幕間:遠い春への芽吹き
イーグリア公爵家はグランアゲート王国の数ある公爵家の中でも代々、財務官を始めとした忠臣となって王家に仕えてきた名家だ。
武芸に秀でたガードナー侯爵家と双璧を為す忠臣の鑑と言っても良い模範的な貴族の家だ。但し、それ故に自他共に厳しい家風の中に身を置いているのだと言う噂を耳にすることが多い。
そんなイーグリア公爵家に醜聞が起きたのは数年前の話だ。ザックスがブラッドフォート学院に通うために王都にやってくる少し前の話で、噂のご令嬢の卒業とは入れ替わりで入学したこととなる。
ザックスが入学した当初、その事件のせいで規則が例年よりも厳しくなったとも言われ、直近の世代では知らないとは言えない人。ザックスは今、その人と対面していた。
「アナベル・イーグリアと申します」
見事な一礼をしたアナベルは、確かに鉄仮面と言うべき無表情と鋭く硬い声でザックスへと挨拶を告げる。
あくまで名目としては、今後財務に携わる人材としてザックスとアナベルを引き合わせたいということで、今日の顔合わせは実現した。
仲介人としてベリアスとラッセルも付いて来ているが、あくまで二人は今日の顔合わせにおいてはオマケだ。
ベリアスはどこか固い表情を浮かべていて、ラッセルもいつもより気を引き締めているように感じるのはザックスの気のせいだろうか。
さて、改めてザックスはアナベルの容姿に目を向ける。ぴくりとも動かない表情筋に睨んでいるのかと言わんばかりの鋭い藍色の瞳。一分の乱れもなく編み込んで結い上げた銀髪。そし背筋を伸ばした姿勢は背筋に棒でも入っているかのようだ。
そして格好。アナベルはドレスと言うには質素すぎる黒いワンピースを纏っていた。それでも品の良い生地は使っているのではないかと言うのが質素に見えても、決して粗雑ではないと感じさせる。
「気になりますか?」
「はい?」
「私の格好がです」
目を鋭くさせ、値踏みをするかのようにザックスを見つめるアナベル。警戒されているな、とザックスは思わず苦笑を内心で噛み殺す。
意図がバレバレじゃないですか、とベリアスとラッセルへとジト目を向けると、二人して困ったように視線を彷徨わせていた。
「あくまで、未来の後輩との顔合わせということでこの場が用意されていたと聞いていました。であれば必要以上に着飾る必要もないかと思っておりましたが。何か不都合でもありましたでしょうか?」
「いえ、そんな事はありません。改めて、ザックス・アイアンウィルと申します。しがない男爵家の倅でありながら、イーグリア公爵令嬢とご対面する機会を頂けて至極光栄にございます」
「ここにはイーグリア公爵家の娘ではなくブラッドフォート学院の卒業生として赴いているつもりです。ザックス、とお呼びしても?」
「畏まりました。お名前はお好きなように呼んで頂ければと思います、イーグリア先輩」
「名前を呼ぶ許しを頂きました。私が名前を呼ぶな、とも言えないでしょう。私のこともアナベルと」
「では、アナベル先輩と。改めてお会い出来て光栄です。あのアナベル先輩とこうして縁を結べるとは思っていませんでしたので」
アナベルは注意深くザックスを観察しているかのようだった。
恐らく、こうしたやり取りは何回もあったのだろう。誰かが相手を見繕おうとして、その度にアナベルは退けてきたのだろうとザックスは推測する。
ここまで警戒されている理由を考えればそう考えるのが自然だと思う。もう男や結婚など懲り懲りだと考えていてもおかしくない仕打ちを受けたのだから。
しかし、ザックスにとってそれは重要ではない。ベリアスから打診を受けたこの話に乗っかったのは純粋にアナベル・イーグリアという女性に興味があったからだ。
「同じ時期を学院に過ごすことは叶いませんでしたが、アナベル先輩の尽力によって大変助けられました。同じ学び舎で学んだ者として尊敬しております」
「はい……?」
予想外と言わんばかりにアナベルは目を瞬かせた。ザックスの言う尽力に心当たりがなかったからだ。
