24:女神の語る可能性
シエラが巻き起こした騒動は、結果的に学院の一部分が火事になりかけただけ、犠牲者はアシュガルのみで終わっていた。
これは現場にすぐ私が駆けつけ、更にリルヒルテとレノアが素早く避難指示を周知してくれたから抑えられた被害だった。
アシュガルは結局、遺体が炎に焼かれて無惨な姿になってしまった。彼の遺品を調べてみても、シエラが言っていた薬に繋がりそうな証拠も残ってなかったそうだ。
『その薬というのは幻惑の魔法じみたものをかける代物なのやもしれん。現物を見ないことにはわからんが、あの娘が錯乱していたのもこの薬が原因だろう。意のままに操る、というのも魔法との組み合わせによるものなのかもな。どの道、悪辣には変わらんが』
ミニリル様曰く、そのようなことを言っていた。そんな薬は見たことも聞いたこともないという話になったので、ラトナラジュ王国によって秘匿された薬なのではないかという話に落ち着いた。
そして……姿を消したシエラについて。
彼女については単にアシュガルに薬を盛られ、錯乱した果てにアシュガルを殺害して逃亡したということだけが事実として周知されることになった。
シエラが魔族化したことを知っているのは王族の方々と、現場を見ていたリルヒルテとレノアにだけ事実が伝えられて伏せられることとなった。
『人が魔族化するなどと、広めて良い話ではない。魔族が魔神の加護で魔族へと変質したと言うのなら……それは、ある意味では神子と魔族は変わらない存在だということにもなりかねない』
ベリアス殿下は苦々しそう言った。
勿論、魔族は魔族だ。魔神を信奉している彼等がかつては同じ人間だったのだとしても、今は人間にとって災禍でしかない。
だけど、事実を知ってしまえば迷う人もいるかもしれない。そして自分がいつ魔族に堕ちるかもわからない。そんな情報を迂闊に広めることは許されない、と。
シエラはアシュガルを殺害した殺人犯として指名手配となった。そうするしかない、とイリディアム陛下に伝えられた。わかっていても、とてもじゃないけど飲み込めなかった。
アシュガルが引き起こしたことなのに、どうしてシエラがそんな目に遭わなきゃいけないのか。けれど、国同士の関係もある以上、そうするしかない。頭ではわかってる。ましてやシエラは魔族になってしまったのだ。情をかけられるような相手じゃない。
そして、私。
学院内であれだけの力を見せたのだ。遠くから見ていた人もいれば、それが噂となって私がシエラと交戦していたことはすぐに広がった。
ただ、それで私が神子だと思う所までは思い至らなかったようで実力を隠していた謎の生徒という認識になっている。
ただ勘の良い人は何か気付いた様子もあるらしく、暫く落ち着くまでは学院を休んだ方が良いというアドバイスをベリアス殿下にされた。
学院内の噂について調べてくれたのは兄様だった。今回ばかりは兄様も私を叱らず、ただ私が知りたいと思う情報を仕入れてくれた。
……そして、もう一つ。済ませておかなきゃいけない話があった。
「……人払いはしてありますよ。これで良いんですよね?」
誰もいない研究室。そこで私は呼びかけるようにそう言った。
彼女を呼び出すなら、それもしっかりと腹を割って話をするなら人目を避けられる研究室が一番都合が良かった。
少し待っていると、空間そのものが圧迫されたような気配が出現した。
「……ヴィズリル様」
私の呼びかけに対して、研究室に姿を見せたヴィズリル様は何も言葉を発しなかった。
睨み付けるように見ても、彼女は揺らがない。そのあまりの不動さに怒声を上げようとした所で、ヴィズリル様が口を開いた。
「我は、端末を通して全てを見ていた。カテナよ、お前の苦しみを決して理解していないとは言わない。そして、我は端末と違って禁則事項などは存在しない。その上で敢えて言おう。――我は、全てを語るつもりはない」
「――なんでッ!」
思わずヴィズリル様の胸元に掴みかかって私は吼えるように疑問をぶつける。
私に掴みかかられてもヴィズリル様はぴくりとも動かなかった。ただ私を静かに見下ろしている。
「……無論、語るべき必要があることは語ろう。だが、全ては明かさない。それは我の意志だ」
「それで納得しろって言うんですか?」
「納得しなくて良い。それで我を恨み、憎むならばそれで良い。その刃を突き立て、縁を絶ちたいと言われれば否とも言わない」
ヴィズリル様は私の肩に手を置きながら言った。その声はどこまでも冷静で、まるで窘められているような気分にすらなる。
私は突き放すようにヴィズリル様から手を離す。前髪を掴んで、息を整えるように深呼吸をする。
「……魔神って何なんですか? 魔族って何なんですか? 神って、何のためにいるんですか? なんでこんな理不尽なことが起きても、神様は何もしようとしないんですか? どれだけ貴方は答えてくれるんですか? ヴィズリル様」
