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13:だから、これは私のワガママだ

2021/10/18 改稿

「やぁ、シエラ。思ったより遅かったね。姿を隠しながら国境を抜けるのは手間取った?」

「いえ、そうでもありませんでした。夜闇に紛れれば空を抜けられますので」

 再会して最初に交わした言葉は、こうなってしまう前のいつもやり取りのように。

「それにしては随分と時間がかかったね」

「国を見て回ってました」

「ラトナラジュ王国を?」

「えぇ」


 シエラは私から視線を逸らして、夜闇が混じり合う地平線を見つめる。

 その横顔にやっぱり感情は何一つ浮かんでいなくて、夜の寒さにも似た冷ややかさがあった。


「国を見て回ったことなんてなかったですから。だから実際に見て、感じて、素直に何を思うのか確かめたくて」

「そっか。どうだった?」

「――何一つ、私を思い留まらせてくれそうなものはありませんでした」


 ゾッとするような低い声でシエラは言い切った。何もなかった、と。


「何か一つでも心を動かしてくれるものがあれば、と思いました。でも、この国は貧しくて、人は皆、暗い顔を浮かべていて、身体を売らなければ生きていけない人もいて。それなのに富み栄える人は今夜だって享楽に耽っているでしょうね。同じ人なのに何が違うんでしょう?」


 自嘲するようにシエラは呟いて、儚げな微笑を浮かべながら月を見上げた。


「わかりますよ。民と王族や貴族は違うって。母親の下にいた時は苦しくて、辛くて、死んでしまいたくても、餓えたことも寒さに震えたこともありませんでしたから」

「シエラ……」

「この国の幸せは奪うことでしか成り立たない。奪って、奪われて、幸せな人と不幸な人がいることで象られてる。グランアゲート王国とは全然違いました。――だからこんな国、ちっとも惜しくならなかった」


 月から私へと視線を戻したシエラの瞳は、あの異形の形を取り戻しつつあった。

 でも、そこに熱狂はない。あるのはどこまでも冷徹に凍り付いた憎悪。


「何も私の悲しみを癒やしてくれなかった。何も私の憎しみに歯止めをかけてくれない。こんな国の王族に生まれて良かったことなんて何一つなかった。この国に価値なんてなかったんです」

「……だから壊すの?」

「こんな国がある限り、誰かが悲しむ。カテナさんだって巻き込まれた。貴方が解決出来ても次の人は? そうやって人を食い潰して、自分さえ良ければ良くて、同じ人でも身分で括って虐げる。醜くて、浅ましくて、嫌になるんです。だったら……良いですよね?」


 その確認は、一体何のための確認だったのか。シエラの気がゆらりと立ち上る。

 仄暗く、冷たくて、重苦しい負の感情。憎くて、悲しくて、切なくて、苦しくて。そんな感情が詰め込まれている。


「カテナさんがここで平然としてるってことは……王城で何かありましたか?」

「国王が……シエラの父親が失脚したよ。今はハーディン殿下が中心になって政権交代と国の立て直しの準備をしてる」

「カテナさんはどこまでも正しい人ですね。本当に正しくて、眩しくて、ずっと憧れていたかったです」


 シエラは寂しげに微笑んだ。けれど、その微笑みも一瞬にして凍結した。どろりと濁った瞳が私を睨め付ける。


「――そんなに正しいなら、もっと早く正して欲しかった。私がこうなる前に。私が止まれなくなる前に。そうしたら……この手を汚さなくて済んだのに。もう遅いんです、正しいからって許せないんです。きっと、きっとこれから良くなるんでしょう。貴方が行動を起こした結果なら! でも、今更そんなの受け入れられない!」


 堪えられないと言わんばかりにシエラは叫ぶ。歯を噛み締め、今にも弾け飛びそうな感情を抱き締めて抑え込むように。


「邪魔をしないで……! カテナさんまで殺したくなるから……! 私はこの国が、私を生んだ国が、ラトナラジュ王国が憎い! 壊して、無くして、消えるまでずっと許せない!」


