わったような気配を感じる。
「カテナさん」
同時に低く鋭い声で私の名前を呼んだのはシエラだった。シエラは眼帯で隠している左目に手を添えながら、更に言葉を続ける。
「何か、来ます」
それは私も感じていた感覚だ。何かが来る、と。
次の瞬間、船が衝撃を受けたように大きく揺れた。私は咄嗟にシエラとリルヒルテを掴んで伏せるように身を沈める。
「ッ! 何ッ!?」
私の疑問に返ってきたのはけたましい鐘の音と、大きく叫ぶ人の声。
「障壁に被弾を確認! 襲撃、襲撃ーッ!」
「襲撃!? こんな海のど真ん中で!?」
私が驚き叫んでいると、先程の揺れよりも小さい揺れが連続して襲ってきた。
その揺れが収まったかと思えば、船の側面から海面を割るようにして巨大な影が迫り上がって来る。
巨大な影が日の光に照らされ、その姿を現していく。私は思わず全力で叫んでしまった。
「イ、イカだーーーーーッ!?」
触手の一つ一つが人を軽く押しつぶせるような大きさのイカ。それがまるで威嚇するように触手を揺らめかせている。
私と同じように驚きに目を見開いていたリルヒルテが叫ぶ。
「もしかして……あれが海の魔物ですか!?」
「あれが!? いや、デカすぎない!?」
なんなんだろうか。魔族や魔物は巨大な存在にならないといけないルールでもあるんだろうか。私と遭遇した奴、最終的には大きくなる奴ばかりなんだけど!?
私たちの驚きが抜けきらない間にも、巨大イカの触手が船へと伸びる。その触手を弾くように海が盛り上がって膜を展開する。衝撃で船が揺れるも、ビクともしていないようだった。
「これがアイオライトの魔導船の機能……!?」
「水魔法の応用でしょうか? 流石、水の国と言えますけど……」
「――えぇ、この程度で我が船が沈むようなことはありませんよ」
シエラと魔導船の機能について喋っていると、その会話に割り込むように姿を見せたのはアネーシャ様だった。
「最近、ちょっと多いんですよね。あのサイズの魔物の襲撃が」
「ちょっと多いって、あんなのが頻繁に出るんですか?」
「出ますよ。今日はなかなかの大物ですね、ってぐらいですけど」
アネーシャ様はどこまでも涼しげだった。まるでこの程度、日常だと言わんばかりに。
「では、あのクラーケンを仕留めてくるので。落ちてしまうと危険ですので、船の中に戻っていてくださいね」
「あぁ、やっぱりあれクラーケンなんだ……って、仕留めてくる?」
よく見ればアネーシャ様はその手に槍を持参していた。槍って、投げ槍? いや、投げるような形状の槍じゃなさそうだけど……。
「アネーシャ様! 出撃の準備が整いました!」
「わかりました! それでは〝衛士〟の皆さん、本日はグランアゲート王国から王子であらせられるベリアス殿下ご一行がおります! 我がアイオライト王国屈指の衛士の力を以てして、無傷で王都へとお連れしますよ!」
アネーシャ様と同じように槍を構えた人たちが十数名、付き従うように礼を取る。彼等に号令を告げるように高らかに叫び、アネーシャ様はそのまま船の縁へと手をかけた。
そして、そのまま勢い良く船の上から飛び降りた。驚きのあまり、思わず目で彼女の姿を追いかけるとアネーシャ様は水上を滑るようにして勢い良くクラーケンへと突き進んでいく。
アネーシャ様を筆頭に同じようにして船の上から飛び降りた人たちが水上を滑り、クラーケンを包囲するように陣形を組んでいく。
その光景を見て、私は思わず口をぽかんと開けてしまった。
「……アイオライト王国って、水の上を進むのが当たり前なんだ」
「噂には聞いたことがありましたけれど、実際に見てみると凄いですね」
私の呟きにリルヒルテも感心したように呟きを零す。シエラも興味深げに水上を駆け回る人たちを目で追っている。
中でも一番、動きが凄いのはアネーシャ様だ。誰よりも早く、そして滑らかに水の上を滑り、時折波に合わせてジャンプを決めてクラーケンの触手を切り飛ばす。
クラーケンも荒まじい速度で触手を再生させてアネーシャ様を狙うも、すり抜けるようにして攻撃を回避していた。
「アイオライト王国を守るのは、グランアゲート王国で騎士に相当する衛士という方々だとは聞いていましたが……全員が水魔法の使い手であることが前提のようですね」
「そうみたいだね。いや、それにしたってアネーシャ様の動きは惚れ惚れするね。海の上で踊ってるみたいだよ、あれ」
「あそこまでクラーケンに接近して一撃を与えられてるのはアネーシャ様ぐらいですね。あの中でも相当実力があると思います」
確かにアネーシャ様以外の衛士は積極的に近づかないで、海から伸ばした水の槍や刃で攻撃したり、鞭で縛り上げて動き回るのを阻もうとしているように見える。
全員で漁に挑んでいるようにも見えるので、勇ましくも不思議な光景に私はつい見入ってしまった。
「うぷ……お、お嬢様……状況は……?」
「レノア!? どうして出てきたの!?」
