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19:夢の先で、いつかまた

 ――最後に一目だけ母親に会わせて欲しい。


 概ねハーディン殿下たちの申し出を飲んだシエラだったけど、せめてものワガママということで申し出ていた。

 ハーディン殿下たちは複雑な表情を浮かべたものの、本人が望むならということで面会を許してくれた。


「すいません、カテナさん。付いてきて貰っていいですか?」

「うん、付き合うよ」


 シエラが私の同行を望んだので一緒に付いていく。

 シエラの母親が寝かされているのは後宮の一室。王城と同じく煌びやかな装飾で飾られた後宮。ここがシエラが育った場所なのだと思うと複雑な思いに駆られる。

 そんな私に気付いたのか、シエラは寂しさを込めた苦笑を浮かべた。


「見慣れるという程見ていた訳ではないんですよ、ここの景色も。基本的に部屋にいましたから」

「……それはそれで聞いてて反応に困るんだけどね」


 案内をしてくれているメイドさんの後ろを進み、案内された部屋へと通る。

 シエラの希望で中での会話は聞かないで欲しいということで、メイドさんにも少し離れた場所で待機して貰うようにお願いしていた。

 それぐらいは許してくれるのか、それともハーディン殿下に言い含められていたのか。メイドさんは何も言わずに一礼をしていた。


 そんなメイドさんを尻目に入った部屋の中には大きなベッドがある。そこに一人の女性が寝かされていた。

 その姿は痩せ細り、実際の年齢よりも明らかに老いてしまったように感じてしまう。僅かに息遣いが聞こえてこなければ死んでいると錯覚してしまいそうだ。

 シエラと同じ色の薄紅色の髪には心労が祟ったのか、目立つ程の白髪が見えている。


「……こんなに小さい人でしたっけ」


 ぽつりと、特に感情も湧かないような声でシエラは呟いた。

 その表情はとても凪いでいる。喜びもなく、怒りもなく、悲しみもない。ただ淡々としたまま、シエラは母親へと手を伸ばして頬を撫でた。


「……ごめん、なさい」


 そんな中でシエラの母親が呻くように声を漏らす。目が覚めた訳ではないようで、悪夢に魘されるように眉を寄せながら軽く身を捩っている。

 何度か繰り返すようにごめんなさい、ごめんなさいとシエラの母親は呟く。シエラはそれを静かに見つめていた。


「……シャムシエラ」


 遂にシエラの母親の口からシエラの名が零れ落ちた。一緒に流れ落ちた涙がシエラの母親の思いを感じさせたと思ったのは私の願望なんだろうか。

 シエラは感情を揺らした様子もなく、母親の涙を指で拭う。その涙を掬った指を口付けるように口元に運んだ。


「……謝られても困ります。許したいなんて思ったこと、ないんですから」

「シエラ……」

「怒ってないですし、憎んでもいません。許すも何もありません。この人は私に必要なことを与えてくれた。私はそれを受け取って、願いを叶えた。ただそれだけです。それだけの話なんです」


 シエラはそう言って困ったように笑う。しかし、それも一瞬だった。

 表情を引き締めてからシエラは私を見つめる。自然と私の背筋が伸びてしまう程の真っ直ぐな視線だった。


「カテナさん。私と同じように薬の影響、断ち切って貰えますか?」

「……シエラ?」

「この人はもう十分苦しみました。私と会うことは二度とないでしょう。だから最後の置き土産でもしていこうかと」

「でも、そうしたら死んじゃうかもしれないよ? 身体が衰弱してるんだ、薬の影響が抜けて正気に戻っても……」

「考えがあってカテナさんに付いてきて貰ったんです。……大丈夫です、復讐なんてもう考えてませんから」

「……良いんだね?」

「お願いします」


 シエラの強く真っ直ぐな言葉に私は一瞬迷ったけど、頷いてから天照を抜いた。

 一人分の影響を断ち切るなら敢えて他所から魔力を束ねる必要はない。ほんの一瞬、淡く白く輝いた刃を触れるかどうか、という距離で振る。


 シエラの母親の身体を蝕む澱んだ魔力が切り払った部分から霧散していくように散っていく。

 悪夢に魘されるように眉を寄せていたシエラの母親は力を抜いた。けれど、異常を断ち切っても魔力の流れが正常に戻ったとは感じられない。

 それだけ体力が落ちているのだ。このまま意識が戻らなければ衰弱死だって有り得る。


「……カテナさん、内緒にしてくださいね?」

「シエラ?」


 シエラが一度目を伏せて、何度か深呼吸する。目を開くと、シエラの変色してしまった真紅の瞳に魔力が集束しているのがわかった。

 通常のシエラの魔力ではなく、魔族としてのシエラの魔力へと変じていく。そのままシエラはベッドの傍で跪くように膝をつき、母親の手を握る。


「――〝リカバー〟」


 淡い光がシエラの身体から浮かび、シエラの母親へと伝播していく。

 シエラの母親から感じていた魔力の異常な流れが正されて、窶れていた顔も心なしか改善されたように思える。

 その光景に私は息が止まってしまいそうになっていた。これって、まさか……。


「……治癒の魔法?」

「……はい、これで衰弱するということもないでしょう」

「シエラ、治癒の魔法なんて使えたっけ……?」


 私の問いかけにシエラは首を左右に振った。それが何よりの答えだった。


「どうして魔族の力で治癒が使えるの……!?」

「それが魔族の力だからでしょうね。……いらっしゃるんですよね、ヴィズリル様?」


 不意にシエラがヴィズリル様の名を呼んだ。すると、天照からミニリル様が姿を見せた。


「……我が名を呼ぶか、魔神の子よ」

「はい。ヴィズリル様、魔法とは、その大元は魔族の力の模倣なのではないですか? 治癒は基礎となる四大属性に含まれたものでも、そこから派生した亜種に含まれるものでもなく、もっと大元の基盤になるもの。違いますか?」

