21:魔に魅入られて
――それは、いつものようにリルヒルテとレノアと稽古を始めようとした矢先だった。
虫の知らせのように全身に悪寒が走り、嫌な予感が警鐘を鳴らす。勢い良く振り返って悪寒の原因となった気配の方へと振り向いてしまう。
「カテナさん? どうかしましたか?」
突然、振り向いた私にリルヒルテが問いかける。だけど、私はその問いに答える前に駆け出していた。
気配は近い、確実にこの学院の中にいる。でも、私の頭の中では何故と問うのが繰り返されていた。
「ミニリル様!」
私は思わず日本刀に手を添えながら問いかける。この疑問を解消するために、答えを知っていそうな彼女に問う。
『カテナよ。悪いが、その予感は当たっている』
「ッ……!」
『――魔族だ』
「どうして学院の中に魔族が!?」
そう、この気配は〝魔族〟だ。つい最近、覚えたばかりの異質な気配を感じる。
学院の中にまで潜入された? どうやって? いつから? 何故、私は気付けなかった? そんなに高度に隠蔽されていた? わからない。ただ焦りばかりが募っていく。
『……いや、まさか』
ミニリル様が何か思案するような声で呟く。そうしている間にも私は気配の場所まで先に辿り着いてしまった。
そこで目にした光景は――惨劇の現場としか言えなかった。
血だ。ゆっくりと池を作るかのようにじわりと広がっている。その中で四肢をだらりと力なく地に広げて倒れているのは……アシュガルだった。
アシュガルを見下ろすように立ち尽くしているのは……シエラだった。アシュガルの返り血なのか、手や制服を真っ赤に染めている。
「……シエラ……?」
私が呼ぶと、シエラがゆっくりと顔を上げた。
「……カテナさん?」
――その左目が、異形の瞳に変わっていた。
瞳孔が縦に裂けてしまった真紅の瞳。その瞳から血の涙を伝わせている。
その瞳は私を見ているようで、私を映しているのか定かではない。それだけ焦点が合っていなかった。
嘘だと思いたかった。何故と問う声が止まらない。取り乱してしまいそうな感情を落ち着かせるために日本刀を握り締める。
「……どういう事ですか? ミニリル様」
思わず私は答えを求めるように問いかけていた。
「どうして――シエラが魔族なんですか!?」
その気配は、あの夜に始めて出会った魔族とよく似ていた。
禍々しく異質にして邪悪な気。それをシエラが身に纏っていることについて私はミニリル様へと問い質す。
『……魅入られたか、素質が仇となったか?』
「何を言って……」
『構えよ、カテナ。あれは、もう〝魔神〟に魅入られて〝魔族〟へと成り果てている』
ミニリル様が訴えるように叫ぶ。けれど、私は信じたくなかった。信じられる訳がなかった。
「……カテナさん」
「シエラ……」
「ふふ、私、やりましたよ?」
年相応に無邪気な顔でシエラはふにゃりと笑みを浮かべた。けれど、返り血も浴びた彼女がそんな仕草を見せても狂気しか感じない。
「アシュガル兄上が悪いんです。だって、この人がカテナさんに酷いことをしようとするから。気をつけろって言いましたよね? ちょっと失敗しちゃいましたけど、これでもう大丈夫です。兄上はもう何も言いませんし、動きません。あぁ、最初からこうしてれば良かったんだなぁって、私ようやくわかったんです。ねぇ、カテナさん? これで、もうずっと安心ですよね?」
アシュガルは、ぴくりとも動かない。遠目から見ても、完全に絶命してしまっている。
心臓を抉り取られるような傷が、もう彼が助からないことを示している。そして、その傷を負わせたのがシエラなのは覆しようがない。
「カテナさん、私、やりましたよ。だから、褒めてくれますよね?」
「……シエラがやったの?」
「はい! 兄様がカテナさんにいけない薬を使おうとするから、邪魔で邪魔で仕方なかったので――ぷちっと」
それはまるで虫を潰すかのように、指と指と合わせてシエラは笑っている。
……どうしようもなく力が抜けてしまいそうになる。何故、と問う声が止まらない。
「……カテナさん? 悲しいんですか? 怒ってるんですか? どうして……?」
「わからないの? シエラ、貴方、自分が何をしたのか! 貴方は、本当に殺してしまったの!? アシュガル殿下を!」
「――はい!」
嬉しそうに微笑みながら、何の邪気もなくシエラは返事をした。
なんて事なんだろう。どうして、こんなにも惨たらしいことになってるんだろう。
「……喜んでくれないんですか?」
私が何も言えずにいると、シエラの表情から感情が抜け落ちた。
かくん、と小首を傾げながら異なった瞳で食い入るように私を見つめてくる。
「あれ……? なんで、喜んでくれないんだろう? あれ? どうして、どうしてそんな顔をするの? だって、私、あれ? おかしいな……?」
カタカタと震えながらシエラが元通りだった瞳を覆い隠すように手を当てた。
ぎょろぎょろと、真紅に染まった異形の瞳だけが私を見つめ続けている。
「――あぁ、そっか。なるほど! ……貴方、偽者ですね?」
……どうして。
そんな嬉しそうに納得して両手を合わせているんだろう。
「じゃあ……殺さないと。私を騙すなんて、あの人の姿を騙るなんて……――許せないッ!!」
穏やかな表情から一転して、鬼気迫る表情を浮かべてシエラが両手を広げた。炎の矢が手の指の数だけ高速で生成され、それを私へと向けて解き放つ。
……あぁ、この子は本気で私を殺そうとしている。それがわかってしまう程の力を込めた魔法だ。
――銀閃が走る。抜刀した日本刀で余すことなく炎の矢を叩き落とす。
「何やってるのよ……シエラ……!」
どうして、魔族なんかになっているのか。
どうして、アシュガルを殺してしまったのか。
どうして、私を偽物だと思って本気で殺そうとしたのか。
どうして、こんな事になってるのか……!
