10:王族の矜持と責務
2021/06/20 改稿
アーリエ様が突きつけた言葉に誰もが言葉を失い、嫌な沈黙が広がっていく。
それは絶縁宣言にも等しい。神の神子を開祖とする国が神によって自らの子でないと証言されてしまった。
とんでもない事だと言うのはわかる。とても良くない事だ。けれど、そこまでしか私には想像出来なかった。
「……予想外だ。こんな、まさかここまでとは」
「ベリアス殿下……」
「神との縁を絶たれた王族に、ここまで国を腐敗させた者たちに民は従わん。これでは民が反乱を起こした所で止める理由が……」
ベリアス殿下の呟きが聞こえていたのか、ラトナラジュ王国の人たちは震え上がった。
その姿をベリアス殿下は蔑みと苦渋を混ぜ合わせた目で見つめた。ラッセル様もこれでもかと言わんばかりに悩ましげに眉を寄せていた。
ラトナラジュ王国は自ら衰退させていた国にトドメを刺したにも等しい。じわじわと不安が私の心に浮かび上がってくる。
「……ねぇ、ヴィズリル様。神の加護を失うってどんな影響が出るの?」
「神の恩恵は人の能力を強める。ただの人よりは才を授かりやすいということだな。アーリエが恩恵を与えぬと宣言したのであれば、それが失われていくだろうが……それも今更ではないか?」
「そうかもしれないけど、でもラトナラジュ王国の民には何の責任もないでしょ」
「それはそうだ。それでお前はどうしたいというのだ? カテナ」
ヴィズリル様が私を真っ直ぐに見つめながら問いかける。その問いに私は口を閉ざしてしまう。
このままじゃラトナラジュ王国の民が可哀想だとは思う。だけど、どうしたいと言われても漠然としすぎて何も浮かばない。
このままでは良いとは思わない。だけど、ただ救いたいと言うだけじゃダメだって事もわかる。でもつい口に出してしまう。
「このままじゃたくさんの人が死ぬかもしれない」
「あぁ、そうだな。……それで?」
「それで、って……」
「お前が背負うのか? その運命を。お前に関わりのない人間を、本来は責任を果たす必要のない人を救いたいと? どうなのだ、カテナ」
「でもっ!」
「やめろ、カテナ」
淡々と告げるヴィズリル様に食い下がろうとした私を止めたのはベリアス殿下だった。
ベリアス殿下は私の肩を掴んで、一歩後ろに下がらせる。そしてベリアス殿下の視線が私を真っ直ぐ射貫く。
「ベリアス殿下……」
「お前はこれ以上、踏み込むな。ここからは国を統べる者が片付けなければならない話だ。でなければお前が引き返せなくなる」
「でも、私がアーリエ様に絶縁を突きつけさせてしまったから……」
「そんなの、そもそもがラトナラジュ王族の責任だ。お前はただ神と人の間に立ち、対話の機会を用意しただけだ。そこに何の責任もない。どの道、何らかの形で現王家は遅かれ早かれ崩壊していただろう。だからお前が背負うべきものなどないのだ」
ベリアス殿下が私を下がらせるように肩を引き、代わりに前に出てラトナラジュ国王の前に進み出る。
ラトナラジュ国王はその場で蹲って震えてしまっていた。妻たちは泣き出している者や、震えながら頭を抱えている者もいる。
臣下たちも似たようなものだ。ただ神を前にして恐れ、震えることしか出来ていない。
「……ラトナラジュ国王よ。既に貴殿に王たる資格は失われた。ならば、その玉座を明け渡せ」
「何……?」
「それが王であるという責任だ。民や臣下が貴殿らにどのような罰を与えるかはわからん。だが、最後ぐらい王族の矜持を見せるが良い」
「それは……わ、私に死ねと言うのか……?」
「……それを民や臣下が望むなら、そうするべきだろう」
「嫌よ! どうして私たちが死ななければならないの! 私たちは王族なのよ!」
「――戯けが! 王族だからであろうがッ!!」
アシュガルの母親が狂ったように叫び散らそうとする。その声を掻き消す勢いでベリアス殿下が吼えた。
けれど、それに負けじと更にアシュガルの母親が叫び返す。
「誰が望んでなったと思うの……? こんな男に抱かれて、子を授かって! 逆らったり、王族から抜けようとすればどうなると思ってるの!? それなのに王族の責任を全うしろって!? 巫山戯ないで、この国の人間でもない貴方が何を語ると言うの!?」
流石にその言葉には、ベリアス殿下も眉を顰めるだけで何も言えないようだった。
もし、彼女の言っている事が本当なら。アシュガルの母親もまた、歪んでしまった王国の仕組みに苦しめられた人なのかもしれない。
「神器が継承出来ない国王なんて、えぇ、そんなのが知られればこの国は終わりよ! それでもこの男がこの国の王だったのよ! ラトナラジュでは王が絶対よ、だから、だから私はアシュガルを、あの子を王にしなければならなかったのよ!」
頭を抱えるようにして、アシュガルの母親は叫ぶ。その狂乱しきった様に他の妻たちが距離を取る。