 シエラの懇願にも似た叫びを聞いて、私は一度目を伏せる。

 息を大きく吸い込めば、夜の冷たい空気が入り込んでくる。それを熱を込めた吐息に変えて――天照に手を添えた。


「シエラの思いは間違ってない。だから憎んじゃダメなんて綺麗事は言わない。でも、それでもダメだ。貴方にこれ以上、手を汚させない」

「……どうして、邪魔するんですか? どうして……!」

「私だってこの国は嫌いだよ。シエラを苦しめた人たちだって許せない。でも、自分の手で裁いたらずっとこびり付くんだ。命が、その人の思いが、呪いになってずっと逃られなくなる」

「……そんなの、言われなくたってわかってます……!」


 手を震わせて、何度も握り直しながらシエラが堪えるような声で呻く。


「アシュガル兄上の感触がずっと、残ってる。死んで当然で、許せなくて、ああなって当然だって思うのに……消えないの。命を奪った感触がずっと、ずっと……!」

「そうだね、命は消えない。誰かの中にずっと残り続けるんだ。どんな形でも私たちは命を背負って生きている。シエラはアシュガルの命を奪うことで背負ってしまった。それに潰されそうなのに、これ以上の命を背負わせる訳にはいかない」

「優しくしないでください! 私は、もう貴方と一緒にいられるような人間なんかじゃないんです! だったら好きに生きさせてください!」

「好きに生きれば良い。復讐がしたいならすればいい。さっきも言ったけど否定しないよ。シエラの憎しみは正しい。許せなくていい。死んで欲しいって呪っても構わない。だからシエラは好きに生きれば良い。――だから私も好きにする」


 天照を鞘から抜いて構える。月の光を反射して鈍く輝く刃が夜の闇の中で煌めいた。その煌めきを見たシエラが一瞬、怯えたように震えたような気がした。


「一緒に帰ろう、シエラ。また学院に通おうよ。リルヒルテやレノアとお茶会をして、研究室の皆と色んなものを作ろう。憎い過去なんて構ってられない程に楽しくて、ここにいたいって思う日々を積み重ねていこう」


 シエラの極限まで見開かれた瞳が私を映す。その瞳から涙が落ちていく。一つ、二つ、溢れた涙は止まらない。


「私に……もう、そんな資格なんて……」

「誰が許さなくても私がシエラを許す。悪いことをしたなら、もう二度とするなって私が叱るから。一緒に生きて、一緒に悩んで、もう貴方を間違わせないから」

「……どうして?」

「約束したから。シエラがどんなに間違っても見守るって。だから私は私のワガママで貴方を取り返しにここまで来た」


 シエラは耳を塞ぐように頭を抱えて、いやいやと子共がするように首を左右に振る。


「私に、そんな価値なんて」

「これは私のワガママだから」

「この憎しみを捨てる事も出来ないのに」

「捨てなくていい。したければ復讐すれば良い。全部、私が横からビンタしてでも止めるけど」

「許せないまま、生きろって言うんですか?」

「それもシエラの一部だ。でも、ただの一部だ。それがシエラの全てじゃない。私たちと一緒に笑い合った思い出を憎しみ如きに奪われるなんて冗談じゃない!」


 耳を塞がれても、この声と思いが届けと言うように私は叫ぶ。


「シエラを苦しめた過去は私が終わらせた。貴方を苦しめる国も、王様も、もう何も残らなくなる。これから生きていける時間はそんな過去よりもずっと長くて、苦しんだ分よりも、それに勝るだけ幸せになれる! なっていい! なるんだよ! ――だから一緒に帰ろう、シエラ!」


 私の叫びにシエラは頭を抱えたまま、背筋を仰け反らせるように上を向いた。

 頭を抱えたまま、シエラが叫んだ。ついに決壊した感情が溢れ出て、彼女の周囲を渦巻く力へと変わっていく。


「……酷い人。本当に、酷い人です」


 怒っているのか、笑っているのか、泣いているのか。もう、どんな表情だと言えば良いのかわからない。

 感情の全てを剥き出しにして、シエラは牙を剥くように歯を見せながら吼えた。



「――どうしても邪魔をするって言うなら……もう、私だって我慢しないからぁッ!」

「――それでいいよ。シエラが叫んで、泣いて、疲れて果てるまで! 付き合ってあげるからッ!」



 シエラの放った魔法と私の振り抜いた天照の一閃がぶつかり合って、空気が弾けるような炸裂音が響き渡った。

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