「先輩が在学中に残した数々の軌跡、それは私の道標となって導いてくれたのです。お名前だけはそちらで存じ上げておりました」
「はぁ……? その、一体何の事か……」
「各科の授業で必要になりそうな資料、その調べ方からオススメの本を網羅したものはアナベル先輩の名前で残されていました。資料の細やかさや注釈、それを丁寧にかつわかりやすく記した軌跡には感服していたのです」
「……その、それは、あくまで私個人の研究資料に過ぎなかった筈ですが」
「えぇ。それを私が改めて閲覧出来るように図書室に置くことを提案しました」
「は?」
「こちらは在校生から好評で、まず図書室に入る際にはこちらの資料を閲覧するようになりました」
ブラットフォード学院では卒業生の研究資料は、本人が破棄を希望しなければ次に続く生徒のための資料として残されることとなっている。
そんな中でザックスが見つけたのが、詳しい本の調べ方、必要な情報がどの本に載っているのか掲載された案内書とも言うべき研究資料だった。
その筆者が、ザックスが入学した頃でもまだ噂が絶えないアナベルその人だった。
「他にも壊れた備品や、破損した箇所を発見した場合の報告書の概要を纏めて教員に試案をお渡ししたのもアナベル先輩ですよね?」
「それは……当時は壊れた備品を見つけても口答で伝えるしかなく、教職の方々が多忙な時には後回しになって忘れ去られる事があったので、それを回避する一助となれば提案したものですが……」
「今では私どもの間では当たり前に使用されております。転じて生徒からの聞き取り調査のためにも応用されるようになりました。こちらは私個人で始めたことが学院でも取り入れられたものとなりますが」
「貴方は一体何をしているのですか……?」
「私はただ有用な仕組みを作るために、その提案を皆に受け入れられるように策を講じたに過ぎません」
それが回り廻って自分の下に情報を集める術にしていたという打算はあるものの、純粋に有用な仕組みだと思ったからこそザックスは広めることにしたのだ。
最初は個人的に、しかしザックスが始めたことに目をつけた先輩や教師の方にそれとなく提案という形で発信を譲り、自分は目立たず縁を深めることが出来た。
ザックスはカテナのように無から有を生み出すような発想力は持っていないと思っている。あくまで自分に出来るのは全体像を把握し、適切に配置を換えたり調整を利かせたりする方が向いていると。
なら利用出来るものは利用するまで。それが先人の実らなかった知恵だろうと、結果として実らせればそれで良いと考えた。
「ですから、ずっと尊敬しておりました。私の学院生活が実りあるものになったのも、アナベル先輩のお力あってのことです。改めて感謝を伝えさせてください」
ザックスの言葉を受けて、やや呆けたようにアナベルはザックスを見つめていた。
賞賛を受けるのもどこか慣れていない。そんなアナベルの表情に、ザックスは内心苦い感情を噛み締めていた。
言うなれば、この人は歴戦の鋼なのだ。
熱せられた鉄のように、柔らかくも頑なな情熱を秘めた性質をしているのだろうと残された資料からザックスは読み取っていた。
しかし、実際にザックスが耳にするアナベルの噂は冷たい女だの、情がなくて愛想が悪い、厳しすぎて心が凍えてしまいそうだと言う評価しか聞かない。
それは傷つき、痛んだ鋼の如しだ。誰だ、この人を世間の荒波という風雨に晒し続けた奴は。
アナベルは内面と外面の乖離が激しい人なのだ。それは恐らくイーグリア公爵家の家風によって生み出されてしまった二面性なのかもしれない。
厳しく己を律し、模範とならなければという自戒の一面。その模範となるべく努力を惜しまない情熱溢れた一面。
ただ厳しいだけでは熱は生まれず、厳しさの中に育まれた情熱の炎によって、彼女の鉄の如き精神は生命を得る。
正にアナベル・イーグリアというはそうした女性なのだ。こうして対面したことでザックスは自分の人物評に確信を深めてしまう。
そして、それがザックスが苦労人である原因となった悪癖を発動させてしまった。
(――なんて、なんて勿体ない……!)
