幕間:兄は妹を思う
――金が好きだ。その光沢は見ていて飽きないし、何より金の価値は簡単に揺らがないのが良い。
アイアンウィル男爵家の長男、ザックスが金を好む理由を聞けばこう答えるだろう。
ザックスは自分は特に目立つような個性や長所があるとは思っていない。適性があるのは影から手を回したり、全体図を見て手を入れることに向いているのだろうと自己分析している。
ザックスは揺らがず、安定したものを好む。素材から厳選し、良質な武器を作り続けてきたアイアンウィル領の特産ともいえる鍛冶の技術を見て育った彼は、間違いなく初代となる祖父の影響を大きく受けていた。
それが転じて価値が安定している金を好むことに繋がった。自分は何かを生み出す者ではない。どちらかと言えば鑑賞する側で、もっと踏み込めば利用する側になるのだろう。
そんなザックスから見て、妹であるカテナ・アイアンウィルは頭を悩ませる騒がしい存在であるのと同時に、金の卵を生み出す才能を持って生まれた存在だった。
屋敷の中庭の一角、そこに立てられた小さな研究室。そこがカテナの研鑽の場所であり、金の卵が生み出され続けている場所だった。
鉄を鍛える音が聞こえる。炎が踊り、風が温度を逃さずに閉じこめ、水球が浮かび、土が彼女の思いのままに形を変える。
汗を流しながら一心不乱に鍛造に向かうカテナの姿をザックスは後ろから見つめていた。金槌を握り、熱されたことで赤く染まった鉄と向き合っているカテナはザックスの存在など気にした様子もなく、ただ己の作業と向き合っていた。
(……相変わらず化物だな)
カテナが作業を始めて、すでに二時間以上は経過している。その間、彼女は一度も休むことなく鉄と向き合い続けていた。
その間、四種の魔法を〝常時展開〟し続けている非常識さにザックスは舌を巻く。一体何をどうしたらそんな芸当が出来るのか、一度聞いてみたことがあるがさっぱり理解出来なかった。
本来、魔法というのは発動させたら効果を発揮させたらそのまま消滅する。例外は身体にかける強化魔法などだが、長時間発動させていれば当然のことながら疲れてしまう。
理屈で言えばカテナの魔法は身体強化を長時間維持しつづけることと同じだ。しかし、それを普通の魔法で行っているのが異常だと言われる由縁だ。
カテナのやっていることは、針の穴に糸を通し続けるような繊細な作業をずっと繰り返して維持しているようなものだ。
魔法を発動させるための魔力の配分をブレを起こさず一定の力を注ぎ続ける。それも大量ではなく、糸のように細い量を注ぎ続ける。
そこに魔法を〝組み合わせる〟ことで発生する結果まで計算して魔法を〝混ぜる〟こともある。
ここまで来るとザックスも白旗を上げた。出来るか、そんな事!
理屈ではわかる。だが、理屈を実行するのが他の人には真似出来ない。そして、それをする意味もない。
魔法は力だ。強い力を瞬間的に発動させ、効果を為すのが当たり前だ。なのにカテナのやっていることは真逆だ。
細い穴を通すような繊細な制御を長時間、維持し続ける。確かに凄いことだ。だが、そこから先の展望が普通の人にはないだろう。
魔法で火をつけるのは良い。だが、暖を取るなら魔法を火種にして薪を燃やす方が良いだろう。
魔法で水を出せるのは便利だろう。けれど水が欲しいなら少量を出し続けるのではなく、一気に集めて水瓶にでも入れておけば良い。
職人技と言えば聞こえは良いが、それを活用する術は酷く狭い。そんな技術を会得出来る人なら普通に魔法を使う術を鍛えた方が将来の選択肢は増える。
無駄に凄い無駄な技術。だが、極めた先にあるものがこの光景であり、カテナの生み出した〝カタナ〟と言う名前がつけられた武器だ。
……何故か手違いで王家には妹の名で認識され、正式名称となっているが。それにカテナが涙目になっていたのは記憶に新しい。
(……絶対、売れると思うのになぁ)
カテナの作業を見つめながら、ザックスは少し前に父親と話した内容を思い返した。
* * *
「父上、カテナの作っている武器は流通に出さないのですか?」
ザックスが父であるクレイに問いかけると、クレイは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
アイアンウィル男爵家はしがない成り上がり貴族。なのにカテナがさんざんやらかしてしまった為、普通では背負う必要のない問題を抱えることになってしまった。
はっきり言えば、家を継ぎたくない。元々、アイアンウィル家は鍛冶師や商人の家なのだ。貴族として振る舞うことは疲れるし、貴族であることのメリットよりもデメリットの方が気になってしまう者ばかりだ。
今はまだメリットとデメリットが釣り合っているから父も貴族でいるのだろう、とザックスは思っている。しかし、ザックスが当主になるとなれば話は別だ。
自分では父のように問題を捌くことは出来ないだろうし、何より面倒臭くてやりたくない。それなら商人にでもなって金稼ぎをしている方が自分に合っているとザックスは考えていた。
そんな思いを父に打ち明けたのは、ここ最近のこと。クレイはザックスの思いに頭を抱えながらも、決して否定することはなかった。