ラトナラジュ国王はアシュガルの母親へと視線を向けるも、力なく項垂れた。
「あぁ、アシュガル……! あの子だけが私の希望だった、あの子こそが本当の私の王様だった! あの子が王にさえなれば、私は幸せだったのに! あの子が私の理想の子だった、そうよ、私の理想なら私を救わないといけないのに、何をやっているのよ、あの子は! どうして、なんで! 私の子供なのに! 育ててあげたのに!」
髪を何度も掻き混ぜ、アシュガルの母親は怨嗟を叫んでいる。もう正気とはとても思えない。だからこそ、零れ出た思いに怖気が走った。
「そうよ……お前が殺したのよ! カテナ・アイアンウィル! お前さえ、お前なんかいなければ! あの忌々しい女の娘も、アシュガルを手にかけなかった! 全部、お前のせいよ! なら責任を取りなさいよ! この国が間違っているというのなら、正しいものを教えなさいよ!」
「貴様……この後に及んでまだ、そのような事を!」
ベリアス殿下が私に向けられる言葉に激昂し、怒声を上げようとする。しかし、そこで割り込むように声が聞こえてきた。
「――ベリアス殿下、そこから先は私が引き継ごう。貴方も言った通り、ここから先の責任を背負うべき人は私たちであるべきなのだから」
ベリアス殿下を諫めるように言いながら謁見の間に入ってきたのはたハーディン殿下だった。
ハーディン殿下の傍にはナハラ様を始めとして、比較的若い人たちが付き従っている。そんなハーディン殿下の姿を見て、ラトナラジュ国王は気力が抜け落ちたような声でその名を呼ぶ。
「……ハーディン……」
「お客人の話を聞いてからこうなる事は予想していました。なので途中から耳を仕込ませて頂きましたが……自分が思っていたよりも父上たちが隠していた秘密はとんでもない事で驚きを隠せません」
沈痛な表情で首を左右に振りながらハーディン殿下は言う。父親である国王を見つめる彼の瞳はどこまでも静かに凪いでいた。
「貴方は自分が死んだ後のことなどどうでも良かったのでしょう。自分が死ぬまでに生き繋がせるための王と家臣がいれば良かった。だから私とて貴方の駒の一つだった。ですが、それも今日までとさせて頂きましょう」
「……私を……殺すか?」
「それを決めるのはこれからの国です。私ではありません。私もラトナラジュ王族の一員です。それで裁かれるならば私も民の意思に身を委ねましょう。……拘束しろ」
ハーディン殿下の指示でラトナラジュ国王とその妻、臣下たちが捕らわれていく。アシュガルの母親のように最後まで抵抗して叫んでいた人もいたけれど、全員が拘束されて謁見の間から連れ出されていく。
「離して……離しなさいよ! 何故私を拘束するの! 拘束されるべきは、あの娘よ! 次の国王になる筈だった、私の息子を殺したあの娘よ! 神子を詐称する罪人だわ! 何故、誰も私の言葉に耳を傾けないの! あぁ、アシュガル! アシュガルはどこ! アシュガル! 私を助けなさい、早く! どうして、アシュガル――ッ!!」
……そして、最後までアシュガルの母親は妄念に囚われたまま叫び続けていた。その声が聞こえなくなったので、私はゆっくりと体から力を抜いた。
「……申し訳ありませんでした、カテナ嬢」
「……いえ。私がアシュガル殿下の死の遠因となったのは事実ですから」
「それでも貴方は責められるべきではないと思います。……責められるべきは、長年の腐敗を黙認し続けてきた我が王家だ」
残ったのはハーディン殿下とナハラ様だけだ。ハーディン殿下は王が不在の玉座を遠くを見つめるような視線を送り、そんな彼に寄りそうようにナハラ様が隣に立つ。
「……これで終わったのです。もっと早く、と思わずにはいられませんが」
「ハーディン殿下……」
「……アーリエ様、どうか私の言葉に耳を傾けて頂けないでしょうか?」
ハーディン殿下は未だ、私たちの傍にいたアーリエ様へと視線を向けた。アーリエ様は特に気にした様子もなく頷く。
『聞きましょう、若きラトナラジュの子よ』
「此度の失墜、全て我らが王族の責任です。既に恩恵を授かる立場にない私どもですが、どうか願わせて頂きたい。せめて民からは何も奪わずに願いたいのです」
ハーディン殿下はアーリエ様の前で跪き、深く頭を下げて懇願した。続くようにしてナハラ様も跪き、頭を下げる。
『……ご安心なさい。個人の信仰と、それに見合った恩恵が失われることはないでしょう。元より人にとって神も、神の恩恵もただそこにあるものでしかありません。それをどう活用するかは人の意志に委ねています』
「……では、我らが王族として再び貴方の子として返り咲くことは叶うのでしょうか?」
『いいえ、私の愛したラトナラジュは失われた。それは覆せない事実です。ラトナラジュの子、貴方たちはこれから神の標なき道を行くのです。そこに私の名は必要ありません。どれだけ貴方たちが求めた所で、そこに私が望んだ貴方たちの姿はないのです。個人はともかく、その血筋に私の名が連なることはないでしょう』
