幕間:お兄ちゃんは辛いよ
――どうしてこうなった?
心の内でザックスは呟いた。内心の動揺を表に出せる状況にはなく、頼れそうな味方もいない。
孤立無援、状況は絶体絶命。握った拳に汗の感触がじわりと広がっていく。
――……どうして、こうなった?
やはり言葉にせず、内心で噛み締めるようにザックスはもう一度呟いた。
今の彼の状況を説明しよう。ザックスは見るからに美味そうな見事な菓子と豊潤な香りがするお茶が並べられた机を前にして席に座っている。
その対面に座る相手こそ、ザックスを崖っぷちへと追い詰めている張本人であった。
「――そう固くなることはない、楽にすると良い。ザックス・アイアンウィル」
そう言いながらお茶を口に運ぶのは、この国の第一王子であるベリアス・グランアゲートその人であった。
カテナと共にラトナラジュ王国から帰国してから数日後、カテナよりも早くに復学してきたベリアスからの呼び出しを受けたザックスは思わず膝を付きそうな程の絶望を味わった。
呼び出しを受けてザックスが思ったことはただ一つ。
――あの愚妹、何をしでかした!?
ベリアスから呼び出される案件など、ザックスに心当たりがあるとしたら間違いなくあの規格外の妹に関連した話題以外にない。断言しても良い、絶対に他にないと。
そうして処刑台の階段を昇るようなつもりで呼び出された場へと出向いた所である。既にザックスの目と表情筋は死んでいた。
この場にいるのはザックスとベリアス、そしてベリアスの付き人のようにいるラッセル以外の人は見えない。一体、これからどんな宣告をされるのかとザックスは戦々恐々とする他ない。
「……さて、回りくどい話は好かんのでな。早速だが本題に入らせて貰おう」
「妹が大変申し訳ありませんでした! どうか、何卒ご寛恕を!」
先手必勝、最早これしかあるまい。導き出された最適解にザックスはすぐさま頭を下げ、声高らかに謝罪を告げた。
「……あー、気持ちはわかるが、顔を上げてくれ。貴様を咎めようと思って呼び出した訳ではない」
「……叱責のために呼ばれたのではないと?」
「気持ちは果てしなくわかる。貴様の苦労の程もな……よくあれの兄をしていると感心する程だ。同じ兄ではあるが、あれが妹であれば発狂していてもおかしくはあるまい」
「うっ……! 申し訳ありません、少々涙が……!」
ザックスは思わず熱くなった目頭を抑えて呻いた。正直、同級生からも妹が凄いと褒め称えられ、自分の評価までもがよくわからない上昇傾向にあったのだ。
実態と虚像がまるで異なっていき、自分という存在すらも疑いかねない程のストレスに実は若干、ザックスはやさぐれていた。
「いえ、妹が優秀なのは良いんです。アレの頭の中身は一体どうなってるんだとかち割って見てやりたいと思う時もありますが、まぁ、まだなんとか兄妹の体裁を保っていようと思う程度には妹だとはまだ思えていますしそろそろ真面目にアイツをどうにかしないといけないとは思っているのですが見ての通りですので俺にはどうしても止められなくてちくしょうあいつめ俺に迷惑をかけてることを自覚してるのか本当に――」
「よし、落ち着け。このお茶はささくれた気分を癒すのにとても効果があると評判のお茶だ。最近は俺も愛好している。まずは一口どうだ」
「……頂きます」
さっきまで緊張で味がわからないんじゃ、と思っていたザックスは優しく和ませてくれるようなお茶の味に感動した。今後、自分もこちらの茶葉を購入しよう。王家の御用達品だから高いかもしれない? 心の健康を買えるなら安いものだ。
「繰り返すようだが、本当に貴様はよくやっていると思う。カテナの実績に比べれば霞むと言われるかもしれないが……ザックス、お前もまた稀有な人材であると俺は見ている」
「はぁ……過分なご評価だと思いますが?」
「身の程を知る、というのは弁えぬ愚か者への言葉ではあるが、敢えてお前は身の程をよく弁えていると俺は評価する。その上で、その枠に収まらぬ能力を隠すことにも長けているな。正直、成り上がりの男爵家と未だにアイアンウィル家を笑う者たちにはお前の爪の垢でも煎じて飲ませるべきかとも思っている」