「……そうだな」
一度、目を伏せるように閉じてからヴィズリル様は言葉を続けた。
「魔神は、我らとは袂を別った……元は同胞だ。故に魔族と神子が等しい存在かと言われれば、それも否定出来ない」
「……魔族は神子なんですか?」
「魔神の神子であり、そうではない。魔神の加護は人の形を失わせてしまう。心も人のものではなくなっていく。願い……そうだな、敢えて欲望と言おう。欲望の枷を外してしまうのが魔神のやり口だ。それは神子と似て、しかして異なるものだ。お前たちは魔族と同一などではない」
きっぱりと断言するようにヴィズリル様は言い切った。
加護を受けた子であるという意味においては、神子と魔族は同一であり。けれど、魔族とはあくまで欲望の枷を外して暴走するように仕向けられているとも取れる。
「魔族に対抗するために神である我らは神子を選定した。ある意味では魔族を元にして人が人でいられるまま、私たちの力を預かる代理人として選ばれたのが神子と言えるか」
「魔族が先……?」
「そうだ。神子は魔族と同じ成り立ちではあるが、むしろ……魔族と近いのは我ら、神の方だ」
少しだけ皮肉げな笑みを浮かべて、ヴィズリル様は遠くを見つめながら呟いた。
「だが神は魔族を、そして魔神を否定しなければならない。そして神々は人に加護を与えた。人が神の力を直接授かるのではなく、法則として神の力を利用出来るように。それが魔法だ」
「……それは一体何のために?」
「人を魔族の脅威から守り、魔族と同じ道を歩ませないために。人は神になど近づかなくて良いのだ。人らしく、人のまま生きれば良い」
「……じゃあ、神々は神子が生まれてくることさえ望んでないんですか?」
「それについては望む、望まないという話ではない。神子となるだけの素質を持った子は生まれてしまうものなのだ。だから、その存在まで疎んでいる訳ではない。どの道、今は魔神の脅威がある。抗うための力はどうしても必要だ。だが……神が干渉しすぎて世の理が狂ってしまえば魔神のやっていることと何ら変わらなくなってしまう」
「でも、魔神は元同胞だったんですよね? だったら、この問題って……」
「……あぁ、神同士で決着をつけろと言われれば否定も出来ん。それはわかっている。だが、確実に世界が焦土となるぞ? 神同士が争えばな」
ぞく、と背筋に悪寒が走った。ヴィズリル様だけでここまでの圧迫感を放つ存在だ。そんな神々が降りてきて、争いが勃発すれば世界がどうなってしまうのかも想像に容易い。
「……魔神とて世界の滅びを願っている訳ではない。アレは、ただ純粋すぎたのだ」
「……純粋?」
「神が地上を去るという話になった際、神が地上を去る必要などないと主張したのが魔神だ。皆が等しく神のようになれれば良いと主張し、神に近づけぬなら人間の選別を行えば良いと」
「選別……」
「だから我らは魔神を否定した。そして、魔神は神に近づく者として魔族を生みだし始めた。それ故に追放されたのだ。魔族に異形が含まれるのは神の力に適応しない者まで無理矢理適応させようとした結果だ。だから、どうあっても魔神のやり口は容認することは出来ない」
「でも、神々が直接戦えば……」
「世界は終わる。その後は……わからん。神の力を以てして世界が再生出来るのか。その間に人という種が生き残れるのか。だから我らは天に昇り、人に託すことを選んだ。それを神によって与えられた理不尽だと言うのなら、正統な訴えだ。お前たちには我らを憎む権利がある」
そこでヴィズリル様は柔らかく、それでいて達観したような微笑を浮かべた。
「我らが死後、眷属を迎えるのは、もしも人の世に神が不要になった時に我らを討てるようにするためでもある」
「……は? そんなことを考えてたんですか?」
「無論、そうはなるつもりはないがな。だが、永遠に変わらぬものなどない。世が変われば神々も不要とされる時代が来るやもしれん。その為の備えだ。無論、眷属として迎えるほどの功績を讃えるためでもあるがな」
「……あぁ、もう! 言いたいことが山ほどあったのに! そんな事を聞かされても、どうしたらいいのかわかりませんよ!」
私は頭を掻きむしって苛立ちに任せて叫んでしまった。
なんでそんな面倒なことになってるのか、まったくもって意味がわからない。
ただ、こうなった原因はとりあえず魔神にあることだけははっきりわかった。
「……でも、神子に魔神が滅ぼせるんですか? 魔神を滅ぼすほどに強くなったら結果的に神同士で争うのと一緒になるんじゃ?」
「それはない。お前たちは我らのような神に至ることはないだろう。どれだけ力を得ようとも、だ」
「どうしてですか?」
「……それは言えない」
思わずがっくりと肩を落としてしまう。そこが肝心な所ですよ!?
