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幕間:厳冬の心は春をまだ知らない 後編

2021/06/19 改稿

 カテナさんからアシュガル兄上に気をつけるように言われてから数日が経過した。

 その間、アシュガル兄上は授業にも顔を出していなかったようだった。学院で顔を合わせずに済むことにはホッとしつつも、姿が見えないと何か企んでいるのではないかと気を揉んでしまう。


(……疑っても、私には何も出来ませんけど)


 私はそういった情報を得るような伝手は何も持っていない。今まで調べ物と言えば自分の足で調べるのが基本だった。

 だけど、私がアシュガル兄上を嗅ぎ回っていると知られれば面倒なことになりそうだ。だから私に出来ることはいつものように過ごすことしか出来ない。

 まだカテナさんの研究室はお休み中だ。また放課後はリルヒルテ様たちと訓練でもしている筈。一人になるのは避けるように言われているし、彼女たちの下に顔を出そうかと思っていた時だった。


「あ、あの、シャムシエラさん?」

「……はい?」


 ふと、後ろから声をかけられた。そこにはあまり見知った顔ではない男子生徒がいた。

 どこか落ち着かない様子で私に声をかけてきた男子生徒は、視線を彷徨わせながら言葉を続ける。


「ちょっと、お願いしたいことがあるんだけど……良いかな?」

「……なんでしょうか?」

「ここだと、ちょっと話せなくて……その、少しだけ! 少しだけ付き合ってくれればいいんだ! ダメかな?」

「……すいません。そういうのはお断りしてまして」


 気がありそうな男子生徒には迂闊に近づいたらダメだからね! と私を心配するように忠告してくれたカテナさんの声が脳裏に蘇りました。

 ハッキリ言って、私を好いてくれるような異性なんて人を見る目がない残念な人だと思っているので、警告されるまでもないと思っていたのですが……。


「も、もしかして告白とかと勘違いしてる? ち、違うんだ……本当に困ってて、どうしても相談したいことがあるんだ……だ、ダメかな?」

「……何故、私に?」

「それもここだと話せなくて……」

「……申し訳ありませんけど、私は――」

「た、頼むよ!」


 手と膝を地につけて頭を下げる程に必死な様子な男子生徒に私は困惑の表情を浮かべてしまう。

 はぁ、と深く溜息を吐いてしまう。ここまで必死だと、私が想像していたようなことじゃなくて本気で何かに困ってるのかもしれない。

 ……カテナさんだったら、きっと話を聞いてあげたのかもしれない。そう思うと、ここで断り続けるのも可哀想だと思えてきた。


「わかりました」

「ほ、本当に?」

「えぇ。ただ手短に済ませてください。ほら、立ってください」


 手を差し伸べると、男子生徒は涙を零さんばかりに表情が歪ませて私の手を取った。

 このまま注目を集めると余計に人目を惹きそうだと思って、彼の手を引いて人の気配から遠ざかるように移動していく。


「本当にありがとう……俺……本当に困ってて……」

「……別にいいですから」

「ごめん……――本当に、ごめん」


 謝らないでくださいと、そう言いかけた私の口元がいきなり塞がれた。

 その手にはハンカチと思わしき布、咄嗟に暴れようとしたけれど腕で押さえ込まれる。

 なんとか首を後ろに振り返らせると、涙を流しながら悔恨極まる表情で私を見つめている男子生徒が見えた。


「――ほ、本当にすまない……! でも、こうしないと……俺が殺されるから……!」


 手を振り解こうと力を込めようとした瞬間、頭を勢い良く何かで殴られたような衝撃が走る。

 意識が一気に明滅して、意識を失わないようにと唇を噛み締めようとする。その際、唇に僅かに感じた奇妙な味を感じた。


(しま……これ……睡眠……作用の……)


