幕間:高みを目指す者 前編
本日、二回更新しています。ベリアス殿下回となります。
――生まれてきてくれて、ありがとう。私の可愛い子。
彼が最初に覚えたのは、事あるごとに母が口にしていた言葉だった。それが彼、ベリアス・グランアゲートの最初の記憶である。
国王である父、イリディアム・グランアゲートと、その正妻である母、クリスティア・グランアゲートの間に生まれた彼はこの国で一番高貴な身分であり、神々に認められた神子の血と力を受け継ぐ選ばれた者だった。
誰もがベリアスのことを讃えた。待ちわびた待望の一子、この国を導く尊き者だと。その肩書きが彼にとって何よりの誇りとなるのは、そう時間はかからなかった。
彼は幸せな子供だった。手に入らないものなどなにもない、望めば手に入る。力も、地位も、名誉も。そう思っていた。
だからこそベリアスは思う。自分は誰よりもこの地位に相応しい者でなければならない。この国を統べる王族として、この国の民を守らなければならない義務と責任がある。
そして今、彼が受け継いだ血が告げる感覚が敵の存在を告げていた。引き寄せられるようにベリアスは駆け抜ける。
「――――ッ!」
その途中で、突如感じた悪寒にベリアスは勢い良く飛び退った。瞬間、彼がいた地点が禍々しい炎によって呑み込まれた。
「――ぎゃははははッ! 外した、おいおい、外しちまったなぁ!!」
禍々しい昏い色の焔を従えるようにして浮かべる赤髪の男。その男の肌の色は褐色と言うには苦しい程、青い肌をしていた。その異質な色は、彼が人間から逸脱した存在であることを告げている。
そして何より瞳だ。黒い眼球に金色の虹彩、これもまた人には有り得ぬ色だ。紛れもなくこの男が、この街の脅威である魔族だ。
「貴様か、火を放った下手人は」
「あぁ? それがどうしたよ!」
「いや、その返答で十分だ」
ベリアスは大剣を構え直す。男を睨み付け、身体の奥底から渦巻く魔力が彼の髪を逆立てさせるように浮かせる。
正式な神器でないとはいえ、準神器級の大剣。それがベリアスに与えられた力だ。
「〝覚醒〟」
神器に秘められし力を解放する言霊を告げる。剣の存在感が増し、清浄な空気すら発し始める。それは周囲の空気を塗り潰そうとするように広がっていき、魔族の男が漂わせる炎を揺らめかせた。
すると、魔族の男は如何にも不愉快そうに顔を歪めた。身体を掻きむしるように爪を立て、身を仰け反らせる。
「あー? あーっ!? あぁーっ!? ウッ……ゼェエーッ! テメェ、神子か!? ウゼェ、ウゼェ、クソウゼェーーーー! 俺の楽しみを邪魔するんじゃねぇよ! クソが! 死に果てろ!」
「品性の欠片もない魔神の信徒めが。己の罪を悔い改め、地に還るが良い」
「神に愛でられてるだけの人間如きが俺を舐め腐るんじゃねぇッ!」
魔族の男が漂わせていた炎を捏ねるようにして形を変化させ、炎の槍をベリアスへと無数に射出する。
ベリアスは炎の槍に対して、大剣を盾にするように構えながら愚直なまでに突進した。
「馬鹿か! 燃え尽きろぉッ!!」
「やってみろ、燃やせるものならばな」
炎の槍が直撃する。炎の槍は大剣によって解けるようにて拡散させられ、火の粉を散らす。一つ、二つ、三つ、火の粉を散らしながら直進するベリアスの瞳には魔族しか映っていない。
しかし、無傷とは言わない。火の粉は確実に彼の肌を焼いているし、拡散しきれなかった炎の槍の残滓が手足を掠って煙を上げている。だが、ベリアスは止まらない。それを些事だと言わんばかりに踏み込む。
「おぉ、ォォオオオ――ッ!!」
一歩の踏み込みを強く、神器を通して取り込んだ大地の魔力を全身に巡らせたベリアスは放たれた矢のように加速した。
急激に加速したベリアスの速度についてこれず、魔族の男はベリアスの大剣を無防備に受けた。
「べぶらぁっ!?」
(……斬れんか!)