その告白からザックスはクレイと今後の話をよくするようになった。その中には領地を継ぐとしたら、という話が加わってくるのも当然の流れだろう。
「……カテナの武器は確かに需要があるだろうな」
「カテナのあの奇想天外で頭がおかしくなりそうな工程を省けば、女神が降臨されるような物は出来ないとはわかったのですよね? でしたらウチの工房で量産しても良いとは思うのですが」
「出来なくはない。だが、その影響力を考えればカテナの身を守るためにも決断出来ない」
「……やはりですか」
「カテナの武器が流通に乗り、その存在が広まれば利益は見込める。目新しさもそうだが、あれは武器ばかりではなく芸術品としての価値も見いだせる。カテナの名を伏せて、我が工房の新作と売り出す方法もあるだろう。だが、王家の目が怖い」
「王家ですか……」
「王家はカテナを直接取り込むつもりはなくなったようだが、カテナの影響力が大きくなりすぎれば嫌でも意識せざるを得ないだろう。下手にカテナの存在が露出して担ぎ出されれば面倒なことにしかならない」
「だから名を伏せて流通もさせないと?」
「……あの子はそれで良いと言うかもしれないがな。だが、職人にとって己の作品とは己の名前で世に送り出したいものだろう。出来れば私とてそうしてやりたい。だが、あの子の価値を知れば狙う者は増えるだろう。たかが成り上がりの男爵家でしかない我が家では後ろ盾にはなってやれない」
腕を組み、厳粛な表情で告げるクレイは遠くを見つめるようにして言葉を重ねた。
「……あの子は自分で気付かないとダメだ。自分が一体、この世界にどんな影響を与えてしまうのか。それを自分で考えて、選んで、自らを守らなければならない。後ろ盾を得ることについてもそうだ。あの子が自分で望んで、その責任を背負うようにならなければ私は娘として扱う以上のことはしてやらないつもりだ」
「……厳しいですね」
「あの子が生きて行く世界は、私などよりももっと厳しいんだよ。……甘やかせないさ。私が甘やかせてやれるとしたら、あの子に小さな箱庭を与えてやることぐらいだ」
「箱庭……」
「だが、あの子はいつか小さな箱庭を出て行くことになるだろう。そんな世界に収まるような器じゃないし、神子としての重責が許しはしないだろう。いつか、あの子は世界を変えてしまうような場所まで行ってしまう。私の腕は、そこまで届くことはない」
少しだけ寂しそうに、無念が感じられる表情でクレイは言った。
父親として守れるのにも限界がある。だからクレイは徹底してカテナを外に出さない。カテナが外に出ることを望む日か、或いは出て行かざるを得ないその日まで。
「こうなってしまうと、この家を継ぎたくないというお前の気持ちもわかる。だから無理強いはしない。お前もお前の生きたい道を見つけなさい」
「父上」
「私は父親だ。お前たちよりも先に死ぬ。出来る限りは守ってやれるが、私が出来ることなどたかが知れている。だから自分で生きたい道を選び続けられるようによく考え、育ってくれ。私はいつだってお前たちの幸せを考えているのだから」
ぽん、とクレイはザックスの頭に手を置いてそう言った。
もう頭を撫でられる年ではないと、ザックスはクレイの手を払い除ける。そんなザックスに微笑むクレイは、間違いなく自分の父親なのだとザックスは思ったのだった。
* * *
回想から意識が戻り、ザックスはカテナの背中を眺め続ける。
(こいつから言い出すまでは、静観か……)
本当に贅沢なことだ、とザックスは思う。この妹は自分がどれだけの幸運に恵まれているのか自覚しているのだろうかと。
自慢の父親がいる。優しい母親がいる。慕ってくれる領民がいてくれる。当たり前すぎて見落としてしまいそうだけど、計り知れない価値があることなのだ。
(俺がしたいこと、出来ること……)
金が稼ぎたい。まず、真っ先に浮かぶのはそれだった。
金の価値は簡単に揺らがない。金さえあれば蓄えも備えられ、いざとなった時に誰かを救うための力になる。
(……富をかき集めるだけだったら貴族の方がいいのかもしれないがなぁ)
けれど、それは自分でなくても良い。カテナが婿を取ってこの家を継ぐなら、自分は商人となって領の活性化、他領との繋がりを繋ぐために奔走して良い。
或いは、カテナが誰かと結ばれて家を出るならカテナの問題はそちらに任せて、自分は支援するように立ち回れば良い。
表に立って盾になることはザックスには出来ない。自分にはそんな器はないし、向いている訳でもない。
しかし、その背を支えることなら出来るかもしれない。必要なら手を貸しても良いと自然と思える。厄介事ばかり持ち込んでくるが、それでも可愛い所もある妹なのだから、と。
「カテナ、そろそろ休憩を入れろよー」
放っておくと寝食を忘れて没頭し続けることもある妹に声をかけつつ、ザックスは知らず頬を緩ませていた。
自分には届かない領域にまで飛んでいってしまうだろう妹、その背中を見守るのは存外、悪くない気分だと思いながら。
面白いと思って頂けたらブックマークや評価ポイントをお願いします。