 覚えがあったのも当然だった。それは母が私に服薬させて耐性をつけさせていた睡眠薬と同じ味だったからだ。

 後頭部を殴られた衝撃と、じわじわと効果を発揮し始めた睡眠薬のせいで意識が保っていられない。

 鈍る頭で無理矢理にでも思考を回す。私が覚えがある睡眠作用のある薬、つまりこの薬は〝ラトナラジュ王国〟のもので間違いない。

 そんなものを持ち込んでいるとすれば、それは……――。


 そうして、今にも落ちてしまいそうな意識のまま揺られ続ける。運ばれてきたのは学院の人目を避けたような死角となった一角。

 そこまで私を運んできた男子生徒は、私を放り捨てるようにして降ろした。


「――よくやってくれた」

「や、約束は果たしました! こ、ここからは俺は本当に何も関係ないんだな!」

「あぁ、お前が黙っていればな。だが、もしも口を滑らせた場合は……」

「い、言わない! 絶対に言いません! だから、だからもう俺には関わらないでください!」

「わかったなら、行け。誰にも気取られるなよ?」


 聞こえたは、覚えのある男の声だった。私をここまで運んできた男子生徒は、その男と会話を交わしていたかと思えば勢い良く駆け出していくのが見えた。

 そして残された男は私を見下ろすように見つめた。その男の名を、私は震えた声で呼ぶ。


「……アシュ、ガル……兄上……」

「……仮にも王族か、薬物の耐性はしっかりとつけていたのか」


 アシュガル兄上の立てた靴音が嫌に耳に響く。そして私の傍まで来たかと思えば、私の腕を掴み上げて無理矢理起き上がらせる。


「いた……っ」

「貴様には利用価値がある。お前にはカテナ・アイアンウィルをおびき寄せる餌になって貰う」

「……餌?」

「認めるのは屈辱だが、カテナ・アイアンウィルは俺よりも腕に長けた剣士だ。決闘に負けた以上、グランアゲート王国の王家の援助もガードナー侯爵家の後ろ盾も得ることが叶わなくなった。だが、だからといって諦める訳にはいかない。ならば、あの女だ。カテナ・アイアンウィルには手中に収める価値がある」


 淡々と語るアシュガル兄上の言葉に、私は舌を強く噛んで意識をはっきりとさせようとする。

 強く噛みすぎて血の味がしたけれど、気にしていられずに私はアシュガル兄上を睨み付ける。


「馬鹿なことは……お止めください……! まだ、今ならなかったことに出来ます……こんな事をすれば、ラトナラジュ王国とグランアゲート王国の関係に罅が……!」

「……あぁ、そうかもしれんな」

「わかっているのですか……!? なら……」

「だが、俺には後がない」


 あっさりとアシュガル兄上は言い放った。その瞳の奥に渦巻く感情は、あまりにも激しいものだった。

 私の腕を掴み上げる力が強くなっていく。意識が痛みによって無理矢理覚醒させられていく。


「いっ……ぎっ……ぁ……!」

「国を捨てた薄情者め。母を捨て、自分だけ自由になったお前が……俺は心底気に入らない。所詮は末席も末席といった所か」

「……あんな、国に……未来なんて……ない……!」

「あぁ、そうかもしれない。それでも逃げ出せるお前には王族の責務も誇りもないという現れだ」

「これが、王族の振るまいだと胸を張って言えるとでも……!?」


 人を脅して、利用して、カテナさんに対する囮に使おうとしている。そんな人として間違ったことが王族の振るまいなどと言える筈がない。


「――全てを捨てたお前に何がわかるッ!」


 掴んだ腕を引かれるようにして、そのまま床に引き倒される。肌が擦れ、ジクジクと痛みが広がっていく。

 肩で息をして、呼吸を荒らげるアシュガル兄上の目は激情に染まっていた。それは黒々とした歪な炎のようだ。


「俺は……約束したのだ。お前なんかとは違う。だから、果たさなければ……」

「……約束……?」

「例え、滅びるしかない国でも……人でなしであろうとも、俺が王となれなければ……俺の母はどうなる? お前とて知っている筈だ! 自分の子供が次の国王となれなかった母たちがどうなるのかを!」

「それ……は……」

「良くて人質、悪くて放逐、最悪で人知れずに毒杯を授かる事になる。あぁ、反吐が出るな! それが俺たちの国だ! 俺たちが生まれた国で! 逃れられぬ運命だ! 誰もが人を貶し合い、陥れようとする! 信じられるものは己と、その母だけだ! あの王座にしか興味のない父親すらも味方とは言えない!」


 アシュガル兄上の叫んだ言葉を、私は何一つ否定出来ない。むしろ、その通りだと頷いてしまいたくなる。

 それが今のラトナラジュ王国の王室だ。権力に腐敗しきって、明日に希望を探すのが難しい。誰もが敵で、誰も信じられない世界だ。


「……どんな国であろうと、どんな親であろうとも、あの人の味方を出来るのは俺だけなんだ」

「アシュガル兄上……」

「俺はお前のように逃げ出したりはしない。捨てたりなんかしない。……でなければ、俺は何故、あんな親から生まれなければならなかったんだ? 王族として生まれたなら果たすしかないだろう! その玉座を目指すしかないだろう! あの人が望んだように、誰よりも高みに登る男になるのだ! この望みが果たせぬなら、俺は何の為に生まれたのかもわからなくなる!」