「……何も隠すことなどございませんが?」
「いいや。お前もやはり、アレの兄だと言うことだ。とんだ食わせ者という意味ではな。しかし、実力を隠すならば点数はもっとバラけさせるべきであったな。どの授業評価もぴったり真ん中をキープしている。まるで、敢えてそうしているかのようにな」
「……何の事やら」
ザックスはとぼけて見せるも、内心では舌打ちを打っていた。
アイアンウィル家は成り上がりの男爵家である。今は旅で家を開けて放浪中の祖父が爵位を賜り、そして整えられた地盤を父親が引き継いだ盤石な領地だ。
しかし、だからといって大きな顔をすれば元からの貴族などに目をつけられる。だからザックスは自分の成績を良くもなく、悪くもなくといった具合に調整をしていた。
「お前の成績の推移を見たが、最初は安定せずに得意と思われる科目と苦手と思われる科目でバラつきがあった。だが、ある時を境にそこからぴったりと真ん中をキープしている。他の生徒であれば多少の波もでるだろうが、お前は逆にその波がなかった。であれば、それは狙っての成績であったのではないか? と考えることが出来る」
「考えすぎですよ、たまたまです」
「そして周囲の生徒からの評判は良い。一部、お前を恐れている生徒もいるようではあるが、不思議とこの生徒を辿れば本人や実家の悪評へと行き着く。性格面なども考慮すれば将来に難ありな粗忽な者たちと言えよう。しかし、その者たちを除けばザックス・アイアンウィルは困った時に相談しやすく、人当たりの良い生徒だとも聞く」
「……何が言いたいので?」
「それもまた、周囲の学力調査の一環でもあったのではないかと思っただけだ。人心掌握、情報収集、計画立案、そしてその実行力。影に隠れているが、必ず重要な要点を挙げた時にお前の影がある」
思わず何かを言いかけて、しかしザックスは何も言わずに口を閉ざした。下手に誤魔化そうとしても、それが逆に悪手となると判断したからだ。
それだけベリアスの視線はザックスを射貫いていた。さて、とザックスは唾を飲み下しながら思考しようとする。
しかし、それよりも早くベリアスが剣を突きつけるかのような勢いで言い放った。
「ザックス、俺の部下になれ」
「……それは」
「貴様が元の身分に合わぬ地位を求めていないことは知っている。しかし、貴様のような稀有な人材を野に放つのは惜しすぎる上、貴様の力が俺には必要だと判断した。これは命令ではなく、取引だ」
「……取引、ですか」
「貴様は命じた所で従うような男ではない。その点、忌々しいがカテナとそっくりだ。貴様の方がまだ好感は持てるが」
「あれは、その、もう我を貫く生き物ですので……」
「うむ……」
お互いに何とも言えない表情を浮かべてしまうベリアスとザックス。そんな二人のカップに新しいお茶を注ぐラッセルも、どこか選択に困った時のような苦笑へと成り果てている。
互いに心和むお茶で心を潤した後、改めて二人は向き直る。
「私のことをご理解頂けた上、高く評価してくださることはありがたく思いますが……私に何をさせるつもりで?」
「俺の側近として実績を積みつつ、将来は財務に関わって欲しいと思っている」
「財務、ですか……? 正直、やり甲斐はある仕事だとは思いますが……」
「貴様は金の扱いが巧みだ。貯めるのも、消費するのもな。その能力を活かして欲しいのと……」
そこで一度言葉を切り、ベリアスは周囲を警戒するように視線を這わせてから声を潜めて言った。
「……将来的に、カテナのやろうとしていることは国家事業になることはほぼ間違いない」
「……は、はぁ」
「その時にあの馬鹿者が何かしでかした時に掣肘する立場をお前に担って欲しいのだ。これはグランアゲート王国のみならず、他の四大王国まで巻き込む可能性が非常に高い」
「なんて???」
思わず素で呟いてしまうザックスの目は死んでいた。ベリアスは溜息を吐きつつ、ザックスへと説明を続ける。
「既にラトナラジュ王国ではそのために動き出している。近々、アイアンウィル家にもグランアゲート王国とラトナラジュ王国連名での協力を申し出る書状が届く筈だ」
