19:自由の価値を
2021/06/19 改稿
「……嫁に来い?」
「そうだ。貴様の力、この国で燻るのは惜しい。貴様が望むなら王妃の座だって届くだろう。だから――」
「――寝言は寝て言え」
今まで生きてきた中で、ここまで怒りを感じたことはない。その怒りのせいか、声はいつもよりも低くドスが入ってしまった。
「自分の物差しでしか世界を見れない器の小さい男に誰が付いていくと思ってるの?」
「……なんだと?」
「ラトナラジュ王国の王妃? そんな価値のないお飾りなんていらない。私の望むものも与えられもしない国の頂点なんて誇りにもならない。ゴミも同然だ」
「では、カテナ・アイアンウィル。貴様の望むものとは何だ?」
「――自由」
「……は?」
「自由であること。私が私らしくあること。何を選ぶも、何を捨てるも全部私の自由。人も、国も、何もかも私が思うままに生きること」
「自由だと……そんなもののために……?」
「私の自由のために、イリディアム陛下たちは心を砕いてくれた」
私の事情の全てを知った上で、彼等は私に良くしてくれた。
本当だったら国のため、この力の全てを捧げて欲しいと思っていただろう。王族として命じれば貴族の娘として従わなければならない状況に陥っていたかもしれない。
それでも、そうしなかった。私がそんな命令を下されたら国を捨てていただろうし、それをわかった上で私を引き留めるための選択だったのかもしれない。
それで十分だった。王族の責務がどれほど重いのかなんて私には想像しきれない。その上で彼等は人としても、王族としても最善の道を歩もうとしている。
陛下も、王妃様も、ベリアス殿下も、姫様やラウレント殿下たちだってそうだ。そんな彼等に忠誠を捧げ、共に歩みたいと思っている人たちがいる。
私は、その輪に入りたいとは思わないけれど。でも、その眩しいまでの在り方が好ましいと思っている。そんな在り方が私をこの国に引き留めてくれた。
私が私であることを思い、尊重してくれた。だから恩義がある。
「私が望むことがそんなものだと言えるお前の嫁になど誰がなるか。私の大切な人たちを預けるものか。貴方に何がある? 心を寄せられるものは? 私は貴方の誘いに何の魅力を感じない。好きになれるものが何一つだってない」
「……自身の自由。それが王族の権利をも凌ぐとでも?」
アシュガルは片手で顔を覆い隠すように触れて、それから笑いを堪えるように肩を震わせた。
だらりと、顔を押さえていた手が降りる。露わになったアシュガルの表情は、何故か憤怒に染まっていた。
「――巫山戯るなッ!」
アシュガルが曲剣を振り抜くと、風の刃が私に迫る。それを私が回避するのと同時に戦いが再開された。
アシュガルは荒ぶる風を全身に纏わせ、動作に合わせて無数の刃を放ってくる。アシュガルを中心とした暴風の渦が発生しているようなものだ。
「自由、自由だと!? あぁ、その力があれば叶うだろう! 自由であるためには他者を黙らせるほどの力がいる! だが、何故だ! 何故、平民上がりの男爵の娘でしかないお前が! それほどの力を持てたと言うのだ!!」
「何……?」
アシュガルは憤怒の形相で吼え叫ぶ。その咆哮すらも風の渦となって演習場を駆け巡る。
「力だ! 力こそが……力だけが! 人に言葉を許す! 人にあらゆるものを与える! そうだ! 貴様は正しい! だが、何故貴様が正しいのだ! 王族でもない、ただの小娘が! 何故私を凌ぐほどの力を持っている……!」
「さぁ? たまたまじゃないの?」
「納得出来るものかよッ!」
最早、アシュガルが放つ風の刃は結界とも言うべきだ。無数に吹き荒れる風は少しずつ私の逃げ場すらも奪っていく。
少しでも巻き込まれればミンチにすらなりかねない。審判役を務めているラッセル様も安全圏に退避しているのが見えた。
「力があれば豊かさを得られる! 生きることを許される! それが、この世界の真実だッ! どうして私が……俺が望んだものを、成り上がりの男爵令嬢如きが持つ!? 何故だッ!?」
「知らないね、そんなの! さっきから何なのさ!」
「あぁ、そうだ! お前には、このグランアゲート王国という恵まれた国に生まれたお前には何もわからんだろうさッ!!」
拒絶するように、認めたくないと言うように、アシュガルは強引に私に曲剣を届かせようと強く踏み込んで来る。
「土地は枯れ、痩せ細り、権力欲に塗れた王城は陰謀と裏切りが蔓延している! そんな国の王族に、明日とも知れぬ身に生まれた俺の願いなど貴様にわかるものか!!」