とても肉とは思えぬ強度、刃が立っても進まない。まるで肉の線維に搦め捕られているかのようだ。
これが魔族の厄介な所だ。彼等は命あるものを歪ませ、生死の境界すらも薄くする。それを己の身にも適用しない筈がない。
心臓を潰しても、頭を切り落としても魔族は死なない。魔族を殺すには〝核〟を潰すか、魔力が尽きるまで磨り潰すしかない。
「オォォォオ――ッ!!」
斬れない。その判断を下したベリアスはすぐさま次の行動へと移った。刃を食い込ませたまま、魔族の男ごと大剣を振り回して壁へと叩き付ける。
壁ごと粉砕するように魔族を叩き付ければ、魔族は壁の残骸と共に沈んでいった。それでもベリアスは油断なく構えを取り直す。
「……いてぇ、いてぇんだよ、クソがぁ――ッ!!」
爆炎。瓦礫を吹き飛ばしながら魔族の男が起き上がる。大剣によって抉られた肉が芽を伸ばすようにしてくっつき傷を塞いでいる姿は、最早人の形をしていても決定的に人と異なる者だ。
爆炎を避けるように後ろに飛び退ったベリアスは魔族の男を睨み付けながら息を吐く。
「俺が、このマグラニカ様がぁ! この街を楽しく焼くために何年コツコツかけてやってきたと思ってるんだ! 魔物を定期的に襲わせて、それを撃退させて慣れさせ! 油断してきた頃に背後から守りたかった街を焼く! 勇敢な戦士たちは、その勇敢さから己の大事なものが焼かれていく様を指を咥えて見ることしか出来ない! この最高のショーを! 邪魔するんじゃねぇ――ッ!」
「……反吐が出るな。貴様等、魔族というのは世界にこびり付いた不浄そのものだ。それを祓うのが神子である我らの使命だ! 正しき命の巡りに還れ、魔族ッ!」
「頭が高いんだよぉ、マグラニカ様と呼べぇぇえ――――ッ!!」
そして、炎を祓う剣舞が始まる。
ベリアスは神器を通して吸い上げた大地の魔力を自身の魔力の延長として扱い、一気に身体能力を上げて敵を薙ぎ倒すことを得意とする。反応出来ない速度で突っ込んで、そのまま制圧する。
シンプルであるからこそ、それを磨き上げたベリアスは強かった。その単純な攻撃を必殺にまで昇華させたのは彼自身の努力もあるし、彼にとっては業腹極まることではあるがある一人の少女が〝魔法で鍛冶をする〟などという巫山戯た真似をしたというのがキッカケだった。
奴に出来て、己に出来ぬ道理はない。常に魔力を巡らせ、溜め込み、圧縮する。その圧縮した魔力を解放することによって圧倒的な力を発揮して相手を粉砕する。
二年という歳月の最中で磨かれた圧縮魔力の解放による爆発的な威力の底上げはベリアスの実力となっていた。
(――しぶ、とい……!)
それでもベリアスの顔に勝利の確信は浮かばない。
マグラニカと名乗った魔族の男は、別に武を極めている訳でもない。放つ炎の洗練も甘い。ただ単純に力が強いだけだ。だが、そこに死を遠ざける再生能力が加わればそれだけで常人には抗えぬ暴力と成り果てる。
許されざる強さだ。研ぎ澄ましたような強さではない。ただ自分の鬱憤を晴らすためだけのような稚拙な暴力だ。それがこの国の民を虐げている。誇りもない暴虐にベリアスの心に怒りが灯る。
そしてベリアスとて、圧縮魔力のストックが心許ない。戦闘中にも作ることが出来るが〝流れ〟が途切れてしまう。
それは相手に反撃の隙を許すということだ。先程まではベリアスを侮っていたのだろうが、今は必死の形相で煩わしい存在を焼き払わんと炎を猛らせている。
この暴威を正面から受け止めるのはベリアスとて難しい。だからこそ、ベリアスが取った手段は――それを上回る暴力と成り果てることだった。
「――オラァァアアアア――ッ!!」
溜め込んでいた圧縮魔力を連鎖的に爆発させる。ベリアスが繰り出せる最高速度を維持したままの高速斬撃だ。最早、斬るというより磨り潰す勢いでベリアスは魔族の男へと大剣を叩き付け続ける。
潰す、叩いて、押して、何度も、何度も、原型など残さぬという程に連撃を叩き付けて行く。
「この、調子に、ぐげぇっ、の、ぶ、乗る、なっ、ぎゃばァッ!?」
まるで木偶人形のように身動きすらも許されず、マグラニカはベリアスの連撃の波の中へと呑まれていく。
その暴風の如き攻撃は、ベリアスが溜めていた最後の圧縮魔力の解放と共に終わりを告げる。この間、マグラニカが受けたベリアスによる一撃は二十を超えていただろう。
「――平伏せェッ!!」
切り上げで打ち上げたマグラニカの身体を、返す刃で地面へと叩き付ける。連続で解放した圧縮魔力の喪失感に目眩にも似たような感覚がベリアスを襲う。
立ち上がるな、と念じるように睨む。まだ終わっていない。油断なくベリアスは圧縮魔力を準備していく。
――その背後で、小さな声が聞こえた。
ベリアスは弾かれたように振り向いた。そこには、まだ幼い兄弟が震えて座り込んでいた。
兄なのだろう、もう片方よりも背が高い少年が自分よりも小さい弟を庇うように抱き締めている。
(何故ここに子供が、逃げ遅れた、親はどこに、不味い――)
目まぐるしくベリアスの思考が流れる。同時にベリアスは魔族の気配が揺らめいたのを感じた。
マグラニカは、倒れ伏したままその指先を子供たちへと向けていた。睨み上げるようにベリアスを見る彼の顔は、醜悪なまでの愉悦に歪む。
そして、子供たちを呑み込むほどの火球が無慈悲にも放たれた。
「兄ちゃぁん!」
「だ、大丈夫だ! お、俺が! 俺が守るから!!」
――兄上!