「ミニリル様! 説明してッ! どうして、シエラが魔族になってるの!?」
『……魔族は元々魔神を信仰していた人間だった者、その成れの果てだ』
「じゃあ、なんでシエラが!? シエラはアーリエ様の神子に連なるラトナラジュ王国の王族じゃなかったの!?」
『魅入られたと言っただろう。魔神は人の心が弱った時、囁きかけて人を堕落させる。……それだけの闇をこの娘は抱えていたのか?』
「そういう事を、予め言っておきなさいよ!!」
『すまぬが……禁則事項だ。我からは、口に出来ぬ』
「あぁ、もう!!」
ミニリル様に問い質している間にシエラが更なる魔法を繰り出そうとしていた。
火の玉が浮かび、その炎が小さく縮まっていく。その気配に悪寒が感じるままに私は勢い良く地を蹴った。
瞬間、火の玉から伸びるように光線が放たれた。床を撃ち貫き、焼き焦がす。それを見て悪寒の正しさを悟ってしまう。
「逃がさない……許さない……殺す……殺すぅぅう――ッ!!」
狂ったようにシエラが叫んで火の玉の数を増やす。こんな室内で、あんな馬鹿げた火力の魔法を使わせる訳にはいかない。
――〝刀技:鎌鼬〟。
連続で繰り出した鎌鼬で火の玉を切り裂く。風船が弾けるように掻き消えた火の玉に怯んだようにシエラが身を竦ませる。
その隙に私は強く踏み込んでシエラの懐へと飛び込もうとして――。
「――きゃぁああああああああああっ!?」
悲鳴が聞こえた。それは異変に気付いて見にきてしまった女生徒なのか、私たちの姿を見て恐怖のままに叫んでいる。
それを見たシエラが、まるで煩わしいと言わんばかりの手を向けた。再び生み出された炎の矢が立ち竦む女生徒を撃ち抜こうとする。
「っ、させ――」
――〝エア・カッター〟。
私が飛び出すよりも先に、女生徒へと迫った炎の矢を掻き消すように風の刃が放たれた。
霧散した炎の矢、そして女生徒の前へと立ち塞がるように立ったのは――リルヒルテだった。
「レノア!」
リルヒルテの登場に驚いている間にも、リルヒルテが叫ぶ。
するとシエラの背後から全速力で突っ込んで来るレノアが姿を現した。
「シエラさん、申し訳ありませんッ!!」
レノアが謝りながらもシエラを組み敷こうと飛びかかる。けれど、その直前にシエラが発動させた突風がレノアを吹き飛ばす。
レノアは壁に叩き付けられたものの、すぐに体勢を立て直す。咄嗟の魔法で威力が出なかったのか負傷はしていない様子だった。
「あぁ、あぁあっ、リルヒルテ様……レノアさんまで……あぁぁ、あぁあああッ!! 偽物! 皆、皆、皆、偽者!! 偽者ばっかりぃぃッ!!」
狂ったようにシエラが頭を抱えて叫び出す。そしてギラギラした目で私たちを睨み据えた。
「殺さないと……! 私を騙す人も、傷つける人も、皆、皆、皆ぁッ! 殺さないと、守れないから……! 皆、死んでぇぇええええ――ッ!!」
シエラの叫びと同時に、彼女を中心にして炎の渦が全てを呑み込もうとするかのように爆発した。
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