「……我には〝答える権限〟がないな」


 シエラの問いにミニリル様はそのように返答した。それは実質は答えを言っているようなものだと私は既に知ってしまっている。


「神子が魔族と同じ成り立ちで、違うのは加護という形式で力を授かっている点だって言ってたわよね? それで治癒の属性が魔法の基盤ってどういうこと?」

「カテナさん、魔族は魔力で自分の身体を変質させられます。変質させられるということは、異常を正常に戻すことだって出来ます」

「否定しない。治癒は亜種ではなく、魔法の基盤となる大元に干渉する力なのは正しい」

「じゃあ、魔法という法則の大元を作ったのも魔神なのではありませんか?」


 シエラは再びミニリル様に問いかける。ミニリル様は目を細めてシエラの顔を見つめていたけれど、溜息を吐くように返答した。


「〝答えられない〟な」

「そうですか、ありがとうございます。これで確信出来たようなものですから」

「……何を確信したの? シエラ」

「私たちの魔法に当て嵌めるのなら、魔神の司る属性と言うべきものです。アーリエ様が火を司るように、魔神もまた司るものがある。子となった私だから理解出来ます」

「魔神が司る属性……?」

「喩えるなら、それは〝生命〟です。魔神が司るのは生きるための力、根源そのものです。魔神は生命を肯定する。だからとても優しくて、甘くて、それでいて猛毒なんです。魔族は魔神の優しくて甘い毒に侵されてるんです、だからおかしくなる」


 生命が望むままにあることを肯定する力で、甘くて優しい猛毒。私の中ですとんとシエラの言葉が嵌まったような気がする。


「魔族としての力は私の中に残っています。けれど、治癒が魔神の司る力に近いと知られれば人に動揺を与えてしまうでしょう。魔神は人の敵ではありますけれど、人に敵意を抱いている神ではないんです。でも、そんなの知る必要はありません」

「……人に敵意を抱いている訳じゃない? じゃあ、なんで魔族は人を襲うの?」

「生きることを何でも肯定されるということは、何をしても良いと錯覚させられるのです。今、私が復讐したいと思っても理性が歯止めをかけます。魔神の囁きはその理性を溶かしてしまう。それは紛れもない悪ですけど……」


 シエラは一度、唇を引き結ぶ。言葉を迷うように間を置いてから、絞り出すように言った。


「それで私が救われてしまったのも、誘惑に負けてしまったのも事実です」

「……シエラ」

「今は魔神の囁きも聞こえませんし、聞こえても頷くつもりもありません。……でも、やっぱりナハラ様の言う通りだと思うんです。もうそうならないと誓っても、可能性があることを否定出来ないのであれば、時には最善を選んで切り捨てられても仕方ないんだって」


 シエラは泣き笑いのような表情を浮かべて私を見る。まるで乞い願うように、彼女は願いを口にした。


「カテナさん。もし、私がまた魔神の囁きに乗ってしまったら、その時は今度こそ、私を――」

「――私の答えは何を聞かされても、何を言われても変わらない」


 シエラの肩に手を置いて、目線を合わせるように屈んでから言ってやる。


「何度でもシエラを諦めない。私は君を助けるよ」


 シエラの瞳が揺れて、あぁ、と声が漏れると共に涙が落ちていく。

 たった一滴の零れた思いだったけど、シエラは泣き笑いの表情のまま目を閉じた。


「……本当に、貴方は酷い人です」


 シエラはそう言ってから母親の方へ視線を向けた。静かに寝息を立てている母親に穏やかに微笑みかけながらこう言った。


「……母上、安心してください。もう貴方の娘は、標になる光を見つけましたから」


 ――だから、良い夢を。

 祈るような言葉を残して、シエラはゆっくりと立ち上がる。もう満足だと言わんばかりに母親に背を向けて歩くシエラに私は一歩遅れてしまう。

 ミニリル様もちらりと私を見てから天照の中に戻るように姿を消した。そして、私は最後にシエラの母親へと振り返る。

 シエラはただ良い夢を、と言った。なら、私が思うことはただ一つ。


「――いつか、また。夢の続きで」


 今度は、貴方の娘の友人だと名乗れる日がくれば良い。貴方と、貴方の娘の前で。

 娘としての立場も、縁も、未来の可能性も。それを全てシエラはここに置いていくつもりなんだろう。でも、良い夢をと望むならそんな日を願っても良いだろう。



 ――夢は、望んだものこそ見たいと思うものなのだから。



今回の更新で第三章は終了となります。ここまでお読み頂いてありがとうございました。

次回の更新は暫くお休みを頂いてからになると思います。面白いと思って頂けたらブックマークや評価ポイントを入れてくださると嬉しいです!

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