「どうして???」
「あの馬鹿がやらかした結果だ」
「どぉうぅしぃてぇ……?」
よろよろと身体を震わせながらザックスの身体がテーブルの上に沈んだ。その様を見たベリアスとラッセルは哀れみの視線をザックスに向けるしかなかった。
尚、数日後に領地で仕事に励んでいた父であるクレイもザックスと同じように崩れ落ちることになったが、あくまで余談である。
「今回の件で改めて悟ったのだ。アレは手綱を握ろうが、手綱ごと人を蹴散らしていく暴れ馬だということがな。しかも明後日の方向へと突き進む上、そこに利益があると思わせるのが始末が悪い。ましてや女神のお墨付きでもある。ならば、最早走らせる前提で道を整えられる人材を確保した方が良いと決心したのだ」
「……それで私ですか?」
「カテナからチラッと聞いたことがあるが……爵位返上などと考えてくれるなよ?」
逃がさねぇからな? と言わんばかりの眼光にザックスは苦虫を口いっぱいに噛み潰したような表情を浮かべるしかなかった。
これは絶対に逃げられない。ここに呼び出された時点で、そしてあの愚妹がやらかした段階でザックスの逃げ場は完全に潰され、包囲網が完成していたのだった。
「勿論、これは交渉だ。貴様には俺の傍で働いて貰う以上、領地の経営なども代理を立てなければならないだろう。王家としてはアイアンウィル男爵領は評判も良く、このまま安定した治政を続けて貰いたいと思っている。その為の人材を派遣することも厭わない」
「それは、なんというかありがたい申し出ですね……」
「貴様にはあの男爵領では狭すぎるであろう。なんだったら国庫という財布を預からせてやっても良いとさえ考えているが……そればかりはお前が望まれた時か、お前が望んだ時だな。俺の一存ではまだそこまで手は伸びない」
「いやぁ、私はあくまで補佐ぐらいの気持ちでいられたら十分ですよ」
「そして、出来れば貴様の婚姻についてもこちらから援助させて欲しいと思っている。別にまだ特定の相手を決めている訳ではないだろう?」
「……そっちの話までするんです?」
確かにザックスは別に意中の相手もいなければ、婚約者がいる訳でもない。しかし下級貴族や平民の特待生の同級生や後輩からは熱い視線を向けられることがあるのは本人も自覚していた。
とはいえ、ザックスの求める女性の理想像にはいまいち当て嵌まらなかったので、色恋沙汰はまだ落ち着いてからでも良いかと思っていた。
最悪、家を出て平民になることも視野に入れていたからというのもあるが、とにかくそっちの方面ではザックスには何の進展もない状態だ。
「下手な相手と結婚して勢力争いに巻き込まれるのはお前とて不本意だろう」
「それは……まぁ、確かに」
「なので、見合いの場を用意することも増えるだろう。どうする? 家経由で把握していた方がいいのか、それとも個人的に縁が出来てから家に報せた方がいいのか……」
「では、個人で縁が出来てからでも構いませんか? ……必ずしも結婚しろという話ではないですよね?」
「無論だ。だが、ただでさえカテナのせいでややこしくなっているのではないか?」
「……その一言、大分効きますね」
実際、そういった面はある。特に上位貴族からのちょっかいが増えていて、割と面倒に思っていた所である。
鬼気すら感じさせるザックスの表情にやや引き気味な表情を浮かべながら、ベリアスは咳払いをしつつ言った。
「これも貴様のためと言うと押し付けがましい気はするが……出来るだけ、希望に添った相手との縁を結んで欲しいと思っている。どうだろうか? 俺の下で働く気になってくれただろうか?」
「どの道、逃がすつもりもないでしょうに。……わかりました。婚姻の件はともかく、貴方の下で働くという名誉を賜りたく思います、ベリアス殿下」
「感謝する、ザックス」
わざわざ席を立って握手を求めて来たベリアスに、ザックスは溜息を吐きながら自分も立ち上がって握手を交わすのであった。
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