魅入られるかのようにアネーシャ様たちの戦いを見守っていると、青い顔をして若干小刻みに震えているレノアが駆け寄ってきた。リルヒルテが驚きながら目を丸くしている。
その後ろにはベリアス殿下とラッセル様まで付いて来ている。いやいや、船室にいた方が良いってのにこの人たちは何をしに来たんだ。
「……アネーシャ殿が戦っているのか」
顔を青くしている癖に、目の力だけは強いベリアス殿下がアネーシャ様を見つめていた。ただ一心に彼女の戦いを追うベリアス殿下に何とも言えない顔を浮かべてしまう。
ちら、とラッセル様に視線を送ると、とても形容し難いような表情で苦笑いしてしまった。私も苦笑いしたい。
「あの、邪魔になるかもしれませんし、船の中に戻りません? あの調子を見てれば問題はなさそうですし」
「……あぁ」
なんとか船の中に戻そうとするも、ベリアス殿下は上の空で返事をするだけだった。
一回、頭でもどついた方が良いだろうか、と思っていると――再び船が衝撃で揺れた。咄嗟に揺れに備えるために各々が近くにあるものを掴んだり、床に伏せたりする。
「襲撃ーーーー! もう一体が来やがった! ちくしょう、今日は大物が当たる日だなぁ!!」
警告を報せる見張りの声が響き渡ると同時に、船の傍の水面を勢い良く割って飛び出したのは――巨大なサメだ。
まるで前世の映画にでも出てきそうな巨大サメが、その口を大きく開いて船に飛びかかろうとしている。
押し留めるように水の膜が展開され、巨大サメを食い止める。しかし、まるで重量でそのまま船を押し潰そうとするかのようにサメが身を捩り、船が揺れる。
「引き剥がせぇーーーーーっ!」
誰かが叫ぶ。その中で真っ先に動いたのは、私とリルヒルテだった。
――〝刀技:鎌鼬〟
――〝ツイン・エアカッター〟
居合抜きと共に放った私の風の刃と、小太刀を二刀重ね合わせるようにして振り抜いたリルヒルテの十文字を描いた風の刃。三重の風の刃が巨大サメの身を切り裂き、そのままサメがよろめくようにして船から離れ、水面に没していった。
「やった!?」
「いえ、気配は消えていません! もう一度来ます!」
リルヒルテの叫びに左目を押さえながらシエラが叫び返した。
シエラの叫びを肯定するように背びれが海面から突き出て、再び突撃のタイミングを計るように旋回する。
船への襲撃を悟ったのか、クラーケンと戦っていたアネーシャ様が猛然と戻って来ようとしているのが見えたけれど、間に合いそうにない。
「――……見様見真似ではあるけれど、不可能ではないよね」
「……!? カテナ室長、ちょっとお待ちを! 貴方は何を――!」
私が何をしようとしているか悟ったのか、ラッセル様が慌てたように叫ぶ。
その声が私に届く前に、私は船の縁へと手をかけて――勢い良く船から飛び出した。
迫る海面、そのまま飛び込む寸前に私は足下に水の魔法を展開する。お手本はさっきまでしっかり見ていたので、後はイメージの通りに魔法を発動させるだけ。
そして私は海面へと〝着地〟する。気を抜けばそのまま海に沈んでいきそうなのを感覚を研ぎ澄ませて魔法を制御する。
「よし、行ける」
また船に体当たりされては堪ったもんじゃない。先程まで目にしていた背びれを確認して、私は刀を構えた。
私の存在に気付いたのか、巨大サメは船の方ではなく私の方へと猛然と向かって来ている。
(どっから喰らい付いてくる、潜って下から? 飛び上がって上から?)
迫ってくる背びれを視界に入れつつ、私は刀を鞘へと収めた。海という不安定な足場を魔法で固定し、構えを取る。
集中力が時間を引き延ばしているようだった。波の音も鮮明になっていき、水飛沫の音に満たされていく。
そして、巨大サメの背びれが海へと沈んだ。判断に使ったのは一秒か、それとももっと短かったか。私はただ自分の直感を信じて身を任せた。
「――下ッ!」
――〝刀技:裂空破刃〟
海面ごと私を呑み込もうとするように口を開く巨大サメ。そのサメの開いた口の中を狙って、私は抜刀と共に全力の一撃を叩き込んだ。
溜めを含んだ強烈な鎌鼬が海すらも切り裂いて口を開いた巨大サメへと迫る。それはサメの口の端をそのまま切り裂くように真っ二つに進んで行き、上と下半分で巨大サメの体が分かたれていく。
血飛沫から逃れるように、私は放った際の風の勢いに乗って宙を一回転する。そのまま風を起こし、船の甲板の縁へと足をかけるようにして着地した。
起き上がるようにして海面から顔を出した巨大サメは、二つに分かれた体をそれぞれ海に沈ませていく。気配を探ってみるも、あそこから再生するようなことはなさそうだった。
なんとか上手くいった、と胸を撫で下ろしていると、私を見上げるようにして驚きの表情を浮かべているアネーシャ様と目が合ってしまう。
私は驚きのまま固まっている彼女に、誤魔化すように笑みを浮かべながら手を振るのだった。
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