「……そうだな。敢えて天に昇った我らを古き神とするなら、今の人が神の領域に至ればそれは新たな神であり、我らとは別種となるのだ」
「……よくわかりませんけど、とりあえずそういうものなんだと理解しておきます。でも、いつか聞き出しますからね?」
「そうか。……そうだな、魔神を滅ぼせたら話して良いかもしれんな」
「どれだけ先になるんですかね……」
「案外、近いやもしれんぞ。何しろ、お前がいるからな」
「……はぁー、やっぱりそういう話になるんですね」
なんとなく察してはいたけど、受け止めたくない事実だった。自分でも私の得た力が魔族に対して天敵だということは認めていたけど。
……そうだ。それで確認しておきたいことがあったんだ。
「ヴィズリル様」
「なんだ?」
「魔族を人に戻すことは……どうあっても不可能ですか?」
真っ正面から私はヴィズリル様を見つめて問う。私がヴィズリル様に一番、聞きたかったことだった。
私の問いを受けてヴィズリル様は黙った。そして、無言のまま手を翳すように伸ばした。
「……その問いに答えるならば、まず先にこれを見せるべきだな。――来たれ、〝ティルヴィング〟」
ヴィズリル様の手の中に現れたのは、僅かに反りの入った曲剣だ。美しい黄金の柄をしていて、思わず見惚れてしまいそうになる。
けれど、同時に背筋が冷えてしまいそうな圧のようなものを感じてしまう。
「これが我の神器だ。お前の刀……天照とは似て異なる性質を秘めている」
「似て異なる……?」
「――〝魔を滅ぼす〟」
端的に伝えられて、私は深く納得した。親しみが湧くのと同時に背筋が冷えてしまいそうな悪寒を覚えるのは、この似て異なる特性のせいだろう。
「……我を戦ではなく、滅びを司るものだと言った奴がいる。否定しきれないのが癪ではあるがな。これが我が他の神よりも身軽な理由でもあるが」
「……身軽な理由? 魔を滅ぼすのが……?」
少し考え込んで、思い至った心当たりに思わず顔を上げてヴィズリル様の顔を凝視してしまう。
「……まさか」
「察しが良いな。つまり――人が魔神に抗いきれなかった時、世界を滅ぼす覚悟で魔神を討つのは我の役割だということだ」
「……本当、なんでそういうことを黙ってるんですかね?」
「知る必要があったか?」
「少なくとも私は知っておきたかったですよ。……それで? 約束だからって見せただけじゃないですよね?」
ヴィズリル様に神器を見せてもらうという話は昔にしたことがあったけど、わざわざ今見せることに意味がある筈だ。そんな思いから確認するように問いかけてみる。
「我とお前は似て異なる神器を持つ。この神器は我の力を発揮するために生まれた。そしてお前の刀は我の加護を受け、似て異なる特性を得るに至った。しかし、その本質は近いものなのだ。つまり、我の神器に性質を寄せることも可能やもしれん」
「……それって」
「魔族を人に戻す。それは我にも出来ぬ。一度変質したものを取り除くことは出来ぬからだ。それこそを我は滅ぼすのだからな。だが、お前なら……その変質したものだけを狙って祓うことは出来るかもしれない。消滅ではなく、浄化と言うべきか」
どくん、と鼓動が跳ねた。思わず手に力が入って拳を握り締めてしまう。
「――お前の神器はまだ納得のいく物ではないのだろう? もし、お前が更なる器となる刀を作り上げた時は、その願いが叶うやもしれんな」
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