現実と追想が、重なった。
爆炎による轟音が響き渡る。
弟を守ろうと必死に抱き締めていた兄は、自分たちが無事なことに気付いて固く閉じていた目を開く。
満月が浮かぶ空、その月光を背にして両手を広げ、自分たちを庇うように爆炎を背に受けたベリアスが目に移った。
「……ぐ、ぁっ」
その背中は、焼け爛れていた。膝が震え、今にも崩れ落ちてしまいそうになっている。それでもベリアスは子供たちの前に立ち塞がり続ける。
「……そうだ。兄は、弟を、守る、ものだ。偉いぞ」
ベリアスは激痛で途切れそうな意識を、言葉をゆっくり噛みしめるように繋ぎ止めながら幼き兄弟へと語りかける。
その目には、慈悲と憧憬の感情が複雑に入り交じっていることを幼い兄弟には理解出来なかった。
「……走れ」
「……ぁ……ぁぁ……」
「――走れッ! 振り向くな! 兄ならば、弟を守れッ!」
恐怖のためか、それともベリアスの言葉で奮い立ったのか。
声を大きく張りあげながら兄が弟の手を引くようにして走り出した。その背中をベリアスは見届け、そっと息を吐く。
「ギャハ、ギャハハハハハッ! 最高、最高だぜぇ――ッ! これだから人間を焼くのは止められねぇ――ッ! ここでお前は死んだぜ! あの子供も焼けて死ぬ! 無駄無駄ァッ! 全部無駄ぁ! 感動的だよなぁ! だからこそ、踏みにじるのが堪らねぇ快楽だァ――ッ!!」
再生が終わったのか、マグラニカが腹を抱えて笑いながら立ち上がる。
ベリアスはゆっくりと振り返りながら、笑い転げるマグラニカへと告げる。
「……何を笑っている?」
「……アァ?」
「俺は、まだ生きているぞ? まさか、自分がまだ死なないと思っている訳じゃないだろうな?」
「……おいおい、その怪我で俺様に勝てると思ってるのか? 立ってるのも限界だろうよ! 膝が笑ってるんだよ!!」
マグラニカがベリアスへと近づいて蹴り飛ばす。反応しきれなかったベリアスが壁に叩き付けられ、ずるずると壁を伝いながら崩れ落ちそうに――ならない。
「……あァッ?」
大剣を支えにはしていても、それでもベリアスはまだ立っていた。その目の戦意は死んでいない。まだ勝利を諦めていないベリアスにマグラニカの神経が逆撫でされた。
「脆弱な人間はなぁ、悲鳴と絶望で俺様を楽しませていれば良いんだ。俺様を苛つかせるんじゃねぇ――ッ!!」
苛立ち交じりに放たれた炎の槍がベリアスへと迫る。確実に直撃すると思っていたマグラニカは、ベリアスが大剣を振るって炎を掻き消したのに目を見開く。
どう見ても半死人だ。このまま放っておけば手を下すまでもなく弱って死ぬだろう。それでもベリアスは動いている。
「……何なんだ、テメェは……!」
苛立ち交じりに問いかけられた声に、ベリアスは応える。その表情には皮肉めいた笑みが浮かぶ。
「……グランアゲート王国第一王子にして次期国王……ベリアス・グランアゲートだ。どうした? 俺様の威光に恐れをなしたか、臆病者?」
「……俺様をォ、侮るんじゃねェ――ッ!!」
戦いは、まだ止まらない。
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