 私は言葉を失ってしまった。否定の言葉も、諫めようとする意思も、全てが泡のように弾けて消えてしまう。

 どうして、あんな国に生まれなきゃいけなかったんだろう? 私たちは同じ痛みを抱えて生まれてきた。この人は、有り得た私だと嫌でも突きつけられる。


「……でも、無駄です。貴方がどんな企みを考えようと、カテナさんは貴方になんか負けません……!」

「……あぁ、そうだ。カテナ・アイアンウィルの精神は強靱そのものだ。――なら、その心を壊してしまえばいいじゃないか?」

「え……?」


 何を言っているのかわからず、そんな呆けた声が出てしまった。

 アシュガル兄上が浮かべているのは冷たい笑みだ。人として踏み外してはいけない倫理を超えてしまったように。そう思った理由は、私が抱える殺意とよく似ていると感じたからだ。

 私が呆気に取られていると、兄上は懐から何か瓶を取り出した。瓶の口を片手で開けて――それを私の口に勢い良く突っ込んだ。


「んんんっ!? んんっ、げほっげほっ!」


 幾らか飲み下してしまった瓶の中身は、凄まじく甘ったるい。その香りにも覚えがあった。

 どこで嗅いだ覚えのある香りだっただろうか。口に含んだことはない薬だ。でも、私は知っている、この香りを、どこかで……?


「ラトナラジュ王家に伝わる秘薬だ。強い幻惑効果があり、暗示に落としやすくするための、な」

「あん……じ……?」

「王は絶対でなければならない。王には逆らってはいけない。しかし、逆らっても有用な者もいるだろう。そいつらは有用な資源だ、殺すのは惜しい。そんな人材を有効活用するための我が王家の秘中の秘。これにはあの女が強かろうと無意味だ。心そのものが俺の都合の良いものへと変わってしまえばな」


 アシュガル兄上の言葉を聞いている間にも、どんどんと目の前が歪んでいくような錯覚に襲われる。平衡感覚が消え失せてしまったように、私は冷たい地面に這い蹲る。


「ぅ……っ……く……!」

「抵抗は無駄だ。一度でも服薬すれば禁断症状に悩まされるほどに強烈な代物だからな。安心しろ。――お前も、母親と同じ道を辿るだけだ」


 ――その一言で、私は思い出してしまった。

 この香りは、母がよく身に纏っていた甘い香りだったことを。

 それが何を意味するのか、それすらも。


「あ……あぁ……!」

「お前の母も国王に逆らった結果、服薬の刑に処された。そして貴様を産んだ。しかし、どんなに厳しく躾けようともお前は無能だった。お前の母親はまったく報われないな? シャムシエラ」


 ただ厳しかった母、私をいつも虐げて、それでいて誰にもバレないようにと教え続けた母。

 甘い香りがする。母の香りがする。思考が鈍って何も考えられなくなっていきそうになる。

 涙が溢れてきた。思考が鈍るのと引き換えに、ただ、ただ心は熱くなっていく。


「……ぃ」

「……ん?」

「ゆる……せ……な……い……!」


 産まれ育った国が、嫌いだった。憎んでさえもいた。だから逃げ出したかった。

 逃げても、逃げても、あの国は私を離さない。ずっと、ずっと、どこまでも。

 私が大事にしたい人までも巻き込んで、どこまでも害を振りまく。



「――お前、なんか……殺して……おけば……良かった……!!」



 何を躊躇っていたんだろう。そうしなきゃいけなかったんだ、本当は。

 何も見えていなかった。何も知ろうとしていなかった。ただ、目を背けて逃げてきた結果がこれだ。

 もっと早く、この男を私は殺しておかなければならなかった!


 爪を掌に食い込ませる程に握り締める。痛みが不鮮明になってしまいそうな意識を繋ぎ止めてくれた。

 魔法は、だめだ。使えない。どうしても集中が途切れる。意識は保っていられるけれど、それ以上が続かない。


(私……は……――)


 ――何も、出来ない。何も、出来なかった。何も……しなかった。

 このまま意識が途切れてしまったら、どうなってしまうんだろう。暗示にかけるとアシュガル兄上は言った。カテナさんを手に入れるための駒にすると言った。

 そんなの許せない。許せないのに、もう、舌を噛み切って自害する力もない。


 ――私は、無力だ。


 思考が覚束なくなっていく。心の熱だけが昂ぶっていく。涙が溢れて前すらも見えなくなってきた。

 なんて無意味な命だったんだろう。なんて、価値のない私なんだろう。

 そんな私を産んで、母を壊した国が……ラトナラジュ王国が――憎い。

 あぁ、憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎いッ!!



 ――〝そんなに憎いの? 許せないの?〟



 不意に、声が聞こえた。脳裏に直接囁くような、何か大きな力を感じさせる声が。



 ――〝可哀想なアーリエの子。そんなに悲しくて、憎いなら〟



 とても優しく、無邪気に誘う声が。



 ――〝私の子になりなさい?〟



 私の中に、何かが注ぎ込まれた。

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