「ッ……!」
「勝たねばならんのだ! 勝てば皆が従うのだ! 勝てば得られるのだ! ならば勝ち続けなければならんのだ……! その為に全てを投げ打ってきた! 悲願まであと少しなのだ! たとえ全てが叶わずとも、ここで得たものがあれば俺は救われる! だから邪魔だ……! 貴様は邪魔なんだよ、カテナ・アイアンウィルッ!!」
「勝てば、力さえあれば民が、国が従うって思ってるの?」
「力が全てだろう! それ以外に何が求められると言う!?」
それは間違っていないのかもしれない。力がなければ、誰も国王なんて認めないのかもしれない。力は必要だ。――それでも、敢えて私は叫ぶ。
「それでも、私は心が伴わないなら従えない――ッ!」
アシュガルの振るった曲剣を、今度は真っ向から弾き返す。その衝撃に互いの表情が苦悶に歪むも、それでも私は足を止めない。
「人には心があって、思い、悩んで、考える! 力だけがあればいい、力が全て! それも否定はしない! でも、その上でその先を行くのが――人に与えられた力なんじゃないの!?」
他者を思いやり、敬い、愛する。私がこの力を貸しても良いと思えたのは、その温かさを与えてくれた人たちがいるから。
「それでも力だけが全てだと言うなら――私は、その力を以て貴方に勝ってみせる!」
――〝刀技:鎌鼬〟。
私が繰り出した風の刃が、アシュガルが生み出した風の刃の結界を一文字に切り裂いて道を拓いた。
その裂け目に生じた風によって、呑み込まれるように風の刃が消え失せていく。それは日本刀から伝播した魔を祓い断つ特性によるものだ。
全ての風が凪いでいく中、アシュガルが驚愕の眼差しで私を見つめる。
「俺の風を……いとも容易く……!?」
「望まぬ支配を私は受け入れない。私に忠義なんて立派なものはないけど、王家を慕う思いがある。それこそが、この国の王族が私に芽生えさせたものだ。この芽を、お前なんかに摘ませるものか! 私の自由をお前になど委ねるものか!! そんなに力が全てだと言うのなら私を倒してから言えッ!!」
私は鞘を掴み、刀を納める。そして全身を絞るように抜刀の構えを取る。
何をするつもりかと目を見開いたアシュガル、けれど何か良くない気配でも感じたのか、突き出すように曲剣を向けて風の槍を飛ばしてくる。
風の槍が到達するよりも早く、私は全身の力を一点に集中させるように抜刀した。刀に集めていた魔力が一点に集中し、解き放たれる。
――〝刀技:裂空破斬〟
それは抜刀術という〝溜め〟を含んだ〝鎌鼬〟。しかし、鎌鼬との規模が違い過ぎるせいで別名を冠した極技が一つ。
それは空間を〝裂く〟。溜めによって放たれた風の刃は文字通り、射線上に存在する魔を悉く裂いていた。無論、アシュガルの放った風の槍すらも。
極大なる風の刃はそのままアシュガルへと到達し、勢い良く吹き飛ばした。踏ん張りも利かずに壁へと叩き付けられたアシュガルの手から曲剣が離れて転がっていく。
「ぐはぁっ!?」
大地に倒れ伏したアシュガルの全身が小刻みに痙攣したのが見えた。裂空は、物理的な切れ味は調整出来るけれど魔力の〝圧〟までは調節が利かない。だからこそ、叩き付けられれば魔法の使用を阻害しかねない程の威力を生み出してしまう。
その結果が、無理矢理に身体強化の魔法を剥がされたアシュガルの末路だった。暫くはまともに動けないだろう。
「……貴方の風は鋭かった。必死だったのもわかる。でも、私には重さが感じられなかった。そんな軽い剣に私はねじ伏せられる訳にはいかない」
「ぐっ……!」
アシュガルは立ち上がろうとしているけれども膝が震えていた。それでも曲剣へと手を伸ばし、それを支えに起き上がろうとする。
その目はただ私を見つめている。憎悪、憤怒、驚愕、恐怖、様々な負の感情が揺れ動いて私へと絡みつく。
「何故だ……! 何故、貴様なのだ……! どうして俺ではない! 何故そんな力が得られた! あと少し、あと少しだったのだ! 悲願まで、あと少しで……!」
「……願いを叶えたいなら、きっと貴方は選ぶ手段を間違えたんだ」
「何が間違いだ……! 巫山戯るな……! 巫山戯るな、カテナ・アイアンウィル!! 俺は、俺はぁッ!!」
立ち上がれず、地に膝をついたままアシュガルが憎しみを込めた咆哮を上げる。
そんな彼を前にして、私は日本刀を鞘に収めた。
「――勝負あり、だよ。貴方の負けだ、アシュガル」
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