アイアンウィル男爵家は、元は鍛冶職人と商人を兼業していた祖父から興った成り上がりの家である。
貴族というのは、とにかく金がかかる。領地を恙なく治めなければいけないし、家の格を落とさないように気を張らなければならない。
手を抜くことは出来ない。隙を見せればいつ誰が隙を突いてくるかもわからない世界でもあるのだから。
故に、無駄に出来るものなど一つもないのだ。だからこそザックスはつい人を助けてしまう。
何故ならザックスにとっては人もまた材であり、財である。
有能な人物というのは望んでも手に入るものではない。故にこそ、まさに一期一会の出会いなのだ。
そんな人材が不適切な場所に配置され、ただ腐っていくだけなのがザックスには許せなかった。
最初はただ、全体像を把握するためだけだった。しかし、それが情報収集だけに終わらなかった。
だからこそザックスは周囲から相談を持ちかけられることが多いのだ。
――だって勿体ないじゃないか!
そしてザックスにとって、アナベルという女性はとても〝勿体ない〟女性だった。
外面の厳しさに目を奪われ、内面を察する人がいない。それ故に理解が得られず、周囲の評価と本人の情熱が結びついていない。ダメ。
情熱はあるものの、それを受け入れられるための下地を作ることが出来ていない。あくまで自分の正しさを押し付けるような格好にしかなっていない。ダメ。
それが結果として本人の態度の硬化を招いてしまっている。それが更なる悪循環を生み出し、彼女の情熱は内に埋もれてしまっている。ダメダメである。
例えば、剣は丈夫で鋭ければ良いとする。だが、それだけで良いかと言われれば絶対に違う。
まず、この剣がどんな場面で使われるかも考えなければならないだろう。
どんなに切れ味が素晴らしくても、それを十全に振るえなければ無価値にもなる。ならば持ち手も意識しなければならないだろう。
見た目の映えも大事だ。見た目が与える印象というのは意外と馬鹿にならないものなのだから。
華美なる装飾には感心を、凶悪なる外観には畏怖を。それもまた物の魅力を引き立てる一助だ。
切れれば良い。勿論だ。だが切れればそれで良い、とは言えない。切れることは前提なのだ。価値とはその前提の上に重ねていくものなのだから。
アナベルは名剣である。しかし、持ち手も、飾りも、その刃を収める鞘も何もかもが不十分なのだ。
未完の名作。鉄のような女性だからなんだと言うのだ、ならば鉄の花として枯れず、折れず、曲がらない美として仕立てれれば良い。
鉄だから錆びるというのならば、手入れをしてやれば良い。人の手が必要だと言うのならば、それを惜しむことこそが価値への冒涜である。
この瞬間、ザックスの脳裏からこれが何の為の引き合わせだったのかは掻き消えた。
誰もこの原石を磨かないんですか? じゃあ勝手に磨きますね!
「アナベル先輩、私はこの大恩に報いずにはいられないのです。これからもどうか末永く、貴方の栄達を支える一助となれれば幸いです」
それはザックスの心からの言葉であった。若干、その目が価値ある掘り出しものを買い叩こうとしているような目であっても、嘘偽りのない確かな熱を含んだ言葉であった。
一方で、その熱量ある言葉を浴びせられたアナベルはただ困惑したように表情を揺らし、頬に昇る熱に戸惑いを覚えているようだった。そして、それを気のせいだと言うようにわざとらしく咳払いをしている。
「……よくわからんが、上手くいってないか!?」
「よくわかりませんが、上手くいってそうですね?」
そんな二人を見て、すっかり蚊帳の外になっていたベリアスとラッセルは小声で囁きあう。
これはまだ、春には遠い温もり。しかして、いずれ来たる春の芽吹きであることは間違いなかったのである。
ザックスが埋もれた人材を見つけた時の効果音「チャリーン♪」
なんだかんだで人生を楽しんでいるお兄ちゃんでした。
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