ハーディン殿下が跪きながらも強く拳を握り締めているのがわかった。けれど、ふっとその力を抜いてゆっくりと顔を上げた。
ハーディン殿下が顔を上げたのはナハラ様が彼の手を強く握ったからだ。ナハラ様はハーディン殿下に微笑みかけた後、立ち上がってアーリエ様へと向き合った。
「アーリエ様、こうして御身の姿を拝見出来たことを誉れに思う。私はプラーナ様の神子の系譜なれど、神を敬う気持ちに差はない。その上で義父上殿、いや、それ以前からの腐敗であったか。とにかく私たちは貴方の子を名乗る資格は失われたということだな?」
『えぇ。見放したのは貴方たちですが』
「それは否定出来ないな! であれば、仕方ない。神が導こうとも、そうでなかろうとも人は生きていかなければならないのだからな!」
それはいっそ清々しいまでの開き直りだった。ナハラ様の調子にハーディン殿下も引き摺られたように笑みを浮かべている。
アーリエ様はそんな二人を見て優しく微笑んでいる。そして、私の隣にいたヴィズリル様は逆に苦々しい顔を浮かべた。
「……見事にプラーナの子を体現したような奴だな」
「えっ、プラーナ様ってあんな感じなの?」
『自由で思い切りが良くて、何も考えないし抱え込まない。まさに風と自由を司る神よ。ヴィズリルもプラーナは苦手なのよね』
「……ふん」
アーリエ様がクスクスと笑いながら言うと、ヴィズリル様が忌々しげに鼻を鳴らした。
和やかな空気が流れ始めたけれど、別に何も解決した訳じゃない。ラトナラジュ王族は今後、アーリエ様の神子と名乗る資格を失った。
個人には寄りそうとは言ってるものの、神の恩恵が失われた王族の先行きは決して明るいものとは言えない。
(……本当にこれで終わりでいいの? これで解決したと言っていいの?)
そう思っていると、神妙な表情を浮かべたベリアス殿下がハーディン殿下の下へ進み出ていた。
「……ハーディン殿下」
「ベリアス殿下、そんな顔をするな。これは我らが負うべき責務なのだから。グランアゲート王国には援助までして頂き、本当に感謝している」
「……これから大丈夫なのか?」
「率直に言えば厳しいな。神の恩恵が失われた王族にどれだけ人が従ってくれるか。最早、私たちは戻れぬ道へと進んでしまった。国が残るかも正直な所、自信はない」
悩ましげではあるものの、どこか晴れやかな表情でハーディン殿下は言う。
「……ナハラがいなければこうは思えなかっただろう。どんな状況であろうとも風は吹くのだとな」
「あぁ、その通りだとも。それが逆風の中であっても、その道しかないのなら進むしかない。生きるとはそういう事だ」
ハーディン殿下に寄り添いながらナハラ様が言う。そんなナハラ様をハーディン殿下も慈しむように肩に手を添えている。
……そんな姿を見て、やっぱりやるせなくなる。これから二人が歩む道の過酷さを思えば何か出来ないかと考えてしまう。
だけど、ヴィズリル様やベリアス殿下が言った通りだ。それは私が背負える責任じゃない。助けたいと思っても私には国を導くことなんて出来ない。
ただ、私に出来るのはこうして神との間に立つことだけで――。
「……神との間に、立つ?」
ふと、私は視線を下げる。腰には鞘に収められた天照が目に入って――。
「――こ、これだぁ!」
「うぉ、な、なんだ?」
「カテナ室長?」
「ハーディン殿下! 神器、神器ですよ!」
「は? 神器が何だと?」
突然叫び始めた私にその場にいる人たちは呆気取られたように目を丸くする。
それを気にしている暇はなく、私はアーリエ様へと視線を向ける。
「アーリエ様! ラトナラジュ王族はアーリエ様の神器を引き継げなかった。つまり神子の系譜を名乗る資格を失っていた、そうですよね?」
『えぇ、そうね』
「例えば、仮にハーディン殿下が神器を継承出来たとしても、それはあくまでハーディン殿下とアーリエ様の個別の繋がりであって血筋全体ではない、ですよね?」
『そうなるわね?』
「わかりました! 継承が上手くいけば、それはそれでも良いんですけど……そっちがダメでも、この方法なら大義名分も出来るし、国として事業にも出来て、立場を再建することが出来るかもしれません!」
「カテナ嬢、貴方は一体何を……」
「だから、神器ですよ!」
「――神から授かった神器じゃなくて、ラトナラジュ王国がアーリエ様に捧げるための神器を生み出せば良いんです! 神から人ではなく、人から神へ! 新たな繋がりとして、もう一度神に認められるために! それを新しいラトナラジュ王国として始めるんです!」
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